部屋に入ってきたその娘の尋常ではない雰囲気に、
私は驚いて おもわず立ち上がった。
「あぁどうぞお掛けになって。今お茶でも」
「あっ・・・・ あのっ」
母親は無駄の無い挙措で部屋を出て行ってしまった。
どうしよう・・・・ どうしよう・・・・
悪いけど私の横に顔を隠して突っ立っているこの女は普通じゃない。
私は 何も無いただ真っ白な実験室に閉じ込められたような感覚に陥った。
来るんじゃなかったと後悔した。
だが このままこの人を完全に無視して
黙ってここから出て行く事はさすがに気が引けた。
この人 齢は・・・ 幾つぐらいなんだろう・・・
「私、江藤琴子といいます。28歳です。」
「っ!!」
心を読まれたかと思って 心臓が飛び出るほど驚いた。
「あなたは?私より二つくらい年下かしら」
「あ・・・・はい・・・ と、外山・・・由季です・・・27歳です・・・」
そう言うと 彼女の瞳が柔らかく微笑んだように見えた。
「今日は本当にすみませんでした。
無理に来て頂いたんじゃありませんか?」
「・・・い、いえ・・・・」
「ごめんなさいね。驚いたでしょう?私、こんなだから」
私は 猛烈に自分が恥ずかしくなった。
普通じゃないだなんて・・・・
私は自分が上手く話せないから
誰に対しても偏見の目で見る事は無いつもりだったが、
それは本当に ただのつもりに過ぎなかったのだ。
この人は顔を隠してはいるけれど 私なんかよりずっと上手に話す。
「これ・・・ 怪我をしている訳ではないんです」
あ・・・あぁ。そうなんだ・・・
「付けていると気持ちが落ち着くんです。
でも・・・失礼ですよね。外しますね」
彼女が頭の後ろにある布の結び目を解こうとした瞬間
私は咄嗟に手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。
(外したくなければ 外さなくていい)
言葉に出しはしなかったが彼女には伝わったようだった。
「・・・・ありがとう」
間近で見た彼女の潤った瞳に ほんの少しドキッとした。
自分の手を元に戻す時、
親指の爪の間に 工場の部品の油が付いているのが見えて、
さっと両手で隠してしまった。
そんなことしなくてもいいのに。
つい先程まで彼女を気味悪く思っていた自分が 更に恥ずかしくなった。
その時、母親が部屋に戻ってきた。
「ごめんなさい、珈琲でよろしかったかしら」
「は・・・あの・・・いえ、どうぞ・・・御構いなく・・・」
母親の明るい対応に違和感を感じずにはいられなかった。
私をこの家に連れてくるまでは 今にも泣きそうな感じだったのに。
別にどうでもいいけど・・・
母親はまた直ぐに部屋を出て行った。
そもそも琴子さんは 私を何時何処で知ったんだろうか。
「車で時々工場の近くを通るんです。
それで・・・貴女を見かけるようになって。
以前、いつだったか同僚の方と小柄な女の人。バス停の方に歩いていらしたわ」
同僚? あぁテイさんか。
「とても仲の良い感じに見えました」
「あぁ・・・ハハ・・・まぁ・・・」
とても って程でもないが 別に否定することでもない。
「由季さんは背が高いですね。170cmくらい?」
「は、はい・・・」 (本当は174なんだけど・・・)
ふいに沈黙が訪れた。
壁掛時計の秒針の音がくっきりと響いてきた。
その時、
琴子さんは立ち上がって部屋の隅にある小さなテーブルの上の本を持ってきた。
「この人・・・・ 御存じかしら」
Kei Honda 本多 圭
「いいえ・・・・」
「バイオリン奏者なんです。圭さん」
「はぁ・・・・・」
バイオリンって言われても。
私は私と彼女の間の
何か 差のようなものを感じて思わず鼻で笑いそうになった。
が・・・・
その圭さんとやらの写真を
小さなロウソクの仄かな灯りを見つめるような瞳で見ている琴子さんを
笑うことはできなかった。
「あのもうそろそろ・・・か、帰ります。お邪魔しました」
「えっ。 あ・・・そう ですか・・・」
申し訳ないと感じる必要はない。
部屋を出たところで母親にもう少しと引き止められたが
明日はまた仕事だもの。
二人に挨拶をし私は家を後にした。
角を曲がろうとした時 後ろから琴子さんが追ってきた。
「あの・・・今日は本当に ありがとうございました」
「いえ・・・」
「お話できて嬉しかったです」
・・・・・もうこの人と会わないだろう。
そう思った時、
琴子さんは顔を覆っている布の結び目に手を掛けようとした。
また私は それを遮ろうとしたが今度は違っていた。
彼女は私の手を結び目にあてた。
私に 私の手で布を取らせようとしたのだ。
それに気付いた私は 全身に電気が走ったように固まった。
大袈裟な。 顔の布を取るだけなのに。
そう思おうとしたが
私には この布がまるで彼女の身体を覆っている布に思えてしまったのだった。
どうしてなのか・・・・わからない。
琴子さんの顔を初めて見た。
色が白いのが夜の暗さの中でも分かる。
鼻筋の通った ふっくらとした唇のとてもとても綺麗な顔だった。
「本当に今日はありがとう」
そう言うと彼女は足早に帰っていった。
返事が出来ないまま私は琴子さんの後姿を見ていた。
§
その日アパートに帰ったら
先ほどまでの事が嘘のように思えてならなかった。
でも・・・・
今夜はもしかしたら琴子さんの夢を見るかもしれない。
しかし、やはりいつもと同じだった。
私は夢を何も
何も見なかった。
つづく