退屈日記「一人で生きることへの不安はないのか、とぼくがぼくに問う夜」 Posted on 2024/03/21 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、孤独というのは常に最高の友だちである。 ぼくは過去を振り返ると、今ほど、人に恵まれている時代はないことに気が付く。 離婚後、いろいろと大変ではあったが、今は、多くの友だちや多くのスタッフに恵まれ、支えられ、なんとか異国で生きることができている。 昨夜は、日本酒を飲み、酒粕を使って石狩鍋をこしらえ、一人酒宴をやった。 いやぁ~、料理ができるというのは人生最大の徳である。 鮭は塩と日本酒で数日漬けて臭みをとったものを利用した。 葱、ゴボウ、大根おろし、とろろ昆布、などをいれた。 これが、実に温まったし、健康的であった。 「辻さん、寂しくないですか?」 と、たまに、訊かれる。 その都度、独身であることを思い出して、苦笑してしまう。 「それがとっても自由ですがすがしいです。結婚していたころは、自分を二の次にしていたので、今は、自分を第一に大切に生きています。はばかることなく」 負け惜しみなのか、そういう言葉が出てくる。 でも、他人に振り回されないことにやっと気が付き、今は、一人を満喫しているので、孤独がちょうどいい。孤独に勝る幸福はない。 人間は、そこを悟ることができれば、余生も見えてくる。 たぶん、現実的な問題として、寂しい、という瞬間もないことはない、と思う。 でも、その一時的な寂しさのために、すべての人生を誰かのために、注ぐ、というのは、もうすることはない。 この幸せな孤独感を新たな人生に譲渡することは意味がない。 一人だけれど、意外と規則正しく生きている。 日本から戻って、睡眠誘導剤を飲まずに、熟睡できる日が続いている。 毎朝、5時37分前後に自然と目が覚める。 はばかることなく、午前中は仕事ができる。好きなだけ、創作に集中できる。 相手がいると人生が楽しくはなるが、規制も多くなる。 子育ても終わり、ぼくを縛り付けるものは、三四郎、だけとなった。 三四郎がいいのは、ぼくに従順で、ぼくを飽きさせない。 ぼくがつらくなって、ソファでごろんとしていると、どこからともなくやってきて、ぺたりと身体を押し付けて、パパしゃん、大丈夫だよ、ぼくはここにいる、とまるまってくれることだ。 たまに、抱っこして、とやってきて、甘い声で鳴くこともある。 癒されるし、孤独も丸くなる。 人を好きになって、その人のことを考えるようになると、自分の人生が多少、邪魔されてしまう、と書くと語弊があるが、面倒見がいいので、そういう自分に疲れてしまうのだ。 独身だと、抱えるものがないので、気楽。 物理的に寂しい時は、同じような境遇の友人が支えてくれる。 それで、十分、である。 今は、朝から晩まで、絵に向かっている。 もしくは、ギターの練習をしている。 あるいは、日記を書いたり、小説に熱をこめている。 その姿を誰も知らない。 三四郎だけが、知っている。
昨日、夢の中に、古い古い画家の女友だちが出てきた。 車を降りたら、目の前のカフェのテラス席で、絵を描いていた。 20年くらい会ってなかったので、夢の中で、びっくりしていた。 横に座り、知り合った頃のことを懐かしがった。 でも、思い出話に花を咲かせて、ぼくは三四郎の待つ家へと戻った。 それだけの夢であったが、孤独が、満載であった。 過去など、振り返ったことがなかったのに、と目が覚めて、苦笑した。 そして、これから、カンバスに向かうのである。 人生はつづく。 今日も読んでくれてありがとうございます。 毎日、起きたら、今日は何を食べようかな、と思うと幸せになります。一人暮らしでも、やはり、丁寧にごはんを作る、食事をおろそかにしない、ことが大切だと思っています。朝は食べませんが、昼食と夕飯を一日の大切なイベントとして、頑張っている父ちゃんです。朝の三四郎の散歩のあと、一人でスーパーに行き、今日の献立を考える、そういう毎日。そこに、時々、息子がやってきて、スタッフさんのまかないを作ったり、友だちとカフェ飯したり、野本と飲んだり、あはは、孤独よ、ばんざい。