私の母親







母親に兄の現状の電話をした話の前に


簡単に私の母親について話したいと思う。


正直母親の事はあまり悪く言いたくないが


兄にも大きく関わっている為書く事にする。











 ​母親はアル中




私の母は昔からアル中だった


私達がお腹にいた時から


酒が辞めれなかったらしい







仕事から帰って来た父が見た光景…


産まれて間もない私達双子が


ギャンギャン泣いている横で


酒を飲み泥酔して寝ていたそうだ。










良く耳にする


″アル中”





私も友達に言われた事がある


「あんたそれアル中やん笑笑」と。









私が知っている

アル中はそんなものではない。









本物のアルコール中毒者は


寝ても覚めても、酒を飲む。


彼らにとって体から


酒が切れている事が恐怖なのだ。









水道水を飲むかの如く飲み、


朝か昼か、そんな事は関係ないのだ。


喉が乾けば酒を飲むのだ。















そんなアル中の母親に双子の世話など


出来るはずもなく


私達は乳児園へと預けられた。


今で言う「ネグレクト」に当たるだろう。














断酒






母はアル中ではあるが愛情深く


酒を飲まなければ


とても良い母親だったと言えただろう。










風邪の日には着きっきりで看病したり


子供が悪さすれば頭を下げに行き


と、してもらった覚えがある。













父は母を、母親にさせる為


「断酒会」なる酒を辞めたい人々が


集まる周回に度々夫婦で参加し









そして父も一緒に


大好きだった酒を辞めた。

















​乳児園卒園




母親に愛があったのか


父親の努力が実ったのか


何度かの外出や外泊を経て


また4人で暮らせるようになった。






乳児園の先生方もとても親身になり


手助けしてくださったと聞いている。













私が覚えている小さい頃の記憶は


大きな紙袋にセーラームーンの絵が


書いてあって綺麗な女の人がニコニコ


笑顔で車の中でプレゼントをくれた思い出だ


恐らくクリスマスプレゼントだろう。








母親だと思い込んでいたが


後から聞いたら、違っていた。


母親の妹で、私の叔母だったそうだ。


その話はまた今度。











そして平穏が訪れた






嵐の前の静けさか幸せな時間が訪れた。


家族4人。


自営業でそこそこ稼げる父親と


優しい母親。







親戚付き合いも良好で


お年玉は最高金額で5万円位


貰ったのも覚えている








今までの幼少期が無かった事みたいに


幸せな生活がしばらく訪れた。








しかし幸せは続かない。