英語でスケープゴートという言葉がありますが、あれは山羊ですね。フランス語ではブケミセールbouc emissaireといいます。2012年の旅では、ヤギやロバも食べたかったのですが、けっきょく食べておらず、かつてのフランス居住時代にはコルシカにも行ったのですが、食べていません。いっぽう、すでに何度か書いたことですが、ヨーロッパを発つ帰国の前夜は、いつもパリで羊を食べています。旅に冒険の要素をできるだけ皆無にするために語学を重視するので、命がけ、というか無闇に命を懸けるという意味での羊をめぐる冒険は皆無ですが、羊をめくる暴飲はあるかもしれません。

 洋行自体がたった三回ですが、初旅行は数週間、留学での居住は何年にもわたり、失業しての旅は数ヶ月。それぞれの締めくくりが羊でした。初旅行の最後の晩餐が羊になったのは偶然で、ともすれば、陽気なイタリア人たちとも遭遇したギリシャ料理を別の店で、という具合になるはずだったのですが、飛行機のオーバーブッキングで、エールフランスから提供されたホテルの当時はコンコルド・ラファイエットの下層階のレストラン、アルカンシエル(フランス語ではアルク・アン・シエルとばらばらには絶対に発音しません。通じない可能性すらあります)のクーポンで食べることができたもののうち、羊を食べました。羊のあばら肉コートダニョーは、あの旅でも羊を何度か食べたものの、もっとも肉の部分が多くて、噛みごたえがありました。知識として、フランス料理の肉料理で一番高級なのが仔羊で、最低が成長した羊だというのを学んでいたので、初パリでも積極的に羊を食べていましたが、それでけっきょく、帰りの飛行機の安全が、あの食べた羊が自分の代わりに犠牲になってくれたのではないかという想いがあり、その後、居住からの帰国も、2012年の旅も、やはり最後はコート・ダニョーになります。別の部位でもあれば食べますが、たまたまどの帰国前夜も、あばらになったということです。なにぶん居住帰国の時も2012年の旅もホテルがモンパルナスだったので、同じ店に行っているし。最初の予定では2012年は空港に前ノリする予定で、それを変更して前夜までモンパルナスにいたから飛行機に乗り遅れたわけですが、空港ホテルだったらホテルのレストランで食べていたわけで、羊があったかどうかわかりません。空港そのもののレストランはセルフサービスばかりになっていたのを旅入りのときに確認していたので、帰りはホテルごもりしか考えていませんでした。飛行機搭乗直前の軽食がセルフサービスでもいいですが、最後の夕食がセルフサービスというのは、そこまでケチるなら旅行をしない方がいいですね。

 仔羊はフランス語でアニョーで、イタリア語ではアニェッロになりますが、ローマではアバッキオになります。旅の途中なので、生け贄云々の想いはありませんでしたが、たまたま2012年のイタリア旅行ではまさにローマでアバッキオを食べていますが、あばら肉ではありませんでした。これがまた良かったですね。あのとき唯一のイタリアでの羊だったので、隣のテーブルの学生とのやりとりとともに思い出深いですね。クロアチア人留学生が、イタリア人の彼女と食べていましたが、彼女のほうがひらがなだけ学んで挫折、という具合での親しみでした。もちろんローマ大学の近くに宿を取ったので、だからこその状況です。私が初旅行のときに積極的に食べた羊肉に抵抗なかったのは、じつは記憶も薄いけれども、北海道でジンギスカンを食べたことがあって、大丈夫であるうえに、美味いと感じたのです。羊肉の匂いが耐えられないレベルと感じたことは、じつはなくて、成羊はフランス語ではムトン(ムートンと最初の音節を伸ばすというよりも強く母音を発音する必要があります)。英語だとマトンになります。ですが、じつのところコルシカでピザもやっている店で、薪釜で焼いたムトンはアニョーとほとんどかわりありませんでした。注文時にムトンだと知って覚悟していたのに、多少の匂いはありながらも薪焼きですからすっきりしていました。つくづく思うのは、素材でNGと思っていても、調理法、提供法で好きになることがありますね。私もフランス留学時代は、青魚も克服したと思っていたのですが、日本に帰国して魚がどんどん駄目になっていきました。やはり魚好きな人が多い国では、嫌いな人向けのアレンジが無いまま、量もたくさん、という現実があります。フランスの日本料理店で出てくる刺身は小さな皿に薄切り、羊羹も薄切りで4枚程度でしたから、日本に戻ったときには、量的にもう駄目になりました。

 かつて、乃木坂46の番組のメンバー出身地にロケを誘致するプレゼンで、そのときまだ引退を匂わせていなかったななみんが、北海道の羊は臭くありません、さっきまで生きていた羊を食べるんです、と言ってエコーがかかりましたが、じっさいには輸入羊がほとんどでしょうが、大泉洋によれば、村田牧場は羊を出荷しているということで、ラムよりもむしろマトンを食べてほしいという具合で、おまけにラムとマトンの間がホゲットというのも初めて知りました。フランス語ではラムはアニョー、マトンはムトンです。結局、乃木坂観光の企画は、一番人気は北海道で、二番はみさみさの大分だったのに、最後に一番人気のなかった大阪をまっつんがUSJがあることをPRしたので、かずみんがそれなら千葉のほうがロケ帰りにディズニーランドに行けばいいということで、南房総に決まっていましたね。ななみんが引退するときに北海道ロケをやっていましたが、道内で飛行機移動と、凄いところではあります。私は海外行き以外は地を這う旅しか知りません。

 フランスでもジョノカーはいないながら、女優さんはじめ姐御がけっこういた私ですが、日本でもそういう感じはあって、大学の先輩に同人誌への参加を誘われたとき、その先輩も女性でしたが、前に煉瓦亭のハヤシについて書いたときに偶然銀座で遭遇した先輩も参加していて、そこで編集会議と飲食という流れがありました。その先輩のポルシェが窓の下に見えたりして。で、ポルシェ先輩の出身が北海道だったので、羊を焼いてくれて、みんなで食べました。コート・ダニョーだったと思います。下町のスーパーに羊はほとんどないのですが、貧乏な私とちがって、さすがにポルシェ先輩には出身地含めて入手ルートは豊富だったことでしょう。とにかくジンギスカン経験もあったうえ、すでに初旅行でパリで何度も食べていたので、堪能していました。のちに フランス留学してみると、スーパーでもコート・ダニョーは手に入り、自分で焼いてみたりしたのですが、どうもプロやポルシェ先輩のようにうまくは焼けなくて、牛のアントルコートに比べると上達をあきらめて店で食べるようになってしまいました。アルザスもベイクオフは三種類の肉を使うことが多いので、成牛、仔牛、仔羊が普通です。2012年も羊の匂いはあったので、この組み合わせで、豚は入っていなかったと思います。

 帰国の前夜以外は、羊が犠牲になってくれているという意識なく、ヨーロッパで羊を食べていましたが、写真はないものの、最高のものはモン・サン・ミシェルの前の砂浜の草を食べて育つ羊です。プレサレといいます。高潮だと沈没してモン・サン・ミシェルが島になる海域なので、草にも塩分があって、それを食べる羊の肉にも塩分が含まれることになります。羊肉を大きく食べるときに腿肉を焼いて、ジゴといいます。かつてフランスの学友とご近所の夕食会でも、先日再会した中国ハーフの友人が料理して、その再会のときにセルフィーの写真に反応した絶世の美女も来ていたのですが、鍋つつきはしないですが、大きな塊から分け合うフランスでしたね。ジゴからの切り出しを店でいうことでは、セルフサービスのレストランでも日替わりであったりして、ベルギー旅行の行きがけにルクセンブルクで電車の乗り換えの待ち時間に、リュクサンブール駅(じつはルクセンブルク駅の看板表示はフランス語だけなのでリュクサンブールになります)のレストランふたつのうち、セルフサービスでジゴがありました。ルクセンブルクで唯一の食事になるかもしれないのにセルフサービスは味気ないと思っていましたが、昼食だったし、高級なほうに行かなくてよかったとこのときだけは思っています。ちなみに帰りもベルギーの続きなので、ルクセンブルクの屋台でイモを。駅前でも中心街でも、みんなフランス語だったのですが、その行きのセルフの完全にフランス語にまったく訛りのない係も、付け合わせはポム・ソテではなくカルトフェル・ソテ?とドイツ語の単語混じりで訊いてきました。もし、私がドイツ語ができなかったらどうなっていたか考えると、留学して迂闊にすぐにフランス国外の旅に出なくて良かったと思っています。心配するなと言われても、それはしょせん英語で通せか、フランス語でとことんまでという発想なので、それは訪問国数を自慢するだけの人たちの旅であり、ヨーロッパの庶民の食い物どっぷりの私の旅にはならないのです。なにしろ英語で通す人たちは、イタリアにアルデンテが存在しないなどと事実と反することを拡散するようなレベルなのです。で、羊のジゴの記憶のもうひとつは、日本語教師をしていた高校のひとつが、今は存在しないですが、アルザス成城学園と姉妹校になったので、向こうに行ってフランス人職員達が作ったなんちゃって和食を学食で食べさせてもらいましたが、逆にフランス側の高校に呼ぶパターンのとき、ほかの選択肢もあったと記憶していますが、私は係にジゴがあるよと言われ、たまらず食べました。フランス語のできない日本人の先生たちはちがうものでも指さしながらだったかと思います。思えば、コート・ダニョーとちがって骨が無いから食べやすいですね。いわば羊のローストビーフですから、作り置きに近いので、セルフサービスでも出しやすい故のパターンですが、注文を受けてから切り分ける作業があるので、flunchでは見た記憶がありません。ステーキなどは注文を受けてから炭で焼いてくれるパターンを買収したチェーンから学んだ様子なので、焼き職人がいるかわりに、切り分けを目の前でする係はいないのかもしれません。ちなみに、炭焼きはそんな具合でありますが、暖炉で焼く職人は、私が留学していたときにフランス最後の一人というのをテレビでやっていたので、おそらくもういないでしょう。逆に日本にはいますね。私が留学していたときのフランスの消えゆく職業としては、樹液採取がやはり最後の一人ということでドラマになっていましたが、若かったので、まだいるかもしれません。どちらも専業でなければ、まだたくさんいることでしょう。ブリヤ=サヴァランは、生まれつき料理人という人はなくて、成る、しかし、焼くだけなら生まれつきできるといいましたが、私もバーベキューで焼き係を担当すると、食べる人たちを失望させてしまいそうで自身はありません。火起こしもしたことはありませんし。見て勉強はしていますが、実践がね。

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