看護助手も悪くはなかったが


私が働いていた病院では、1週間に1人は必ず


知っている患者さんが亡くなっていた。


退院=「死」という環境だった。


















そして看護師が、危篤状態の患者さんを前に





「私が夜勤の時だけは

大変だから死なないでね〜」


と笑いながら言っていたり、













長く病院に入院している患者さんに




「この人昔こうだったらしいよ〜。

娘さん可哀想にね〜」などと、


毎日の様に本人の前で言うから驚きだ。










耳が聞こえているが、話せない人に


自分が話せる事をいい事に、


そんな話をするのも胃に穴が開きそうな位


聞いていて胸が苦しくなった。
















その中でも、誰にでも天使でいれる


看護師も存在したが極、僅かだった。















私が理想とする父の最期の環境は


こんな状態だったかと思うとゾッとする。







病院なんかに長く居る位なら


命が切れてしまった方が良いのではないかと


他者目線からすると思ってしまう程だった。













結論から言うと病院勤めは


私には向いていなかった。


今もそれは変わらない。









思っていた結果とは、掛け離れてしまったが


他の病院では


もっと良い環境で旅立てている事を願う。










父が見た最後の景色はどういったものか


ただ、鳴り響く機械音の中で


長く辛い、孤独を感じていたのか…


それは私が同じ状況にならなければ


分からない話かもしれない。























人の死なんか懲り懲りだと思った私だが



現在”介護士”をしている














何故なら「コイケさん」や他の


関わってくださった患者さんから


「ありがとう」や、たくさんの


心からの言葉を貰えたからだ。










他の仕事で味わう事はとても難しいだろう。


介護職の、虜になってしまった。










病院と違い、話していても怒られない。


1人の”人”として接する事が出来る。













昔はマイナス思考の塊だった私。


なんの仕事をしていても


ただ、ただ、生活の為に働いている


そんな気持ちにしかならなかった。


そんな自分が大嫌いで仕方なかった










当然、そんな穴は恋愛で埋めるしかなかった。


そんな恋愛をしていても上手くいく訳も無く


振られる度、また自分が嫌いになっていった。











しかしこの仕事をして数ヶ月・・・








最初は”恋愛する余裕すら無い”

と思っていた。が、気づいた。







”恋愛していなくても満たされている自分”に。




それだけ入居者さんに存在意義を与えて

もらっていたのだ。












大切な誰かの家族の


大切な1日を送らせてもらえる


そんな環境が大好きだ。


そして、少しずつ、


自分を誇れる様になってきた。


この仕事と入居者さんのお陰だ。














入居者さんからすると


家族よりかけがえの無い人など存在しなく


そのパワーは偉大である。








が、沢山の「ありがとう」を貰え、


自分の”生きている”


”必要とされている”感覚を


与えてくれるこの仕事が


大好きだ。












はじまりは病院だったけれど


この仕事に出会うキッカケをくれた


父に、感謝している。












ありがとう。お父さん。


大好きだよ。