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むかしむかし、 あるところに 小夜という娘がいました。

 

小夜の家は山里にありましたが、

都の貴族の親戚にあたる家柄でした。

 

 

今日は 小夜の嫁ぎ先が決まった めでたい日。

相手は 幼い頃から知っている 都に住む若者で、

小夜の遠い親戚でした。

 

 

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小夜の住む里は 近年 山火事がおこったり

しばらく 雨が降らなかったり、

また 嵐も通り過ぎたりして

山も大地も荒れ、 決して豊かとは言えませんでした。

 

けれど小夜は 生まれ育ったこの里が好きでした。

 

 

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輿(こし)に乗って 知人の屋敷から戻る途中、

山吹ノ池 という名の 池の傍を通りました。

 

この池の中央には、 人ひとりが乗れるような

小さな島があります。

 

その上に 誰か 立っているのが見えたのです。

 

鮮やかな夕焼けが 空を染めているのに

池の辺りだけ 霞(かすみ)が広がっていました。

 

 

「あんな所に 人が・・・」

 

 

 

蝶のような羽衣を纏(まと)い、

綺麗な形に結った髪に 可憐な花を挿した

それはそれは みめ麗しい乙女でした。

 

 

小夜はもっと見ていたかったのですが

自分が乗った輿は 停まる事なく家に向かって進んでいきました。

 

 

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「兄上、 山吹ノ池の真中に 小さな島があるでしょう」

 

小夜はひとつ年上の兄に、 先ほど見かけた乙女のことを話しました。

 

 

「わたくし、あの島に行けるなんて 知りませんでした。

行ってみたいわ。 ね、どうやって行けばよいの?」

 

 

 

小さい頃から好奇心が強く 走る馬も乗りこなす小夜は

池の小島から周りの景色を見たくなったのでした。

 

 

「あの小島に? 泳いで渡るしかないだろう」

 

「いいえ。 その方の衣は 濡れてはいませんでしたわ」

 

「じゃあ見間違えたのだろう。 乙女など いなかったのだよ。

でなければ 幻を見たのではないのか?

このところお前は 浮かれているからな」

 

小夜は 兄に笑われてしまいました。

 

 

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それからというもの 小夜は馬に乗って

頻繁に 山吹ノ池におもむきました。

 

もう一度、あの美しい乙女に会いたかったのです。

 

 

幾度か出向いたある日、

池の畔(ほとり)に佇(たたず)む乙女に会うことができました。

 

 

近くで見るその乙女は ただそこに立っているだけなのに

言いようの無い高貴な優雅さが漂い

小夜は声を掛けるのも憚(はばか)られる様な気持ちになったのでした。

 

 

 

乙女の傍を ただ通り過ぎるだけの日が続きました。

 

 

何度か見かけるようになると

乙女がいつも 一人で居る事を 不思議に思うようになりました。

 

馬も 乗り物も無く、 一人で そこに立っているのです。

 

 

小夜は胸の高鳴りを感じながら、

馬から降りて 思い切って話しかけました。

 

 

 

「あの・・・ もし・・・」

 

乙女はゆっくりと振り返り 小夜を見つめました。

 

小夜は頬が ぽっと赤くなりました。

 

 

 

「このような処に お一人でおられるのは危のうござりまする」

 

「危ない? 陽はあんなに高いというに。 化け物でも出ると?」

 

「いいえ。 化け物ではなく・・・ 誰ぞに、

誰ぞに さらわれるのではないかと 心配で・・・」

 

 

乙女は微笑んで応えました。

 

「心配は要りませぬ。 誰も触れられぬのだから」

 

(え? でも・・・ )

 

 

「そなた 名は何というのです?」

 

「小夜にござりまする」

 

 

「サヨ? そう・・・ 小夜か。 良い名じゃな 」

 

「あの・・・ あなた様は・・・」

 

 

「吾(あ)が名は 月凪 」

 

「ツキナギ様・・・」

 

 

 

 

小夜は直感で

月凪は 皇女(ひめみこ)ではないか、 そう思いました。

 

でも もしも皇女であらっしゃるならば ひとり、

こんな山里に居られようはずは無い とも思いました。

 

 

§

 

小夜は月凪に会うために 何度も池に向かいました。

 

輿入れの準備が着々と進んでいましたが

小夜の心は それどころではありませんでした。

 

 

今日も会えるだろうか、明日も その次の日も会えるだろうか。

 

髪に櫛を通せば 月凪の髪に挿された花を想い、

新たに誂(あつら)えた衣を見ると

月凪の 透き通るように美しい羽衣を想いました。

 

 

 

その日も小夜は 山吹ノ池で待っていましたが

月凪は なかなか現れませんでした。

 

 

 

ふと、周りの景色を見渡したとき、

これまでと何かが変わっているように思いました。

 

 

 

「なにか・・・木々の緑が増えたような・・・

花があんなに咲いている」

 

 

山の緑の中に咲く花々が 白や紅、桃色に映(は)え、

小夜の心は優しく癒されたのでした。

 

 

 

(あの方を これ以上待っていても おいでにならぬか・・・)

 

そう思って帰ろうとしたとき

池の中央の小島に 月凪が ふわり と舞い降りてきたのです。

 

 

小夜は驚いて息を呑みました。

 

 

いったい何処から・・・

 

いや それよりも その美しさに

極楽浄土に住む鳥を見たような気持ちになったのでした。

 

 

 

「ツキナギ様!」

 

 

小夜に気づいた月凪は もう一度ふわりと浮き上がり

池の畔(ほとり)に降りたのでした。

 

月凪は 少し疲れた様子でした。

 

 

「・・・・ひとには見られぬようにしておったのだが・・・」

 

 

「ツキナギ様・・・ 宙を 飛べるのですか?」

 

 

小夜は 目の前で見た

月凪の不思議を 怖がることなく

むしろ嬉しそうに瞳を輝かせて言いました。

 

 

「少し・・・な。 これも花を咲かせるためじゃ」

 

「花?」

 

 

月凪は 少し戸惑ったような表情をしました。

 

 

(この娘に見せても良いのだろうか・・・)

 

 

 

そして おもむろに 足元の土に手をかざしました。

 

 

手の平が ぽうっ と明るく光ったように見えた瞬間、

土の中から芽がでて 見る見るうちに大きくなり

蕾をつけたのです。

 

 

そして かざしていた手を さやさやと左右に動かすと

芳しい香りの薄紫の花弁が 鮮やかに開いたのでした。

 

 

(山の緑は・・・ あの花々は ツキナギ様が・・・)

 

小夜は生まれたばかりの花と 月凪を

泣きそうなほどの愛しい気持ちで じっと見つめました。

 

 

 

 

「初めて あなた様を御見かけしたとき

霞の中 小島の上に立っておられました。

あの時も 何処かで花を咲かせた後だったのでしょうか」

 

 

 

月凪は 気力も体力も使い、少し苦しくなっていました。

しかし それを悟られまいと 小夜の問いに答えました。

 

 

 

「 あの霞は・・・

あれは 咲かす業(わざ)を使う前の

禊(みそぎ)のようなものです。

力が弱まれば 時折

水に入らねばならぬこともあるがな・・・ 」

 

 

 

(霞をまとい、 身を清めておられたのか・・・

まるで 神話のようではないか )

 

小夜の心は もうすっかり 月凪に奪われていました。

 

 

小夜は胸に抱いていた事を尋ねてみました。

 

 

 

「ツキナギ様は もしや・・・・

もしや、巫女様か 皇女(ひめみこ)様では・・・」

 

 

 

月凪は身分を明らかにはせず 代わりに こう答えました。

 

 

「幼き頃に 卜定(ぼくじょう)されたが <凶>と出た。

このような業を持つのじゃ・・・

やをよろずの神々とて、受け入れては下さるまい。

 

斎王として仕えるよりも、 そして 入内するよりも、

大地や木々に 花を咲かせ続け 生きてゆく。

 

この身が果つるまでな・・・

それが わたくしの使命なのであろう・・・ 」

 

 

 

 

( この身が果つるまで・・・ )

 

 

 

静かに語ったその言葉の 覚悟と哀しさに

小夜はこの時 気づきませんでした。

 

 

 

月凪の咲かせた花の その馥郁(ふくいく)たる香りは

小夜の胸の奥の 真白な蕾まで

艶やかに 開かせたのでした。

 

 

 

 

§ つづく §