面会2日目〜待合室





少し早めに着いたので

時間まで受付前の椅子で母と2人で待つ。









1人の女性が泣きながら受付に駆け寄る。






「すいません⋯子供が⋯病院に⋯
託児所どこですか」






そんな言葉が途切れ途切れ聞こえてくる。








あぁ、この人もICUに大切な家族が

居るんだろうか⋯そんな事を思う。









彼女は出口から出て、姿が見えなくなった。






「なんだ。託児所の場所がわからなくなった
だけなのか、よかった。」







なんて思っていたが

その5分後⋯

また同じ女性が現れる。










「すいません⋯子供が⋯病院⋯

託児所⋯わからないんです」

また女性は同じことを言い、泣いていた。








そしてその光景をみていた母と

その女性の目が合う⋯





その瞬間その女性は母を睨みつけたのだ。







その女性が出口から再び出ていった

タイミングで母に声をかける








「あの女の人、多分また来るけど
絶対見たらいかんよ。」









彼女に何があったのか私には

理解できないが

今にも罵声を浴びせてきそうな表情から

次もまた来る事が予想出来、

変なトラブルに巻き込まれて

兄の面会時間が減ることが怖かった。












また、彼女は受付に来て3回目の

「子供が⋯」をはじめていたが

時間になったので逃げるように

ICUへと向かった。

















  2日目の面会






昨日と同じ様に用紙に名前を記入する。


そして待合席で2人で待つ。









沢山の看護師さんやお医者さんが

行き交う中

扉の隙間から兄が見える。











ん?何か目が開いてないか?








気のせいか⋯




そう思った瞬間看護師さんから

病室へ呼ばれ、母と2人中に入る。











「〇〇さーん、

妹さんとお母さん来られましたよー」













するとそこには










しっかりと開眼した
兄が居たのだ。







奇跡が起きたと思った。

目が開いている⋯。

意識があるのだ。













母が泣き出す。






「〇〇〜目が開いとるね⋯開いとるね⋯

よかった⋯」













しかし、びっくりするのが

せっかく見れた目の玉は

黒目以外の部分が黄色く変色していた。

肝臓が機能していないというのは

ここまで酷いものなのだと痛感した。

















そして私が言う。

「お前昨日も来たんよ。覚えとる?」











「うぅん⋯」かすれた声で精一杯話す兄。














昨日の事を覚えているとか

いないとかそんな事はどうでも良く

”返事が出来ている⋯”

という事実がどれだけ嬉しかっただろうか。













顔を見てしっかり話がしたいのに

丁度兄の顔の向きの方面には、点滴があって

顔を見て喋れずにいた。










看護師さんにお願いしようとしていた所

兄が「うぅ⋯」っと言いだす。









母が「無理せんで。今動かしてもらうけん、
大丈夫よ。」と言う。







どうやら自分で顔の向きを変えようと

頑張って頭を横に向けようとしていた様だ。






看護師さんに話すと点滴を端に避けてもらえ、

ようやく目を見て話す事が出来た。






















ごめんね







意識はあるものの、


終始痛みが定期的に来るようで


「うぅ⋯」っと小さく声をあげる兄。









「お前何しよると?本当馬鹿なっちゃけん」

と私が言うと、









「ご   め   ⋯  ん   ね。」


精一杯の声を振り絞って兄が言う。












そしてまたあの言葉をかける。





「頑張れるだけ頑張れ」


「無理なら守護霊になれ。」


笑いながら笑顔で伝える














少しポカーンとしていた兄だが


「うん」と返事をしてくれた。















そして兄が突然言う…




「お前ケガした??」











????









「ケガしたのはお前ね?

私じゃない

入院してるのは〇〇よ?」









「ならよかった⋯」


と兄が言う。良くはないのだ。


この言葉の意味は未だに分からないが、








それから私は事故とケガに

気をつけて暮らしている。









兄はこんな状況になっても


自分が【死に値する程】重症なのを


理解していないような顔をしていた。















そして伝える。



「私大阪に住むけん。」








一瞬びっくりしたような表情をする兄。











「入院中って暇って言うし

私が大阪に住んで病院に

通ってお前につまらん話

聞かせに来ちゃるけん








「私が大阪に来て、近くに

おった方がお前も安心するやろ?












というと、兄は少し考えた後、



「うん⋯」

と、ひとこと言った。












「でさ、お前ん家に住むけん

鍵どこにあるか教えて」





というと、


「サイ⋯フ」と言う。












看護師さんに貴重品を見せてもらうが


財布の中に鍵は入っておらず


兄に聞いても”財布の中”としか答えなかった。











兄の性格上開けっ放しの可能性もある為


聞いてみると”鍵は開いている”との事だった。













そして昨日お母さんと飲みに行った事を


兄に話して伝えた。

















それからあのアル中の母が


今回ばかりは飲まず、私だけベロベロになった事。


そして、父の葬儀にも来なかった母が


兄の為にすぐさま遠くまで足を運んだ事。









それから貯めていたお金を兄の為に


渡してくれた事も話した。


















それから、



”可愛い看護師さんが

いっぱい居ること”


を伝えると、嬉しそうに笑ってみせた。
















「〇〇も、元気になって
3人で一緒に飲みに行こうね








「あ⋯酒はダメやけん
ご飯行こうね」と、母が言う。






「うん!」
と兄がしっかり答える。





「〇〇頑張ってよ。
お母さんまた会いに来るけん。

と、母が何度も頑張ってを連呼する。









頑張って良くなるなら良いけど
頑張れという言葉を使うのが
酷な気がしてならなかった。










”もし治らないのに言葉通り
頑張って、長時間苦しんでしまったら⋯”
そんな思いで胸が苦しくなる。






 





「頑張って、どうしようもなくなったら
その時は私がなんとかしちゃる」なんて
兄に言ったが⋯






そんな方法が存在するのか?


後で先生に聞いてみる事とした。











それから兄は「水⋯」と何回も言って

「痛い」とも言っていた。






水は禁止されていて、

点滴でしか水分を取れていなかった。








不本意ながら心霊現象などでよくある

「ミズ⋯水⋯」という声が聞こえた

話などは、あながち真実なのかもしれないと

その時思った。








水を欲しがる兄へ替りといっては何だが


”シャンプー”やら”髭剃り”を買ってきた事を


伝え、「看護師さんに出来たらしてもらってね」


と言っておいた。



















その後、兄の貴重品の中から保険証を

入手し、住所を確認する事が出来た私達だが


先生の話の準備が出来たという事で

面会の終わりが近づいていた。









そして、看護師さんに髭剃りを渡す。




「あっ、ごめんなさい〜
髭剃り電動じゃないと
ダメなんです⋯」

と、返されてしまった。。。




「え⋯電動じゃなくていい
と言われてこれにしたんですけど⋯」




「ごめんなさいねぇ〜
言葉足らずだったみたいで。
昔は良かったけど
今はダメなんですよぉ〜」と。






「それから、必要そうな物も
買ってきてしまって⋯
良かったら使ってもらえませんか?」



と言ってみたものの、











「あぁ〜ダメですね。」
と、一蹴りされてしまった。









拘束具にタオルだけでも使って
欲しかったものの、

「全てアメニティで
補えてますから大丈夫です」

との事で兄に何もプレゼントできなかった。









介護施設で働く母は兄の名前が入った

アメニティ類を「入居者さんに使ってもらう」

と言って持って帰り、

私と母は自分達で選んだタオルを交互に

持ち帰る事になった。









それからしばらく会いに来れない母は

兄に何回も「頑張れ」「元気になってね」と言った。










また会えると思っていた私は

「また会えるから」と自分に言い聞かせ

病室を出るまで笑顔と明るさを貫いた。


















「じゃ、また来るけん!

それまでは
元気にしとかなんばい!





仕事の都合もあるけん
一旦調整してくるけん。



なるべく早めに
大阪引っ越して来るけんね。
またな〜!


と言うと、








「ありがとう」と、言ってくれた。






また会える日を願って手を振り笑顔で別れた。
























病室を出てからは涙が止まらなかった。

嬉しいやら悲しいやら⋯複雑である。











”希望は持ってはいけない”と言い聞かせる自分と

”もしかしたらこのまま奇跡が起きるのかも”

という気持ちで大きくなっていった。












こんな時でさえ、家族は身内が可愛いあまり

冷静な判断ができないのだと思った







頭の中にはいつの日にかテレビで見た




”家族の献身的な介護で
余命宣告を受けた家族が回復!”




といったようなドキュメンタリー番組が
上映しはじめている。



















そんな私だったが、先生に

【兄が楽に逝ける方法】

を聞かなければならないのだった。