今日はクリスマス・イヴ。
年末のこの時期、 診察に訪れる患者が多く
クリスマスだからと 浮かれる暇などない。
街には恋人たちのラヴソングが華やかに流れ
誰かといないと寒さが身に沁みる様な
愚かな錯覚さえ抱かせる。
( 由季さん イヴは どうするのかしら・・・ )
何日か前から そんな事を ふと 考える自分がいる。
そして嘲笑するのだ。
自分を。
愚かな錯覚を抱いているのは
私自身であることが 可笑しくて。
家に帰ろうと外に出ると
私を待っていたように 風が音を立てて体に吹きつけた。
「 寒い寒い 」
車に乗って 私は携帯電話を見た。
友人や 妹からメールがあった。
「 Merry Christmas 」
素直に嬉しく思う。 温かな気持ちを込めて返信した。
由季さんからは メールも着信も 無かった。
§
車を止めて 玄関に回ったとき
私は動けなくなってしまった。
暗い夜の空気の中、
まるで 深海に住む 光を放つ魚のように
その人は ゆったりと私の目に 煌めいて届いたのだ。
「 由季さん・・・ 」
「 あ・・・ お帰りなさい 」
なに? どうして?
ここで 何をしているの?
琴子さんのところに行ったんじゃないの?
いつから 待ってくれてたの?
頭に沢山の質問が浮かんだが 何も訊けず、
ただ 目の前にいる人を見つめる他なかった。
「 これ 一緒にどうかと思って 」
彼女は手に持ったケーキの箱を 少し持ち上げてそう言った。
私は 拍子抜けした気持ちになって 笑ってしまった。
§
「 なに? 可笑しい? 」
キッチンに向かいながら 由季さんも笑う。
「 ううん。 なんにも 」
本当は 抱きついて その頬にキスしたかったけれど
そうしない距離の 言いようの無い甘さが幸せだった。
この人といると 自分が柔らかくなるのが分かる。
「 あ・・・ やっぱり。 ね? ちょっと崩れてる 」
ここへ来る時に
飛び出してきた猫を避けて バランスを崩したらしい。
ケーキも少しだけ崩れていた。
残念そうな顔。 子どもみたい。
「 いいの。 味は一緒よ 」
慰める私は あなたにとって ただの おねえさん?
二人で 食器を出して
少し時間をかけて紅茶を入れる。
部屋は暖かく 灯りも優しい。
こうしていることが 本当に自然に思えた。
「 甘すぎなくて おいしいでしょ? 」
「 そうね 」
( 私は あなたといると なんでもおいしく感じるのかもね )
そんな可愛らしい言葉が素直に言えたら どんなに良いかと思う。
何て事の無い会話で満ち足りてゆく単純さに 素直に浸っていたい。
明日は由季さん 早いのかしら・・・
今日は帰るんだろうな・・・
時間を忘れたい気持ちにも 自分でブレーキを掛けてしまう。
それが時々 悲しい・・・
「 夜になると やっぱり冷え込むね 」
「 そうね 」
「 飛び出してきた猫 ノラ猫かな? 」
「 うん・・・ どうかな 」
「 診察は大晦日までやってるの? 」
「 そうよ 」
頬杖をつくその顔に どこか あどけなさが残っていて可愛い。
「 聡美さん 」
「 なあに? 」
「 私のこと 好き? 」
優しい瞳で見つめられて 私は催眠術にかかったのか?
金縛りにあってしまったように 動けなくなった。
ちょっと・・・ ちょっと 何なの いきなり。
いつも いつも この人は。
好きか なんて、 今更 何言ってるのよ。
琴子さんのところに行かずに うちに来たりして。
もしかして フラれたから ここに来たのかしら・・・
私は理不尽にも 腹が立ってきた。
「 由季さん・・・ 好きかどうかなんて
お互い 訊くのはやめましょう 」
「 え? 」
私は なるべく優しい声で言った。
そうよ。 醒めなきゃ。 この人とは 遊びなのよ。
「 もう お帰りなさい。 明日早いし。
あなたも仕事でしょ? ケーキありがとうね 」
「 ああ・・・ うん 」
浮かれていた自分が情けない。
若い娘じゃあるまいし。
由季さんに腹を立てるなんて間違ってる。
この人はケーキを一緒に食べたかっただけなのに。
この人とは 遊びのつもりだと 自分に言い聞かせた。
だから あなたも割り切って と 伝えたのに。
自分で言っておきながら 体だけじゃなく
心まで求めていた。
( いつか 一緒に暮らそう )
そう言ってくれた時も
現実を求めないよう 自分の感情を抑えたのに・・・
悔しいのかしら。
悲しいのかしら。
私は理由の分からない気持ちに負けまいと
涙を必死にこらえた。
「 じゃあ・・・ 片付けてから・・・ 」
「 いいのよ由季さん。 私がするから置いてて 」
「 でも 」
そんな困った顔しないで。
この人は知らないんだわ。
この人が帰った後
いつも私の心が この人の心を求めている事を。
この人が私を知る ずっと前から
私が この人を見ていたことを
ずっと 惹かれていたことを
思い出して泣いてしまう日があることを
この人は知らない。
知られたくない。
「 ごめんなさい 」
「 由季さんが謝る事無いわ。 寒いから気をつけて帰ってね 」
「 今日は クリスマスだから 」
「 え? 」
また・・・ 何を言い出すの?
どうしていつも 私をドキドキさせて困らせるの?
「 クリスマスって・・・ なんていうか・・・
一番大事に思ってる人と 一緒に居たいものなんじゃないの? 」
「 え・・・ ええ? 」
聞いた言葉が 理解できなかった。
大事・・・ 大事? 何が?
「 一番大事なのは聡美さんだから 今日ここに来たんだけど 」
私は全身の力が抜けて その場にしゃがみ込んでしまった。
「 ちょ、ちょっと 聡美さん! 」
「 何なのよ・・・ 何言ってんのよ由季さん、 いい加減にしてよ 」
年齢だとか 医者だとか 冷めた性格だとか
自分を覆っているものを この人は全部剥ぎ取って
私を少女にしてしまう。
悪態をつきながら 涙が溢れて止まらない 小さな私がいた。
どっちが年上だか分からない。
「 私は 聡美さんが好き。
もうずっと前からだよ。 気づかなかったの? 」
この人が 琴子さんを まだ忘れていない事は 私には分かる。
でももう 今の言葉で十分だった。
「 由季・・・ 」
なんとも情けない グチャグチャな顔だったろうと思う。
そんな私を 由季さんは 大事に大事に抱きしめてくれた。
順番が逆だ。
これから 恋愛が始まるなんて。
§
あなたが あのひとを想って 泣く夜もあるでしょう。
あのひとに さよなら と
自分に 言い聞かせる時もあるでしょう。
それでも私は 多分・・・
そっと あなたを待ってる。
Merry Christmas
雪の灯りが 私を優しく包む夜。
愛するあなたが 誰よりも 幸せになりますように。
おしまい