魂にはそれぞれ、


マイワールド、マイ宇宙がある温泉



良いか悪いか、正しいか間違ってるかはなく、



独自のルールや価値観が強い人もいれば、


たまたま魂的に、


人間の良識や良いとされているものに合ってる人もいる。



好きなことが、


魂的にたまたま大衆にもウケやすいこともあれば、


そうではないこともある。



周りに合わせていくことができる人や時もあれば、


そうでない人や時もある。




その人のマイ宇宙で「正解」なことが、


誰かのマイ宇宙にとってもちょうど「正解」なこともあれば、


合ってる間違ってるではなくて、


今は必要ない、合わない、その人の宇宙では「正解」ではないこともある。



それを、


相手を否定する、自分が否定されることになると思わないこと、



「私って何か間違ってるのかな?」


と、何回か確認してみる分にはいいけど、


いつまでも余計な悩みとして持ってしまう必要はないから、



何を見て、何を見ないかはすごく大事だなって思います。



「このキノコ、


私はお腹痛くなるわ。」


と、すでに何回か食べてみて気づいてるのに、


それでもまだチャレンジしにいってることは、ないですか?



克服というか、


良く見て、


食べれるようになることと、



どうやっても体質に合わないキノコに挑み続けることの、


違い、見極めについて、笑


最近よく考えています。笑



何にでもなれる、なんでも自由にできるっていうのは、


私たちのもともとの気、本質だけど、


それと同時に、


それぞれの魂には、それぞれのマイワールドと経験と発見と気づきがあって、


岩なら岩としての、


木なら木としての、


鳥なら鳥としての経験がそれぞれあるように、


人間っていう外側は同じような形してても、


全然違うんだと思います。