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心にともった ロウソクの灯りを
私は 全て消したくはなかった。
でも
伊織さんには亭主がいて 他に好きな人がいる。
「 その人には すぐに会えないの? 」
「 うん・・・ 」
一体 どういう出会いだったのか
知りたくないわけではないけれど
根掘り葉掘り 訊くなんて 私には到底できない。
私は第三者だもの。 自分には関係ない話だ。
伊織さんも なんで そんな話を聞かせるんだろう。
他に相談できる人間がいないのか・・・
でも そうよね。
不貞という罪を 身近な人間に
ペラペラしゃべる人はいないか・・・
「 ごめんね。 こんな話して 」
「 いや、別に・・・ 折角 打ち明けてくれたのに悪いけど
私じゃ 何の役にも立たないよ? 」
儚く 微笑む伊織さんを見て 少し苦しくなった。
どうして この人は 哀しそうに笑うんだろう。
はなから 求めるものを全部 諦めているような。
私は 一つだけ質問した。
「 その人と どうなりたいの? 」
「 ・・・できれば ずっと一緒にいたい 」
( 一緒にいたければ そうすれば良いじゃない )
馬鹿な答えを 言いそうになった。
それが出来ないから 苦しんでるのに。
私の知らない 彼女の事情。
何故 聞いてあげないのか・・・
「 生きてりゃ 誰でも辛い事はあるよ。
泣きたくなったら ここにおいで。
ここで音楽聴いて お酒飲んで 楽しんでよ 」
ありふれた 薄っぺらな言葉だ。
こんな事しか言えないから 踏み込むのを躊躇うのだ。
それでも伊織さんは 「 ありがとう 」 と 笑ってくれた。
§
その日 昼間の仕事を終え 早めに店に着いた私は
カウンター席で 煙草をふかしていた。
「 お、 ナナちゃん 早いねぇ 」
オーナーの従兄弟で
客に美味しいお酒を出してくれる滝さんが店に来た。
「 昨日のナンバー良かったね。
七瀬の事を 熱心に訊いて来たお客がいたよ 」
「 へぇ~。 男の人? 」
「 いいや。 グラマラスな女性。 相変わらずモテるね 」
私は ため息混じりに笑った。
滝さんは私より ずっと年上で
これまで 沢山の人と関ってきたらしく
いろんなことを知っていた。
歌の事、 恋の事、 お金の事、 人間関係・・・
ここで唄う仲間たちは 困った事は滝さんに相談する。
滝さんは 言い方も声も優しくて 話しやすい。
押し付けがましくなく 説教じみてもいない。
でも 時々、 ほろっと胸にくる言葉で
皆を元気付けてくれる。
伊織さんには 心の拠り所は あるのかな・・・
「 ねぇ 滝さん 」
「 んー? 」
グラスを キュッキュッと 磨いている滝さんに訊いてみた。
「 滝さんは 人妻を好きになったこと ある? 」
「 は? なんだよ、 突然 」
「 だって 滝さん いろんなこと知ってそうだもん 」
「 いやあ。 ひとの奥さんは 無いなぁ 」
「 へぇ・・・ 」
「 意外そうな顔するねぇ。 人妻って事は 不倫か 」
「 まぁね 」
“ 不倫 ” って 言葉にして出すと ちょっとキツイな。
「 大体、 そういうのは 七瀬の方が詳しいだろ 」
「 そうでもないよ。 これまでもそうだけど
私は お互い 遊びって 割り切ってるよ 」
「 何だよ。 本気で想ってる人妻がいるのか?
もしかして あの人か? えっと 伊織さんだったか? 」
「 違うよ。 あの人は そんなんじゃない 」
「 ま、 ほどほどにしとけ。 火傷したら痛いぞ 」
「 うん・・・ 」
伊織さんは 暫く店に来なくなった。
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次に再会したのは 昼間働いている書店でだった。
「 あ。 七瀬さん? 」
私が書店で働いている事を
彼女に教えていなかったせいか 驚いていた。
私だって驚いた。
思いがけず出会うと どぎまぎして照れてしまう。
「 こんにちは。 伊織さん 家、近いの? 」
「 ううん。 今日は ちょっと・・・ 」
それ以上は言わなかった。
私も 訊かなかった。
昼間の彼女は 質素な佇まいで
それでも 可愛らしさと 色気も上品さも感じられる
“ 良いとこの奥さん ” という感じだった。
「 また今度 店にも来てね 」
唄っている方の店だと伝わっていた。
伊織さんは 少し微笑んで ひらひら手を振って書店を出た。
後姿が 周りの景色ごと 白くフェードアウトしていくようで
私は 引き寄せられるように 彼女を追いかけたくなったが、
丁度 書店の客に 本を探してほしいと頼まれた。
次に見たときにはもう 伊織さんの姿は 何処にも無かった。
~ つづく ~