次男が会いにきてくれて、
2、3日父の体調は良いように思われました。
病は気から。
現実にあるのかもしれません。
ですが、
次の週に入ればまた元通り。
いや、
それよりも悪くなっていたのかもしれません。
数週間後には、
父は車椅子になりました。
とにかく、
足の痛みがとれない。
この頃からは、
夜中20分起きに母が父の様子を見るようになりました。
痛みが増し、
母はずっと優しくさすっていたようです。
昼も夜も眠れずに、
食事も取れない。
母も父の看病で疲れが見え始めていました。
この頃から母には、
病院の付き添いはもうしなくていいと伝えました。
それは、
病院に連れて行く間休んで貰うためです。
週3日、
個人病院で栄養剤を入れてもらい、
月に2日、
総合病院で検査を受けていましたが、
検査を受ける事も辛くなっていました。
血液がとれない。
病院関係者ではないので、
詳しい事はわかりませんが、
血液があがってこないので、
太ももから血液をとるしかないのでと言われました。
病院に行けば行くほど、
寿命を奪われているかのようでした。
血液検査や尿検査をしたからといって、
特におかしな数値が出るわけでもなく、
それ以外の検査をするわけでもなく、
精神的にも、
体力的にも限界が近いようでした。
とにかく、
足の痛みを訴えましたが、
内臓からくるものではないのでと医師は頭を抱えるばかりでした。
もう少し詳しい検査をしようにも、
造影剤を使えば、
腎臓に負担がかかり透析になる可能性が高くなるというネックもありました。
それも、週4回ほど車でしか行けない総合病院にです。
送り迎えがある病院もあれば、
無い病院もあり、
こればっかりは空き状態によるので選ばれないと言われました。
現実的に厳しく、
先の見えない状態に完全に陥ってしまった感覚でした。
薬の問題もありました。
薬の問題から母との衝突もあったようです。
母は昔の価値観に囚われている人です。
それも祖母《私からみて》からの教えを曲げる事はなく、
私にきつくあたる時もありました。
食事がとれないから、
薬は飲まない方が良い。
(胃に負担がかかるため)
母も別に故意に薬を飲まさなかった訳ではなく、
祖母からの教えを忠実に守っていただけです。
ですが、
医療も時代と共にアップデートしていき、
日々変化していきます。
ですが、
母の考えは昭和で止まったまま。
昔からそういうから。
私の時代はそうだったから。
ある意味祖母の呪縛のようでした。
どの時代でも、
親子関係とは難しいものなのでしょう。
父も母も、
そして私も。
何かしらが足りない人間なのかもしれません。
それは所謂、
愛情というものなのかな。