偏頭痛持ちの私はやや体調不良。
体調が悪いと心の中に余裕もなくなるもの
普段ならば流す事の出来る出来事にもイライラしてしまい、子供達と一悶着ありました。
昨日塾が早く終わった子供達。
「今から帰る」と息子から受け取ったメールに、慌てて家を出て車を走らせたのですが、待ち合わせの場所についても子供達の姿は無く...
待つ事20分。
外も暗く何かあったのかと心配な気持ちと、携帯にも出ない長男にも我慢の限界となり、塾に連絡を入れました。
電話後先生から声をかけてもらった様で、塾を出てニコニコしながら戻ってきた息子達を見て、私のイライラが遂に爆発しました。
「ママを何だと思ってるの」
久しぶりに些細な出来事で子供達へ雷が...
何も言わず謝ってきた子供達の姿を見て、怒りのぶつけ方を間違えた自分自身に気付き、互いに謝罪をして事なきを得ました。
私の中で起こっていた事を整理すると、
体調不良と子供達の進学の問題が重なり、心の中には負の感情が溜まっていました。
今にも「心のしんどさ」が溢れそうな私に、子供達の行動は最後の一滴となり、
私の心のコップからは自分の感情が溢れ出しそれが「怒り」として噴出したのです。
もちろん、その子供達の行動が最後の一滴となったのには理由があります。
「迎えに来てもらうなら、理由もなく親を待たすべきではない」
この私の中の「べき=価値観」では子供達の行動は認められず、それが怒りを生み出す引き金となったのです。
ここで大切だったのは、
「暗い中帰ってこない2人を心配していた事」
「ママの体調も万全ではない事」
これを真っ直ぐ子供達に伝える事でした。
私の心の中にある感情や、事実だけを伝える事。
怒りの言葉を子供達に吐き捨てても何も解決しない事を理解している事。
相手に自分の心の状態を理解してもらう為には、事実と感じた想いを飾らずに真っ直ぐ相手へ伝える事が大切なのです。
昨晩はまだまだ未熟な自分を反省したのですが、私の態度を見て冷静に行動してくれた子供達の成長ぶりを、心から尊敬しました。
子供の心は目には見えません。
しかし、親の知らない場所で確実に成長しています。
失敗も苦手な部分もありのまま大切な存在。
その中で成長していく心も大切な子供の一部。
昨日は発展途上の自分に「頑張れ!」とエールを送ると共に、子供の成長を信じていこうと感じました