急いで家に戻り、着物に着替え
まとまった金を持って 高梨君の療養所へ向かった。
陽は傾きかけていた。
◇
サナトリウムの廊下は病院独特の消毒の匂いがした。
その中に 天花粉の香りが混ざっているように思えた。
赤ちゃんが入院しているのだろうか・・・・
赤ちゃん・・・・
僕はどうしても千鶴さんの赤ちゃんが欲しい。
けれどそれは絶対に叶わないのだ。
たとえ僕が女性であっても
宮園の血は 後世に遺すわけにはいかない。
ならば・・・
この体に あの人の分身を刻み込むしかない。
カチャ
高梨君の病室は個室だった。
彼は僕を見て目を瞠った。
「宮園君・・・・どうしたんだ一体。
こんなところに来てはいけない。 早く帰りたまえ・・・ゴホッ」
「頼みがある」
「・・・・頼み? 君がこの僕に?」
「君にしか頼めないんだ」
「断る」
まだ何も言ってな・・・・
「病床の僕に、ではなく 父の仕事の関係だろ?」
しばらく言葉も出ずに 二人見つめ合った。
「彫師を紹介してほしい」
「何のためだ。 宝生さんの望みか」
「違う! 千鶴さんは・・・・入院しているんだ」
僕は高梨君に 千鶴さんの病状を伝えた。
「彫師って・・・ 君が刺青を入れるのか?
そんな事をしても 宝生さんは喜びはしないぞ」
「うん・・・分かってる。 多分嫌われる」
「あやふやな感情論で一生を台無しにする気か!
何故 修羅の道を選ぶ」
あやふやではない。
確固たる・・・そう、これは千鶴さんへの執着だ。
「大学はどうするんだ、水泳は必須科目だぞ。
・・・いや、そうじゃない。
僕が言いたいのはそういう環境的思慮ではない・・・
君が言うのか?
愛する男の分身が欲しいと 君が僕に言うのか?
(・・・・・・覚えておいて下さい。 もし雪君に何かあったら・・・・その人の身に。
僕は地の果てからでも駆けつけて 貴方を見つけて必ず殺す!)
「僕は・・・・鬼だ」
君の気持ちを知っていて 千鶴さんへの想いをぶつけるなんて・・・・
「鬼が何故泣く。 鬼なら笑え」
「え・・・」
「鬼なら僕をもっと不幸にしろ。 わかるか?
不幸にするためには 幸せにしなくてはならないんだ」
言いたいことは分かる。
でも どうすれば・・・・
「一度でいい・・・願いを叶えてくれないか。
雪。。。と呼んでもいいかい?」
僕は頷いた。
「雪・・・・抱きしめてもいいかい?」
僕はこの人を幸せにできるのだろうか。
たとえ 刹那であったとしても。
横たわる高梨君の額にかかった前髪を上げ 僕は彼の上にのしかかった。
「雪・・・・雪・・・・」
僕は そっと、 彼と口づけを交わした。
朝露のような口づけだった。
「一度でいい・・・雪と京都に旅行に行きたかったなぁ・・・・」
涙を流しながら 僕らは見つめ合った。
「彫った後に京都に行くよ。 檸檬を持って」
「檸檬か・・・・僕は檸檬になって君と京都に行くんだね」
「ああ。そうだよ。 そしていつか本当に行こう」
「ここに・・・・ゴホッ・・・・行けば 日本画の先生が彫師をしている。
彫一さんというんだ。
父の組の人たちがお世話になっているんだ。
僕の名前を出すといい。 悪いようにはしないはずだ」
「・・・・すまない・・・・本当にありがとう」
「さぁ往くがいい。 君は僕を幸せにして不幸にする鬼だ。
最愛の・・・・ひとだ。 幸運を祈る」
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「宮園さん できましたよ」
気がつけば朝になっていた。
「見るかい? 合わせ鏡を用意しよう」
「あ・・・・ああ・・・・」
僕は鶴を背中に見て 涙が溢れて止まらなかった。
なんという安堵感。
僕が欲してしたものが この体に確かに宿っている。
「お代を払います。 いくらですか」
「最初に話したように 私は経緯を重んじるのだ。
もう一度 日本画を描こうと思わせてくれた。
君に感謝申し上げる。
それに・・・・丁二君から3倍ほど貰っているからね」
「・・・・やっぱり貴方は ラスプーチンのような人だ」
「はは・・・さて これからどうするんだい?」
「京都に行きます」
「そうか・・・・自分を探しに行ってくるといい」
「はい」
◇
高梨君との約束、檸檬を持って京都へ行こう。
梶井基次郎の檸檬と 高村光太郎のレモンを持って。
祭さん、素敵な絵を 本当に有難うございました。
千恵・ぐりこ

