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 きれい事だっていいじゃないですか。この先AIがネットの全情報を学習すると、嘘ばかり学んで、嘘をたくさん発信するようになるわけですから、人間にしかできないことは嘘をつかないことぐらいしかなくなってしまいます。最近の集団訴訟にあるように、ネットは詐欺には甘いのに、裸には厳しいので、隠れなき真実しか人間にできることはなくなってゆくのかなと思います。簡潔なものは基本的には集客目的で嘘をもいとわないものだから、伝えたいものがあって長々と書いているものを信じるべきです。理由も書くから長くなるのだし。
 コロナはまだ終わっていませんが、死亡率は低くなったので、海外旅行に出る人も多いことと思いますが、円安により、ヨーロッパから日本に旅する人のほうが多くなっていて、逆はそんなにスケールの大きい旅もできないかもしれません。2012年は円高だったので、最初は様子見の倹約もありましたが、次第に、まともなレストランで食べてから死にたい、になってゆき、どうせ夕食に高額のものを食べるなら、一日一食でもいいじゃないか、どうせ朝は食欲なんかないから、ということにもなりました。ヨーロッパ旅行でコース料理の量が多すぎるという人は、だいたい朝食の食べ過ぎです。朝から食べ放題食ってコースが食えるわけが無いでしょう。逆に日本を旅したフランス人も、食べ放題ではなく、干物定食だけれども、あまりの量の多さに、朝食つきにしたことを後悔しているというパターンも多いのです。もっと昼と夜に食べたいものがあったのに、毎朝だいたい同じものを食べたために、それができなくなってしまうわけですから。2012年の私の旅は、フランスで個人的にホテルを予約した場合は朝食はオプションで、付けなければそれだけ安くなることが法律的に保証されていたのて、特別プランで四つ星なのに安かったランスを除いて朝食はいっさいつけず、昼と夜を自分のペースで食べています。イタリアとスイスとドイツには朝食を強制してはいけない法律が無いので、ついていないときはつけずに昼を楽しみにし、ついているときは昼を食べなかったり、金銭的にはともかく、かぎられた日数ということでは、ちょっともったいないことになりました。今は日本からの旅ならほとんどが短期滞在になると思いますから、旅行社から予約する場合は朝食付になるでしょうが、個人手配なら、朝食はつけずに、バイキングではなく適量をカフェで、あるいは抜く、でよろしいかと思います。フランスの場合はせっかく選択肢があるのですから。朝食強制が許されている国でも、フランス系のホテルにすることではずすことができる可能性もあり、2012年はスイスとイタリアで最初の部分だけですが、朝食抜きにできました。そうするとね、昼食が美味いんです。玉石混淆で物価も高いミラノで美味いピザ屋を見分けた嗅覚も、朝食を抜いたおかげで敏感になっていたと思われます。腹を減らせれば何もかも美味い、というバカ舌ゆえというよりは美味いものを見つける能力が敏感になるんですね。ほんとうに欲しているから。だから旅もほんとうに行きたいところに行くべきです。おすすめなんか訊くくらいなら自宅で本でも読んでいれば良い。円安なのだし。フランス料理は世界標準の部分もありますが、イタリアではない国でイタリア料理店にわざわざ行くくらいなら、日本でサイゼリヤに行った方がマシかも知れません。子連れ旅行だと欧米はピザ屋に頼らざるを得ないでしょうが、大人ならその国の料理が一番のはずです。もちろん英語圏だとそもそも郷土料理がまずいという話はよく聞きますが、元共産圏はいろいろですが、西欧はつねに郷土料理が一番です。このへんはバーミヤンもサイゼリヤも美味い日本の感覚とは違います。初旅行のときは、私は食はどうでもいいくらいの若者でしたが、とにかくパリで食べたものもミラノで食べたものも美味かったのです。それが現地語旅行の結果です。外国料理もすべて日本が最高なんて、しょせん英語旅行者の言うことです。くだらない。馬鹿馬鹿しい。嘘つき! 言わせてください、実感です。なんでそんな低レベルの人間達に本場が貶められなければならないのか。逆にカリフォルニアロール最高~ 日本に行く必要ない~ なんて言われたら嬉しいですか? 私もカリフォルニアロールなんてたべたことはありませんでしたが、人生最初で最後になりますかね、クーポンが出たところではま寿司で食べてきました。次からは生ハムロールですね。
 そんなわけで、またあの旅の追想になりますが、Youtube貼り付けができない間にあまりにも書きためてしまったので、また飛行機については、実際に12年前に飛んだ時期になる次回に考えたく思います。