私が20歳の時を振り返って今思うことを書いてみます。

 

私は1番目の夫と付き合っていました。彼は1つ年下で車の営業をしていました。

私はその事務の経理に所属し社内恋愛だったのですが、彼は、女性と付き合ったことがなく、私とお金に対して細かい人でした。おごってもらったこともなく常に割り勘。そんなことは、気にしていなかったのですが、たびたび彼が怒るようになりました。

 

喧嘩になると罵声をあげ、ゴールデンウィークの旅行中も些細なことで口論となり、福島県会津若松で車から降ろされ、たまたまお金を持っていたので良かったのですが地元の人に駅を聞き、電車と新幹線で帰ってきました。

その時宿泊するだった旅館もキャンセルしました。キャンセルしたことを知った彼はすぐ住んでいる京都に車で帰ってきて私に謝りました。

 

許してしまった私もバカなのかもしれません。

 

また、自分の思い通りにならないと私のおなかを蹴り飛ばしたり、それで入院したこともあります。

それでまた、謝りの繰り返し。

今度は、思い通りにならないと髪の毛を引っ張ったり、暴力が絶えずありました。

 

何故結婚したのか?私は彼にマインドコントロールがかかっていたのかもしれません。結婚したらかわるかな?

子供ができたら変わるかな?と信じていた自分がいたのです。結婚しても給料明細も見せてもらったことがなく、生活費10万円だけ渡され、子供の服も買えない状態で私の美容室も行けなく、化粧品すら買えずにいました。

 

車の営業をしていたので土日は、私が子供達をキャラクターショーやイベントに連れて行きました。

 

彼が連れて行くところは、自分の好きな歴史に出てくる人の城や墓石巡りで、子供達も退屈そうに一緒に行かないと怒るので仕方なしでついていきました。

 

私がだんだん離婚を考えたのは、この先子供が大人になって本当に彼といたいのか?とママ友に聞かれたこと、また一緒に看護学校行かない?誘われたこと。

 

この先の人生またDVやモラハラを受けると思うと怖くなった。自分の身なりを見ても服が買えない、子供たちの服もおさがりばかり。そういう生活が嫌になった。自由もなかった。四六時中電話がかかってくる。子供達にも彼の部屋に入ってお菓子を食べて怒って手を挙げる。こんなの幸せじゃない。

 

私は勉強し、まず准看護学校に受かり、勉強、実習記録、子育て、仕事、家事をこなし寝る時間を削って准看護師をとった。でも、どうせ勉強したのだから、正看護師になりたい。そう思って受験し働きながら行ける学校に通った。その時も夫からの援助はない。保育園代も私が働いて支払わないといけなかった。

 

ある日、彼の休みと実習のレポートをグループワークでする日と重なり彼に一緒に今日は過ごせないことを伝えたが、

納得されず、帰ってきて子供たちを寝かせてから彼が部屋から出てきて子供たちをたたき起こし出ていけ。と大声で言われ、子供たちを引きずり下ろしお母さん出ていくからお前らも出ていけ。と子供に話した。私は、実家に帰り、そこからずっと悩み、相談する相手もいないで調停で離婚手続きを進めた。

 

それから実習中も嫌がらせの電話やメールがきておかしくなりそうになったが、親権をとるために、生活できるように看護師の試験に合格し、調停離婚が成立した。

 

そのころ、離婚の知識が全くなかった私は、弁護士に依頼したが、今離婚カウンセラ  ーで習っている知識、別居も彼からお金がもらえる方法や慰謝料、養育費のことも弁護士は、教えてくれなかった。モラハラという言葉もこのころは、

なかった時代でなかなか理解してもらえなかったのもある。

 

だから、私は子供も自分も笑顔を取り戻すために動いた。

今はモラハラという言葉は当たり前のように効く世の中。だからこそあなたが、冷静になって、お子さまやあなたが笑顔を取り戻してほしい。私は、あなたを応援しサポートしたいと思っています。