三男の療育を始めて一年が過ぎた




療育と言っても三男の場合は困っている事に対してのアドバイスを受け、薬を処方してもらうだけになっている。





しかし、ここに至るまでには
色々な検査を受けなければならなかった。
もう嫌だ行きたくないと言う三男をなだめながらの通院。

三男の為にやっている事も、自分の為の事のように思えていた。





けれど、最終的に診断がおり薬を処方してもらっただけで、随分と楽になった事は間違いなく三男にとっても私にとってもプラスにしかなっていないと思っている。






療育センターに行けば発達障害だけではなく、身体的に障害を持っている人達も多くいるし、年齢も様々だ。

皆、付き添いの家族が笑顔を見せていたし、障害に向き合い受け入れているように見えた。

けれど、実際は色々な苦労や葛藤があるのだろうと思う。




学校や教育相談、療育センターでADHDを受け入れた事をすごいと言われるが、受け入れない人はダメな人なのかと言えばそうではないと思う。



確かに見ていて明らかに輪を乱す子がいたとして、あまり知識のない人でもあれ?と思うような子がいたとする。


周りから、貴方の子ちょっと、、、
と言われて傷つかない親がいるのかと逆に思う。



気付いても気付かないフリをしている親が別に悪い訳でもない。


知識がある人と無い人
親という立場と他人


子に対しての捉え方が違って当たり前だと思う。




気付いていたとしても必ずしも受け入れられるかはわからない。

そう言った気持ちを考えた事があるのだろうか。



教育相談や療育センター。

その他の機関に繋げて終わりの人達と、実際に行って色々な事を痛感する人達の差がある事。


色々な事に対して困っている。
だから、手を差し出している。
だけど、手を差し出して終わりならそれは差し出された側にとっては辛いと思う。
差し出したからには、しっかりと掴み引っ張り上げて貰いたい。


そこまでやる覚悟を持ってやらなければ、ただただ溝が出来、更にその溝を埋められないまま時が過ぎるだけなのではないだろうか。


本人が生きづらいから

お子さんの為だから

それは間違いなくそうだろう。


だけど、うちの子はそうじゃない。
そう思ったとしてもモンペでも何でもない。
普通の親としての感情だと思う。





ADHDの事を書き始めてコメントやメッセージで皆様から温かいコメントやメッセージを頂き感謝でいっぱいです。


同じ立場の方からも、このくらいの事で指摘されて悲しかったと言うのも聞きました。

悲しみや葛藤があって当然です。

今、私自身、次男三男とADHDに対して向き合って受け入れているように思いますが、これから先はどうなるかわかりません。

次男は社会に出れば躓くかもしれない。

三男は反抗期が始まればまたガラっと変わり転げ落ちるかもしれない。


三男に至っては、支援級に行ったほうが良いと言われ、
別の道を模索しているのを間違いだと言われています。


普通というなのカテゴリーから外され

障害者の普通の道を歩くのが正解だと。

可能性だけで言えばその道を歩く事が正解率が高い。
それはわかっています。

私と三男が歩もうとしているのは崖ばかりのような道なのかもしれません。


ですが、私と三男が選んだ道は普通のカテゴリーに入りたいからではありません。


三男の選択肢を増やしたいからなのです。



受け入れられない人、違う道を選ぶ人を排除するのではなく、それを見守り支援し、選択肢を広げられる社会になるといいなと思っています。




先日アメンバー登録頂きありがとうございました。
お手数をおかけしますが、気持ちを汲んで頂き感謝しています。
今後ともよろしくお願い致します。