彼は すぐ傍にあった喫茶店の駐車スペースに車を止めた。

3ナンバーの大きな車なのに とてもスマートに駐車する。


「由季さん」と名前で呼ばれ 背中がゾワゾワした。

互いにきちんと自己紹介してもいないのに名前で呼ばれるという事は

それが 彼と琴子さんが親密に会話している光景を思わせた。


「ど、どうも・・・ 外山です」

私はわざと 苗字を名乗った。

「あぁ。 失礼しました。 先日は工場でお会いしましたね。

結城恭といいます。右目、大丈夫ですか? はやりめ?」


私より背の高い彼は 少し前かがみになって訊いてきた。

「あの・・・いえ、まぁ ちょっと・・・・」


目を守る保護眼鏡もつけずに エアーで破片を吹き飛ばしたから と

大元の会社の、 それも上の人間の彼に説明するのが嫌だった。

なんで よりによって この人が琴子さんの元夫なんだろう。


少し間を置いた後 彼は 「お大事に」と言った。

左目だけの 私の顔の周りでそこにはいない

大きな羽音のする虫が飛んでいるような錯覚を感じた。


「外山さん。 君と一度話したいと思っていたんです」

「話?・・・って 何を・・・」

私は彼の目を見ないまま訊ねた。

「琴子の事です」

見上げると彼は真っ直ぐに私を見ていた。

分かってるんだろ? とでも 言うような目で。

会いたくはなかった。

一番会いたくない人と結局 私は日曜日に会う約束をした。

彼が 会ったばかりの私の気持ちに すでに、

いや とっくに 気づいている  という直感がそうさせたのか。


§

次の日、休憩時間に工場の裏で ひとりしゃがんで陽に当たっていたら 

美加ちゃんが近寄ってきた。


「やっぱりここだった。 外山さん、目はどう?」

私は彼女に 微笑んだだけで返事をしなかった。

彼女は隣に座り 缶ジュースをクイッと飲んで

「おいしー。 このジュースさ、ほかでは あんまり売ってないんだよね」

そう言って 「飲む?」 と差し出した。

私はコーヒーの缶を少し持ち上げて見せて ありがと と微笑んだ。


「この場所 意外といいね」

腕と背筋をグーンと伸ばした後 美加ちゃんは続けた。

「外山さん  恋でもしてんの?」

「ええ? ・・・ハハハ。何言ってんの?」

「ごめん。昨日さ、仕事が終わって お姉ちゃんの店にいたら見ちゃったんだ。

外山さんが男の人と一緒にいるとこ」

あぁ・・・  結城さんの事か。


「最近 外山さん 明るいし・・・・

ね。あの人って前に工場に来た “偉いさん” だよね?

やっぱり知り合いだったの?それとも あの時気に入られたの?」


フッ。フフ。何言ってんだろ このコ。

悲しいくらい 笑ってしまう。 

そうか。 傍目にはそんな風に見えるんだ。

本当の事を言ったら このコ、びっくりするだろうな。

私を気持ち悪がって もう話もしなくなるかもしれないな。


「あの人とは何でもないよ。 そんなんじゃない。絶対」

できるだけ柔和に笑って見せたが、

片方だけだけど 目が笑っていないのが美加に分かったようで

「そう・・・ そうなんだ。  ごめんね・・・・  ごめん・・・」と

何度も ごめん を繰り返した。


「美加ちゃんは 素直で可愛いね」


そう言って 足元から少し離れた 小さな花を見た。

一匹の虫が 花の周りに飛んできてる。

蜂   か?。。。。。  よく見えないな。。。。


ふいに 美加ちゃんは ガバッと立ち上がって

「あの・・・今度またお姉ちゃんの店においでよ。その時 私もカットしてもらお」

自分の髪をクシュっと触りながら 工場の中に入っていった。


面白いコだなぁ。コロコロ表情を変えて。

若い頃って あんなに可愛らしいんだ。

自分にも あんな頃があったのかな。

琴子さんはどんな娘だったんだろう。

どうやって彼と知り合い 愛し合い結婚し別れたのか。

・・・・・どうして顔を隠しているのか。

私は彼女の“これまで”を何も知らない事に今更ながら気づいた。


昔のことには興味は無かった。

過去を積み上げて“今”の琴子さんになったのだから。

何も知らないけど 

今度あの手に触れたならもう 離したくないと願ってしまう事は分かっていた。

だから触れなければいいんだ。

会わなければいい。想わなければいい。

でも それができるなら こんなに辛くない。


右目に入った破片は もう残っていないけど 

琴子さんと結城さんを思うと 

無いはずの破片が奥に奥に刺さっていくように疼きだす。


ジリリリリリー!

工場のベルが鳴った。

仕事のことだけ考えよう。休憩時間が短くて 有り難いと 初めて思った。


§

日曜日、待ち合わせの喫茶店に行くと 結城さんはもう来ていた。

「あ、  こ、こんにちは。すみません。遅れてしまって」

「こんにちは。 いえ、時間通りですよ」


彼は見ていた書類をまとめていたが 一旦動きを止め

「これ・・・ 本当は外部に見せるのは いけないんだが」と

何枚かある書類の一枚を見せてきた。


車のエンジンの写真やグラフが描かれて

英語ではないと思われる 外国語の文章が書かれている。


「・・・ あの・・・ これ・・・・」

「琴子が作ったんです」

「え?! ・・・琴子さんが?」

「彼女の仕事だからね」

「仕事・・・って・・・仕事してたんですか?」


結城さんは 知らなかったの? と私を見た。

「あの、 通勤してたんですか・・・・」

「いや。  自宅で」

家でできる仕事って本当にあるんだ・・・


琴子さんがこんな難しいものを作っているという事が新鮮だった。

でも そんな風に見えなかったけど・・・


「あの、 どうして家で・・・?」

「君は彼女を どう思ってるの?」


いきなり核心を突いてこられて たじろいだ。

「友達・・・としてなら これ以上は僕からは言えない」


なによ・・・それ。 

話があるって呼んでおいて。

いや・・・ 解っていて呼んだんだ。確かめたかったんだ。 きちんと。

この人の目は 私の気持ちを全部見抜いている。

この人には 嘘で取り繕う誤魔化しは効かない。


「わ、私にとっては 特別な人です。 友達としてではなく」

彼はブラックコーヒーを一口飲んで 

「そう・・・」と言った。


「琴子はね。 対人恐怖症なんだ」

「え・・・・ た、たいじん?」

「顔、布で隠してるだろ? ああなったのは 離婚してからだけどね」


対人恐怖症・・・って。

「あの・・・  何かあったんですか? その・・・どうして別れ・・・」

「琴子は僕と居たとき 死のうとしたんだよ」


「・・・・  は?」

死ぬ?   し、死ぬ って  な、何よ。

事の重大さとは反対に 彼はサラッと私に告げた。


「由季さん。 君のために言うけど」

私は彼の目をじっと見つめた。

右目に飛んできた破片どころではない物が刺さろうとしているのを感じながら。


「君じゃ もたないよ」

全身の血が 沸き上がって恐ろしいほどの速さで体中を走るのが分かった。


ポタッ  ポタッ  ポタッ  ポタッ


「由季さん、 君、大丈夫か?」


テーブルの上の コーヒーカップのすぐ手前に

真っ赤な鼻血が 花を咲かせるように 幾つも落ちていった。

       つづく