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小夜は それからも毎日 月凪に会いに池に向かいました。
月凪も小夜に会える事を 嬉しく思っていました。
「わたくしに 花を咲かせるその術を 授けては下さりませぬか」
「それは できぬ。
どうして こうできるのか・・・自分でも分からぬのです」
少し落胆した小夜の顔を見て 月凪は言いました。
「けれど・・・
共に咲かせることは できるやもしれぬな・・・ 」
そして 右手の中三本の指を そっと小夜の額にあてました。
囁く様に念を唱えた月凪の手の平が
蕾に翳(かざ)したときと同じく ぽうっ と 光ったのを感じ
小夜は瞳を閉じました。
月凪は 蝶のような羽衣で 自分と小夜の体を結び
小夜を抱き寄せました。
小夜は驚いて その胸は 弾む鞠(まり)の様な音をさせました。
そして すでに自分は 溶けて浮いているのではないか と
思うほど 身体が熱くなりました。
「しっかり 掴っていなされ」
「は、はい・・・」
二人は風に乗るように 池の小島に向かって飛びました。
月凪は小島を とんっ と 片足で蹴り、
小夜を抱えて 更に更に 高く飛んだのです。
「ああ 山の端(は)が こんなに近い!」
「小夜、左手を」
月凪は 小夜の差し出した手に 自分の右手を重ね
広がる山の緑に向かって くるりと円を描きました。
すると 薄紅色の花々が 浮かぶように 咲き始めたのです。
( 嗚呼・・・ 夢でもかまわぬ・・・ これが夢でも )
小夜は嬉しくて このままずっと
月凪と飛んでいたい と思ったのでした。
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池の畔(ほとり)に降り立ったとき 月凪は崩れるように
しゃがみこんでしまいました。
「ツキナギ様!」
「心配ない・・・ 降りた時は いつもこうなのじゃ・・・」
そう言って 優しく微笑んだので 小夜は安心しました。
「小夜ではないか!」
声を掛けられ 振り返って見ると 馬に乗った小夜の兄でした。
「 兄上 」
「直に陽も暮れる。
ひとりで このような場所で何をしておるのだ。
さぁ、馬に乗りなさい」
「えっ?!」 (ひとり?)
振り返ってみると 月凪の姿は すでにそこにありませんでした。
(そんな・・・ あの方は何処へ・・・)
(夢でもかまわない)
つい先ほどまで そう思っていたのに
いなくなった月凪を想うと 小夜の心には
鈍色(にびいろ)の雲が広がったのでした。
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それから幾日かして ようやく月凪に会えました。
干上がった大地が潤うようで 小夜は涙が零れそうでした。
そんな嬉しい心持ちの小夜とは反対に
月凪は少し 沈んだ表情で小夜を迎えました。
「この里も花を咲かせた。 新たな年が来たとき
わたくしが居らずとも
このように沢山の花を咲かせるであろう。
もう 違う土地へ・・・・ 旅立たねばなりませぬ」
「えっ! 違う土地・・・ 行ってしまわれるのですか?
いつ? いつ発たれるのです?!」
月凪は黙っていました。
小夜は思い切って 胸の内を伝えました。
「わたくしも・・・ 御供させて下さりませ、
小夜を ツキナギ様の御側に置いて下さりませ」
「 小夜・・・
わたくしが 恐ろしくはないのか?」
「恐ろしい? 滅相もない。
恐ろしいどころか あなた様のようになりとうござりまする」
「そなたは分かっておらぬのじゃ。
ひとと違う という事が どういう事なのか」
「ツキナギ様こそ 御自分を分かっておられませぬ。
荒れた大地に、 枯れた木々に花を咲かせ
人々の心を癒し 潤すあなた様は
まごう方無く 天の遣(つか)いではありませぬか」
「天の・・・遣い?」
小夜は頷いて 月凪に懇願しました。
「お願いでござります。 この小夜を お連れ下さりませ。
今宵 必ず参ります。
此処で・・・ 小夜を 待っていて下さいますな?」
月凪は返事をしませんでした。
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屋敷に戻ると 何故か皆、慌しく動いていました。
なんと 小夜の父が倒れたというのです。
「父上! 母上、父上は!?」
「これ、静かに。 今 落ち着いたところじゃ・・・
心配はいりませぬ。 暫く休めば また元気な父君に戻ります」
小夜は 床についた父の側に寄りました。
「おお・・・小夜か。 心配かけてすまぬな・・・
そなたが嫁ぐまでは まだ老いるわけにはいかぬわ」
父は微笑んでくれました。
§
庭に咲く花々を見て 月凪の事を考えようとすると
胸の中に 優しい父や母や兄、 そして
もうじき 背(夫)となる 幼なじみの笑顔が浮かんできました。
そうして 目から とめどなく涙が溢れるのでした。
豊かに満ちた月の下、
小夜は山吹ノ池で待つ月凪に会いに行きました。
「ツキナギ様・・・ 」
月凪は 小夜の顔を見た瞬間に 悟ったようでした。
「分かっております・・・
小夜は一緒には来られぬのですね?
・・・ そなた、もうじき 嫁ぐのであろう?」
小夜は驚いて 体が固くなりました。
(ご存知だったのか・・・)
「山の木に腰を下ろし休んでおった時、 見えたのじゃ。
そなたの屋敷に 使いの者が何度も出入りするのを・・・
小夜・・・ 帰るがよい。 そなたの場所へ。
待っている人の処へ 」
小夜の心の中で
月凪の 心の鈴の 小さな小さな音が 響いてくるようでした。
「 ツキナギ様・・・ わたくしを お恨みですか? 」
月凪は柔らかく微笑を浮かべた後、小夜に背を向けました。
「 気にせずともよい
慣れておる・・・
ひとにはそれぞれ <生きる道>というものがあるのじゃ・・・ 」
朧(おぼろ)に匂うは花。 それとも それは
月の織り成す 灯(ともしび)の帷(とばり)か。
その声は 滲んでしみる 優しい 寂しい声でした。
潰れる様な胸の痛みが 涙となって小夜の瞳から溢れていきました。
小夜は、 共に生きると 自らが近づいておきながら
最後の最後で
<普通の、 あたりまえの生き方> を 選んだのです。
「 吾(あ)は 人にあらず。
天の遣いなどではない。
・・・・ 化けものじゃ ・・・・
宙に浮き、 咲くはずのない花を咲かせるなど・・・
もう少しで 小夜まで 化けものにするところであった・・・
許してくだされ 」
小夜は 狭くなった喉から 声を振り絞って言いました。
「あなた様は 化けものではござりませぬ・・・・」
(嗚呼。 わたくしは なんという むごい事をしたのだ)
小夜は 自分の想いだけに走った事を責めました。
月凪の抱えてきた孤独の大きさを、
それでも尚、 ひとのぬくもりを欲する寂しさを
その時になって 気付いたのでした。
「小夜。 泣いてはならぬ。 もう帰りなさい。
夫君を支え、子を産み 育てるのじゃ。
そなたはきっと 良い妻になり 良い母になる。
それに・・・
そなたには一度 念を掛けたであろう?
小夜の血を受け継ぐ子の中に
この月凪のように 花を咲かせる子が いるやもしれぬ 」
小夜は 自分の目から流れる涙の理由が
ひとりで生きてゆく覚悟の月凪を想ってなのか、
もう逢えないことが辛いのか、
分かりませんでした。
「玉響(たまゆら)の 露の夢のような出逢いであったが・・・
そなたの事、 決して忘れはせぬ。
こうして月を仰ぎ見るたびに そなたを思い出そう」
「ツキナギ様・・・ わたくしも忘れませぬ。
咲く花の中に 夕空の中に あなた様を想います」
「・・・それだけで 充分じゃ・・・」
はらはらと流れる 小夜の涙を月凪はそっと拭き取り言いました。
「振り返らず進みなさい。 小夜を見送って 此処から発ちます」
小夜は振り返りませんでした。
(泣いてはならぬ。 泣いてはならぬ・・・)
月凪が そっと袖を振っているのを背中に感じていました。
その後、ふたりは 二度と逢うことはありませんでした。
§
小夜は都に嫁ぎ、 子をもうけ、 生涯幸せに暮らしました。
そして時々、 ひとり
夜空に 満ちて浮かぶ月を見上げては
心の奥に咲く その人の幸せを 静かに静かに 祈ったのでした。
§
それから 何十年 何百年、
それ以上の 永い永い 時が流れました。
小夜の里に 仲の良い 翁(おきな)と媼(おうな)が
かわいい犬と 暮らしていました。
翁は 枯れ木に花を咲かせ
人々を たいそう喜ばせ 「花咲かせの翁」 「花咲かじいさん」と呼ばれたのでした。
§ おしまい §