手術は系列の病院でしました。







地元の病院は田舎なので小さい為、

手術の対応が難しく、

(専門的な医師がいない)

仕方のない事ですが、

車で30分ほどの病院に入院しました。









入院の手続きや付き添いは私がしましたが、

感染病の影響もあり、

中まで付き添う事もありませんでした。









手術当日も付き添いが出来ず、

術後、

担当医師から電話で連絡があるのみでした。









父の手術は無事に終わり、

入院も1週間ほどでした。










自宅に戻ったばかりの父は、

どことなく元気がありませんでしたが、

数日過ぎれば元通り元気になっていきました。









しかし、

1カ月ほど過ぎた頃。

救急車で運ばれました。

診断は胆嚢炎。

小さな胆石が詰まった事が原因でした。









次は胆嚢って。

臓器の中でまともなのは胃だけしか残ってないな。

苦笑いしていた父でしたが、

この頃にはもう自分の中で何らかの違和感を感じていたのかもしれません。










その一ヶ月後。

父は歩く事がしんどいというようになりました。

何よりも人に弱った姿を見られたくない父でしたから、

杖をつく事を拒みました。







そんなかっこ悪いものが使えるか。










多少辛くても、

玄関の外に出てバイク(原チャリ)に乗り、

海に行く事が日課でした。









海の帰りに私の会社に来て、

顔を見て帰る。









自分がまだ大丈夫だというのを見せたかったのかもしれません。









ですが、

その姿を見ていたのも束の間。

父は杖をつかないと歩けなくなりました。






足が上がらない。









杖を持った父は、

どことなく気恥ずかしいようでしたが、

誰もそんな事はきにしていませんでした。










ただこの頃には以前とは違い、

急に老いたようでした。










病院でその事も伝えましたが、

医師も首をひねるだけで、

何かの検査をする訳でも、

薬がでる訳でもありませんでした。

何故ならば、

父の体の状態から足に痛みが出るという事はないだろうと思っていたからです。










杖をつきだした父の体調は、

転がりおちるように悪くなっていきました。







まともに食事がとれなくなり、

週に2度、

通院し点滴を打ち、

気付けば水分をとる事も難しくなりました。







杖をつくどころか、

まともに歩くことすら出来なくなり、

家の中は最低限ですが、

介助ベットや介助トイレ、

お風呂場や廊下、玄関にも手すりが付きました。






あれだけ大きな声で喋っていた父が、

気づけば何を喋っているか、

こちらが一生懸命聞き取らなければならず、

その事が余計に父のメンタルを崩していったようでした。








また中学からお電話がきましたー悲しい

もう嫌になるガーン




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