母へ報告する







葬儀屋の準備が出来た所で


一旦母へ兄が死去した事を電話する。











正直、大阪へ着く前に言うか、


到着してから言うか悩んだ。












最期会えると信じて朝イチで


向かおうとしている母に


″死んだけど今から来てね″


と、言うのも本当に酷だった。














私が母親なら耐えれるだろうか?



その場で倒れ込んで泣きたくなるだろう。









長距離の移動だ。


精神的にそれ所じゃなくなって


道にも間違ってしまうかもしれない。








ひょっとしたら、

もう家を出ている頃かもしれない。








そんな不安がよぎりながらも

電話をかける事にした。

















プルルル⋯(ガチャ)





思ったより直ぐに母が電話に出た。
















「お母さん⋯あのね⋯」


「あのね⋯」



思ったように言葉が出てこない⋯















人間とは不思議だ。


現実を受け止めたくないのだろう⋯


あの言葉が、言えないのだ。


というより、言いたくないのだ。














意を決して途切れ途切れに


なりながらも伝える。






「あの、ね⋯〇〇が⋯






「〇〇が⋯」







「死んだ。」










「え?」


「え?なんで⋯」






「さっきね⋯死んだ。

4時45分。」











気づいたら2人共泣いていた。


「え?なんで⋯」と言った母だったが


死ぬ事は分かっていたはずだ。
















お母さん

間に合わんやったね⋯


と母が悔しそうな震える声で言った。













私はその瞬間、何となくだが

妙な感覚になって




″兄は死のタイミングを

選んだのではないか?″





母に辛い姿を見せたく

なかったのでは無いかと


考えが浮かんだ。























元々母に危篤状態を伝えた時


最後の記憶は良い記憶のままが


良いのではないかと思い、


葬式の日に来ることを勧めていた。









遠方から行ったり来たりするのも


高齢な為一苦労な上に


経済的にもだいぶ負担になる。













せっかく腹をくくって


最後、息子に一目会いたい気持ちは


母にはあっただろうが











兄は苦しむ姿を

母に見せたくなかった


のではないかと不意に思った。








「多分アイツお母さんに

苦しむ姿見せたく

なかったんよ⋯多分ね。」





と、私であって私の言葉では無いような


そんな感覚の言葉が気づいたら出ていた。






「そうやね⋯

そうかもしれんね。」


2人とも妙に納得していた。










最後の時を伝える









「私ね、最後〇〇の目を閉じさせたっちゃんね。


お母さん来るまで休んで欲しくてね⋯


そしたら眠るようにそのまま⋯






私が目なんか閉じさせたけん


やけん⋯逝ってしまったかもしれん⋯


私のせいかもしれん⋯ごめんね⋯」







「〇〇のせいじゃないよ。」





「ごめんね。1人で

辛い思いさせてから。

お母さん直ぐ行くけんね。」







と、あの母が言った。


どれだけ嬉しかったか。心強かったか。






今までで1番母がいて良かった

と思えた瞬間だった。


















それから、最期の安らかな時の話をした。








母は、「本当に⋯ほんとうに

最後の最期までしっかり

見とったんやね⋯」




「ありがとう⋯ありがとうね。」






と、その時何かが切れたように

泣き崩れていた。










朝イチの便が出発する時間になった為


電話を切り、母の到着を待つことにした。