2019.8.28
下関市倫理法人会のモーニングセミナーin東京第一ホテル下関
29社29名(自10社10名)

【福島県交流特別セミナー】

講師:福島県倫理法人会 普及拡大委員長 川崎 葉子 氏

テーマ「今までそしてこれから」

《講話の内容》
2011.3.11 14:46
その日、いわき市で普及をしていた時に被災した。
なんとか車に乗り、自宅(福島県双葉町)へ向かっている途中、車が浮いた?!
水道管破裂によるものかと思ったが、津波の予兆だった。

栞P87 "大窮地に陥った時こそ、度胸の見せどころ"

☆前の車が少し動いた瞬間、100回切り返して引き返し、山の方へ走った。

前後にいた渋滞した車たちは数分後、津波に流された。
いわき市から双葉町まで普段なら1時間のところ8時間かけて自宅に戻ると玄関に『3人は無事』の張り紙。避難先の双葉中学校で家族と会った、「お母さんの分」と渡されたのは小さなおにぎり・・4人で1個のおにぎりが配給されていた。

☆すぐに車を出せるように夜中のうちに道路側へ車を移動させた。

2011.3.12
夜が明けると「放射能漏れの危険があるので10㎞圏外に車で避難して下さい」と国からの命令・・これが最初で最後の命令だった。
車がすぐに出せない人や家に車を取りに帰った人たちは放射能汚染の危険があった。
郡山の避難所で初めて”あの映像””を見た。自分たちに何が起きているのか知った。

2011.3.13
郡山の避難所へ防護服とマスクを数枚重ねた人がやってきて「双葉町から来た人は検査します」と放射能に汚染されているか測定された。幸い4人とも汚染されていなかったが、汚染されていた人は裸にされてシャワーをあびせられた。

☆携帯電話の充電器を持っていた。

携帯へたくさんの倫友から電話が入った。悪臭ひどい避難所にはこれ以上いられない。と思っていたら、当時の方面長が自宅へ来るように言ってくれた。

2011.3.14
方面長の家へ向かい1泊させてもらった。

2011.3.15
福井県坂井市丸岡町で5年間避難生活を送った。
倫友からたくさんの物資が届いた。

3月11日の朝「いわき市に普及に行ってきまぁす」と自宅をでたのが最後、それきり自宅に帰れなくなるとは・・
「防護服を着てマスクをして策の中にある自宅へ行ったが、先週の月曜日にとうとう重機が入って自宅はすべて壊された」
放射能の関係上、写真1枚も持ち出すことが許されない。
(講話で使われた写真たちは全てTV局が撮影したものでした)

最後に「度胸の塊です」と。

《感想》
とにかく凄い!
ここには書ききれない程、たくさんの活動をされていました。
感動で心が震えました(#^.^#)

《朝ごはん》
自己負担300円(^_-)-☆

《凄い!と思ったところ》
誓いの言葉の「只今より実践の決意を誓いましょう。今日一日」が迫力がありました。