こんにちは(^^♪

 

いつも元気な魔女っ娘メグで~す!

 

まさか私の過去に

こんな複雑な事情があるなんてびっくり

 

いつもみんなビックリするのよね!!

 

あんた、なんの苦労もしてないよね~

と、そんな風に良く言われるなぁ~

 

 

 

第6通目

 

 

1か月強の念願だった憧れの母との生活

 

は、

 

私がおばさんの家に戻った形で

強制終了してしまいました。

 

妹が母の所へ戻ってからは

 

また以前と同じ生活に戻り

おばさんの家から2キロは歩いて

通っていた小学校

越境での通いだったが

 

今度は本当におばさんの家の校区の小学校へ

転校することになりました。

この2か月で2回転校してしまった。笑い泣き

 

やはり小学校によって

それぞれの特色というか雰囲気というか

全然違った。

 

でも直ぐにどんな環境にも馴染める性格なので

それなりに学校には馴染んで居ましたが

 

借りて来た猫状態

 

だけど・・・・

私が戻って来てからは

 

おばちゃんが(お父ちゃんのお姉ちゃん)

私の母親の事を私に愚痴るように

 

頻繁に話すようになりました。

 

 

おばさんから聞いた話

 

 

私が3歳

 

妹が2歳

 

弟は6か月(まだ乳飲み子)

 

この子供たちを置いて

 

男の元へ

 

家を出て行ったと・・・

 

 

 

突然出て行かれた親父が

仕事もいけないので

 

一旦、姉妹3人福祉施設へ入所することになったと

 

 

そこでも私は順応性があり

直ぐに馴染んで楽しく暮らしてたみたい

 

施設へ入って半年ぐらいたったある日

 

 

ここからは親父が教えてくれた。

 

男に捨てられた母が帰って来て

私を欲しいと親父に言ったらしい

でも、私は長女だし

 

お父ちゃんが大好きな子

 

親父が悩んだ挙句、

 

 

 

妹を手放し母親側へ渡してしまったと

 

弟は福祉施設に入ったままで

 

私はおばさん家での暮らし

 

妹は母親と暮らすことで

 

私達、姉妹は幼い頃だけの姉妹だった。

 

この事実を知り、

短い期間の母親との生活や

妹の暮らしぶりを間野あたりにしてから

私自身、学校へ行っても

 

授業中

ほとんど授業なんて聞いて居なかった。

 

いつもうわの空という感じで

頭の中は色々と大人の世界の事ばかり考えていた。

 

見事に私の中の母親像は

 

崩れ去ってしまい。

 

尚且つ、憎しみにというか

 

くやしさへ変わってました。

 

 

そんなある日

 

学校へ持って行く給食費

何度言ってもおじさんやおばさんが出してくれない。

 

親父がおばさんに私の生活費を

渡していると思っていたのに

 

出してくれない・・・ショボーン

 

 

クラスで一番最後

 

給食費を持って来て居ないのは私

 

夜、おばさん家を抜け出して

 

父親が住んでいる所まで

自転車で泣きながら行った時ほど辛い事はなかった。

 

勿論、愛情は注いではもらっては居たけど・・・

 

でも、肩身は狭かった

 

自分の生まれた環境や

 

親、姉妹との別れた理由を知り、

 

おばさん家で暮らしてる中で

 

だんだんと暗黒時代突入というか

 

母親が表れるまでの自分が如何に

 

幸せであった事に

気づいたんです。

 

 

わがまま言って

したい放題

 

みんなが可愛がってくれてた。

 

でも何も知らなかったのは自分だけ

 

大人の世界

 

 

ここからは子供なのに

 

大人感覚になって行きました。

 

大人の話には耳がダンボ

 

黙って色んな情報を聞いて学びました。

 

体験しなくても聞いていただけで

 

実際にその場面になった時

 

参考になると思って

 

実際に為になりました。

 

 

私は女

男の子よりも

 

 

やはり精神年齢は高いと思う。

 

小学校4年ともなると

 

自我もしっかり持っているから

 

普通に親や大人に隠し事をされる方が

 

おかしくなると思う。

 

子供はちゃんと親の顔色や

 

雰囲気で感じ取っている。

 

親が思う以上に子供は子供で

 

一生懸命自分の置かれている条状況は

なぜなのかを考えている。

 

私にとっておばさんの家で暮らしてよかった事。

 

3人いるお姉ちゃんのうち

二女のお姉ちゃんが私を大人扱いで

 

いつも私に向き合って話してくれた事に

感謝しています。

 

あの時、子供扱いのままでだったら

おそらくもっとおかしくなっていたんだと思う。

 

それと

なにより、毎週通っていた教会

 

おばさん、お姉ちゃん達3人とお兄ちゃん

みんな教会で日曜学校の先生や

聖歌隊をしていた事も

 

私にとっても大きな支えになっていたんだと思います。

 

家庭での生活以外の場所で

 

 

ほっとできる空間があるだけで

 

 

子供も心が落ち着くのでしょうね。

 

 

私の息抜きの場所だったのかもしれません。

 

 

小学校5年生のお正月

いつも恒例になっていた。

 

身内が全員おばさんの家に集まるの

弟も半年に1度、お盆とお正月は

施設から連れて帰って来て

お正月を一緒に迎えるんです。

 

 

親父の口から嬉しい知らせが

 

 

いよいよ、6年生に上がるタイミングで

 

親父と一緒に暮らすことに

 

やっとおばさんの家を卒業できるんです!

やはりめっちゃ嬉しい。

 

 

最後にここまでの話だと

 

 

母親が100%悪い母親でしかないのですが

 

実はもともとの原因は父親にあった❕

 

父親と暮らすようになって

 

徐々に本当の事が解ってくるようになりました。

 

つづきは次回へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは(^^♪

 

魔女っ娘メグでーす。

 

前回からの続き

 

 

第5通目

 

いよいよ私が思い描いていた

 

お母さん像が・・・・・・

 

 

本題に入って行きたいと思います。

 

お父ちゃんが大暴れして帰って行ってから、

 

ちょうど春休みに入ってました。

 

慣れない暮らしの中で

 

何となく妹や母方のおばあちゃんに

 

気を使いながら

 

母親の兄弟の家を転々と顔見せに回ってました。

 

 

お母ちゃんは7人兄弟の5番目で

 

女3姉妹の末っ子でした。

 

お母ちゃんの下には弟が二人独身でいました。

 

そのおじちゃん達が何かと

 

お母ちゃんの手助けをしていたように思います。

 

 

お母ちゃんはおばあちゃん、妹との生活をするために

 

お母ちゃんとお母ちゃんの弟と

 

二人でスナックを経営していました。

 

 

 

夕方になると着物を着て美容室へ行き

 

そのままお店へ出勤

 

夜中に帰宅という毎日でした。

 

父親がいないので

 

当然

 

母親が働いくのは

 

ただ、お母ちゃんがご飯を食べているのを

 

ほぼ見た記憶がありません。

 

お昼になると瓶ビールを飲んでいました。

おつまみも無くびっくり

 

 

お父ちゃんが諦めて

 

私の転校手続きをしてくれていたおかげで

 

4月から、一つ下の妹と同じ小学校へ通う事が出来ました。

 

妹は小学3年、私は小学4年

 

そんなある日

 

母親が妹と二人でどこかへ遊びに行くように言われて出かけました。

 

どうやらお母ちゃんの彼氏が

自宅へ遊びに来るみたいで

 

妹の事は彼は知っているが

 

私の事は知らないからだと妹から聞かされました。

 

 

自宅から妹と二人で歩いていると

 

妹の友達と会い

 

そこで妹もすかさず

 

友達に私の事を

 

親戚のお姉ちゃんだと紹介しました。

 

これも何気なく心が傷付いた一言でした。

 

 

そんなこんなでなんとか

 

 

お母ちゃんとの生活を過ごしては居たのですが

 

 

またまた大事件が・・・・・・・・・ガーン

 

 

学校から帰ってきたら

 

自宅に妹の担任が来て居たんです。

 

既におかあちゃんは出かけた後で

 

おばあちゃんが対応していました。

 

 

どうやら話を聞いていると

 

 

妹が学校で先生のハンカチを盗んだらしいのでした。

 

 

そこからまたまた大騒ぎ

 

おじさん二人がベルトを持ち

 

二人で交代で、奴隷をしばくように

 

私の目の前で

 

妹をベルトでしばいてました。

 

 

  そこへお母ちゃんがいつもより早く帰ってきました!

 

 

おじさんたちに変わって・・・・今度は

 

お母ちゃんが妹の目の前に

カミソリを持ってきて

 

妹に向かって

 

死ねと言ったんですびっくり

 

妹が死んだらお母ちゃんも死ぬからと・・・・

 

その次には妹の頭のてっぺっんの髪の毛持って

 

カミソリで切り出しましたショボーン

 

ついに

 

私は見るに見かねて助けに入ったんです!!

 

 

そしたら今度は私にお母ちゃんが

 

 

妹連れて一緒に出ていけ❕

 

だって・・・・・・

 

二人でぶたの貯金箱から小銭を出して家を出たのは・・・・・

 

 

 

おそらく夜8時は過ぎていたと思います。

 

仕方なく電車に乗って

 

私が元居たおばさんの家まで妹と一緒に行きました。

 

 

お母ちゃんの家に居た期間は・・・おそらく1か月と少しだった。

 

 

その期間で私の中の何かが変化していってました。

 

おばさんの家で何日か過ごしたのち

 

おじさんが迎えに来ました。

 

 

私は戻らないと言った。

 

妹にもここに居てるように言ったんだけど

 

妹はお母ちゃんの所へ帰って行きました。

 

 

戻って来た私に

 

あわてて会いに来たお父ちゃんに言ったんです。

 

妹が可哀想だと

 

 

 

私にとって

初めて出会ってからの1か月半

 

憧れていたおかあちゃんとの生活で

 

 

小学4年生になったばかりのタイミングで起こった事で

 

今までの自分の育った環境が

 

妹よりも幸せだったことを気づかしてくれました。

 

この時点では二つ下に弟が居たのも

 

すっかり忘れていたんですが(-_-;)

 

子供ながらに考えたんですね。

 

私はおばさんの家で

 

おばさんの旦那さんには気を使い

 

金銭的にも苦しい環境で

 

いつもボロボロの着た切り娘で

 

欲しいものも欲しいと言えずだったけど

 

おばさんの美味しい料理や愛情を感じ

 

お姉ちゃんたちが可愛がってくれてたことを

 

心でちゃんと感じとっていたんです。

 

 

そして

 

妹の暮らしぶりを垣間見て

 

確かに金銭的、物質的には

 

私より遥かに恵まれていました。

 

母方の兄弟は会社経営やお店を経営してる人ばかりで

 

いつも可愛い洋服を着せてもらってて

 

欲しいものは直ぐに買い与えられてて

 

一見、羨ましく思っていましたが・・・・だけど

 

妹の育っている環境には

 

愛情が感じとれなかったんです。

 

私には聞こえました。

 

妹の心の叫びが

 

おかあちゃんに対しての不信感だけが

 

 

残っていました。

 

 

 

 

私が居なかった1か月

 

お父ちゃんは荒れに荒れていたそうです

 

この理由もあとになってわかっていきました。

 

 

毎日仕事をせずに

 

朝から晩までお酒ばかり飲んでいたことを聞かされました。

 

 

そしてこの大きな出来事と体験で

 

 

今までの封印が解けたように

 

私の幼少期の大人事情が

 

おばさんの口から明かされていくことになり

 

私の性格が180度変わってしまいました。

 

 

 

このつづきはまた今度ね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは(^^♪

 

魔女っ娘メグです!

 

私の歩んできた経験を皆さんへシェアーしようと決めて

 

4通目爆  笑

 

ちょっと前置きで~す。

 

このブログを読んで下さってる方へ

 

心に響き、明るい光になるようにと願って

 

恥ずかしながら、正直に書く決心をし

 

でも、ここからの物語は親としての思いで

すごく心が痛む方もおられるかも?

 

もしくは同じような体験をして苦しまれてる方もおられると思います。

 

そんな方への気づきやヒントになればと願ってます!

 

誰かの参考になればとおねがい

 

ここからが私自身が180度変わって行くことに・・・・

 

 

小学校3年の終わりころ

 

私はおばさん家族の前では大人しくしていました。

(自分の心の声に誰も気づいてくれない寂しさから)

 

小学校ではホント、手がつけれないくらい荒れていました。

 

子分12人を引き連れて・・・

 

そのころはドッジボールが盛んで、

子分たちでのチームを作っていました。

他のチームもやはり、それなりに親玉的な子がいて

私のチームが強かったので試合を申し込んできたりしてました。

 

 

半ば、ドッジホールの試合なのか果し合いなのかはてなマーク

 

他のチームの親玉娘はやはり

 

お金持ちのお嬢様で、私の事が気にいらなくて

どうも腹が立つみたいでした。

 

ドッジボールも私のチームが強かったしね。

 

私もむかつくとその女の子にピンタして泣かしたり、

男の子には棒を振り回して喧嘩ばかりしていました。ビックリマーク

 

 

おまけに挙句の果てには・・・ ここは想像にお任せします。びっくり

荒れに荒れてました。

 

そんなある日

 

おばあちゃんと一緒に

知らない女の人がおばさんの家に来ました。

 

 

私の目の前で泣きじゃくるんです。

だけど名乗らないの。

 

でも、ピンと来たんですよ!

 

お母ちゃんと分かったの直観

 

その時はおじさんしか家にはいなかったから

会わせてくれたのだと思います。

 

おそらくあの時、おばさんが家にいたなら

きっと門前払いで会えなかったはずです。

 

 

お母ちゃんは泣くだけ泣いて

おばあちゃんと帰ろうと家を出た瞬間

追いかけたくなって行こうとしたのですが・・・😢

 

おじさんに引き留められました。

そのあと私も泣きじゃくっていたと思います。

 

それから1週間ぐらいたった

もうすぐ春休みという頃ですが

 

おかあちゃんが今度は小学校へ一人で現れたんです。

授業中でしたが、廊下に呼び出されて

 

その時まともにお母ちゃんと話せました。

 

私の手に、千円札枚と電話番号を書いた紙を

握らせました。

 

お母ちゃんは

【いつでもいいから電車に乗って家に遊びにおいで】

 

と言って帰って行きました。

 

私はその日、学校が終わった瞬間に

 

駆け足で駅まで行き、

 

母親恋しくて居ても立ってもいられなかった。えーん

 

 

お母ちゃんの家に着くと

 

そこにはお母ちゃんの方のおばあちゃんが居て

一つ下の女の子が・・・・妹が居たんです。

 

その日の夜はお父ちゃんがお母ちゃんの家に

 

すごい顔してやってきました。

 

もうそこはもう  修羅場

 

 

お父ちゃんは逆上して刃物を振り回したりして・・・

 

夜中まで大騒ぎ

 

 

だけど私は妹と泣きながら抱き合いっていた

 

 

その姿にお父ちゃんは諦めて帰って行きました。

 

ここまでは、私にとってのお母ちゃん像は

世間一般の良き母親像で胸がいっぱいでした。

 

そしてこの出来事は、

 

私の人生での最大の分岐点だと

 

 

今更ながらに思います。

 

可哀想、可哀想で周りの大人たちから

可愛がられて育った。

 

でも、私の心中は寂しさで張り裂けそうだった。

母親も父親も傍に居なかった寂しさ・・・・

 

 

そして子供ながらに従妹の中で育った環境は

今の私にとっての土台を作ってもらえたのだと思っています。

 

10歳のタイミングで味わった経験だからこそ

 

人に対する痛みや寂しさ

大人の顔色や表情を読み取ったり

気遣いが出来るようになったのだと思います。

 

三つ子の魂100までと

良く言われていますが

私にとっては3歳までの出来事は

 

ほぼ記憶がありません。

 

でも三歳までに決まるというのも確かかもしれませんが

その子の内面的な事は

12歳まででの経験で決まるのだと自負しています。

 

今日はこの辺で

 

次回は私の理想の母親像が見事に崩れてしまいます。

 

 

 

 

 

 

こんにちは(^^♪

 

前回からの続き

ん~おばさんの家(父親の姉家族宅)で暮らす事になった私

ここでちょっと補足なのですが

小学校2年初めから

転校せずに2キロ強の道のりを歩いて通う事になりました。

 

小学校1年で気が付けば子分が12名で

あっ断っておきますが、今みたいないじめとかでは無く

私、勉強よりも運動が大好きで小1とかだと体育の授業とかでは

鉄棒の逆上がりができるかできないかとか

運天を普通にぶら下がりながら最後まで行けるかとを

授業でしてましたよね?

そんなことが1番に出来た事や先生に呼ばれて皆の前で

お手本を見せたりしたのがきっかけかもです。

そういったことが出来ない子達が結果

私の子分になったみたいです。

 

ひとりひとり手取り足取り・・・お尻もったりして

みんなが出来るように手助けしました。

大抵の子は少し手伝うと出来るようになっていましたが

一人めっちゃ手がかかる子が居たかな?

この子がまた虐められるタイプの子

 

なんかほっとけなくて、結構守ってあげて男の子とも

私がかばって喧嘩してたんです。

 

するとその子、ちょっとお金持ち風の子

私がいいねそれとかいうと貢物のようにくれたりしました。

えっこれって、恐喝になるかな?   

いやいや

あげると言われて、ラッキー的な感じでもらってましたね。

そんなこんなで私の子分がなんかあると私が助けるっていう事に

なってました。

みんなは私の言う事を良く聞いてくれましたしね。

学校行けば女がてらにお転婆娘

家に帰ると大人しくしていたように思います。

 

これってあなたは気が付いてくれてますよね?

家では出せない寂しさの裏返し

 

おばあちゃんや親父と暮らして居るときでも

めっちゃ貧乏で、ボロボロの服装をしてね(-_-;)

欲しいものを欲しいと言えない状況でしたから

 

おばさんの家から通っている頃も学校では同じ状況でしたね。

ただ、違ったのは

おばさんの家ではおじさんが営む

夏はラムネ(食べる方の)冬はチョコレート工場があったから

帰宅後はいつもおじさん達がお昼を食べた食器を洗うのが私の役目

そして1階での工場内で箱詰めの仕事を手伝っていました。

たま~にこっそり抜け出して遊びに行くって感じでした。

 

おじさんにとっては私は血の繋がりは無く

ただでさえ子沢山なところに私が増えて

親父は私の生活費を渡してたとは言え・・・・

学校への給食費をいくらおじさんへ言っても出して貰えなかった。

これが一番のつらい思い出

そしておじさんお顔色ばかり見て暮らして居ました。

 

そんな小学校3年も終わりに近づくころ

突然現れた、乳母車に私のおばあちゃんを載せて

知らない女の人が・・・・

 

次回へ

 

ここまでの私は勿論、日曜日には教会へ通っては居ましたよ。

お転婆娘ではありましたが、ちゃんと神様は信じていました。

なのでメンタル的には全然元気だったからね。