いや、うちの子にかぎってという、田村正和のドラマを共演者の所ジョージが雑誌の記事でパロディ化した題名を想い出しました。準備段階ではその映像クリップを用意していたのですが、大元のYoutubeから削除されてしまったので、変更しています。私も顔だけは似ていたので、飲み会では田村さんのモノマネはよくしていました。似てるといわれながらももてませんでしたが。で、この題名ですが、留学のときも、2012年も完全に日本の負けだと思ったのは、キャッシュレス決済でした。あれから十年以上して、ふたたび渡欧していないので、現地がどのくらいさらに便利になったかわからないまま、日本では東京オリンピックとコロナにより、チェーン店のキャッシュレス化は進んでいきました。外国の状況をそれまでものともしていなかったのに疫病の流行でキャッシュレス化されるというのは皮肉すぎますが。PASMOとSuicaがスマートフォンに載せることができるようになったので、物理カードの保証金五百円を取り戻すべく、私はアプリにしてしまっています。すると、最近のコインロッカーはSuicaとPASMOを前提としてキャッシュレス化されたものが出てきましたが、物理カードを持っていないと駄目といういびつなものが駅構内以外では出てきて、ひどいと思いました。もちろん、コインロッカーも手荷物預かり所も、2012年のヨーロッパではテロ防止のために廃止された駅が多く、平和ボケした日本人などのアジア人がスーツケースをゴロゴロ転がし続けるという具合でしたが、平和ボケしてコインロッカーの多い日本も、モバイルSuicaやPASMOを前提としないロッカーというのも何なのでしょうかね。拾ったカードを持っている犯罪者もいるだろうし、モバイルはいちおう持ち主が誰かはっきりしているので、こっち優先でもいいかと思います。これはメーカーの意識の問題ですね。

 基本的にこのブログで紹介する店がチェーン店ばかりなのは、プロの文筆家でもないのに地元が正確に特定されてしまうのを避けるのと同時に、やはりキャッシュレス化されている割合が多いからです。だから、ほんとうは行きたいけれどもキャッシュレス決済のマークがないから入ることのできない個人商店だらけであることは変わりません。加盟店の手数料が最初は無料だったPay Paが有料化され、それでステッカーを剥がして現金主義に戻った店も多いのですが、ごく稀にそこからステッカーを貼った店もあり、実験的導入期間、それはコロナ期で営業時間も短縮されていたわけですが、そのときに増えた客層がPay Payユーザーだったことがありありとわかります。私もPay Payは使っていますが、入金手数料が無料になるのが月たった一回になってしまったので、足りなくなったらどんどん補充、ということができない以上、メインの決済手段にはできません。利用明細のパソコンでのダウンロードもできなさそうだし。今月などは東京都10%還元に気づいてから終了日が繰り上がったのを知るまでの期間が短すぎ、高額チャージしすぎてしまいました。

 フランスでは、かつて居住していたときに、一人では行かないけれども、友人や高校の日本語授業の生徒を連れて行った日本料理店のことを想い出します。2012年には店はなくなっていましたが、開店して間もない頃に行ったときに、クレジットカードを使おうとしたら、まだ認可が下りていないということで、その後、開店から一年以上になってから使えるようになっていました。つまりクレジットカードは、客が信用できるというだけでなく、店も信用できるという証拠なのです。思えば、日本のドンキホーテでカードが通らなくて店員に文句を言ってすごんでいたのは、みるからにヤッちゃんでした。派手な車で来店していたのでしょうが、こっちの信用のほうはないわけですね。だからキャッシュレス化が、裏金狙いの政治家、闇経済のヤクザを一掃するのに必要なのだと思います。理想を言えば、すべての口座にマイナンバーを紐付けしているのだから、確定申告も、確定申告が必要かどうかも、税務署が勝手にやってくれて、請求がこっちに来たら反論があれば、それをするだけ、というふうにしてくれてもいいかと思います。これが一番取りっぱぐれがないんじゃないでしょうか。もちろんレシートも領収書もないと免税も減税も不可能を政治家にも徹底する。そうでなければ何のための国民総背番号制なのかと思ってしまいます。もちろん外国でも多くの国で、保険番号などで国民総背番号制をとっているのに確定申告が必要だったりしますが、戸籍制度で個人を総合的に管理、というのがないのです。欧米なのに戸籍と翻訳されているものは、だいたい未婚、既婚、離婚、しか区別がありません。口座すべてと紐付けするパターンは、私がフランスにいたときはありませんでした。なにしろ、留学して住居が決まったらすぐに銀行口座を開くわけで、そのときはまだアルバイトをしていないので、フランス側の社会保険番号も発生していなくて、労働許可の出る事業所が申請してくれてはじめて番号が付与されるので、それを銀行に届け出る義務もありませんでした。アルバイトの場所が複数だと番号も二つ持ってしまったりしました。国籍が二重のほうが助かるのに、それはなく。

 で、フランス在住中に、キャッシュレス化されていない店で、そこそこの金額を払うのに使ったのは、個人小切手でした。飲食店は割り勘で払うことも多いので、フランス人にしても、在住している日本人にしても、会計のときは、さっと小切手帳をテーブルに置いて、金額をフランス語で書くのです。日本では法人の小切手があり、漢字でゼロをゼロと書かずに、万、千、百、拾、さらに二ではなく弐と書いたりするわけですが、フランス語の数の書き方も、勉強した人は、けっこう面倒なことをご存じでしょう。あれをアラビア数字ではなく、アルファベットで書かなければいけないのです。これができてこそ本当の留学生、在住者ということができました。百は二百以上は複数形にしなければいけないのに千はつねに単数形とか決まりがあるので、そのレベルのフランス語をこなすのは,短期留学者では難しいものですね。ものすごい人もいるかもしれませんが。

 アパルトマンでの飲み会で酔ってしまった友人が、外に出てちょっと警官に、逮捕されたわけではないけれども部屋まで連れてこられてしまったので、いちおう一人が代表となって罰金を小切手で払い、後日、みんなで集めるということで、一人だけ外国人である私も小切手を書きました。こういう利用もあり、フランスは当時は小切手社会でした。それが、クレジットカードのキャッシュレス社会へのスムーズな移行に直結していました。というのも、銀行口座が、普通口座はけっきょく貯蓄口座で、決済のための小切手口座を開くことで、小切手とクレジットカードが提供される方式で、利息が付かない当座預金という感じでした。だから、貯蓄口座に収入が振り込まれる場合は振り替える必要がありました。手数料は当時の相場では利息でカバーできていました。システムを理解できていなかった留学当初は、銀行でいろいろ説明を聞きながらようやくわかって、日本語で、なるほど、と叫んでしまいましたが、それで小切手とクレジットカードの両方ができました。日本のクレジットカードがきかないときも、フランスのクレジットカードなら通じるわけで、フランス人と同じように行動するうえで必要でした。日本だと仕事の口座とちがって、個人だと普通預金か定期預金なので、学生としてはシステムの理解が必要でした。それだけにフランス居住者としての自覚が強まりましたね。人生で日本の次に多くの時間をフランスで過ごしながらも、その次のイタリアも延べ日数で考えるとなんちゃって留学以上になると思いますが、しょせん旅行で、居住ではなかったと思うのも、苦労して住居を探して、銀行口座を開く、というのをしていないことが、滞在資格の前にあったりします。ドイツ語圏ともなると、旅行は辞書なしでこなしていますが、公式文書をその場で読んでサイン、をフランスでのようにできるかというと、心許ないですね。なんだか最近、英語のできる女性タレントが海外移住宣言をしましたが、内容を見ると、ただの旅行だったりします。いろいろな国を渡り歩くなら、昔とちがって今は働くことなどできないから、給与を得る窓口は日本のままなのだし。それで移住なら、2012年の私の旅も、失業中ながら数百円くらいの投信の分配金はあったので、人生二度目の移住をしていたことになります。のべ一週間ですが、併せて三人の友人宅に泊めてもらったわけですから、居候が居住なら、居住ですが、銀行口座はあくまでも日本のものしかありません。だからかつてのフランスでの小切手口座というのが、かなり大きいですね。住居と銀行口座以外に昔は電話というのも居住の実感としては大きかったのですが、いまは携帯電話だけの人も多いので、ルフィやガーシーのような人も居るでしょう。

 フランスの状況ばかり書きましたが、じつは近隣諸国でも小切手社会はあって、英国の刑事ドラマに、現金客は怪しいというのがありました。Dempsey & Make Peaceというドラマをご存じの方も多いと思いますが、フランスではMission Casscouという題名でやっていたし、ドイツではもっと頻繁に再放送が繰り返され、ストラスブールにはドイツの電波が入ってくるので、よく見ていたのです。年齢を重ねた主演二人の近影などもネットで見かけてシェアしたらフランス人が反応してくれました。スコットランドヤードとニューヨーク市警が交換留学みたいなプログラムで、刑事を交換するのですが、ロンドン側は優秀な警官を派遣したのに、ニューヨークからはカウボーイまがいの、ほとんど死ぬ気満々の刑事が送られてきて、金髪美女の相方もこれに巻き込まれては命がいくつあってもたらないということで、退職して博物館員になっては、ニューヨークカウボーイに懇願されて復職したり、という話でしたが、そのなかで、闇の組織に何か弱みを握られたか、借金をした主婦が、組織がなんらかの形で手放してしまった宝石を、誰かに買われてしまう前に何が何でも買い戻すという話だったかと思いますが、宝石屋が支払い方法を尋ねると、主婦が、現金、というので、小切手じゃないんですか? ちょっと待っててくださいと奥に戻って警察に電話していると、主婦は宝石屋を撲殺して、宝石を奪って逃亡、という具合でした。つまり現金払いは英国でも怪しい奴の支払い方法なのです。やくざだから即刻通報、というのが四十年前から。日本では最近、海賊の名前をかたった海賊らしい海賊に指示された闇バイトが宝石屋を襲撃して宝石を盗んでは捕まる、という案件が多発しましたが、あれは現金強奪も日本ならではの簡単さもあって、そっちのほうが確実だったのかもしれませんね。現金主義の日本は、やはりトレーサビリティのないやくざ社会だったのです。さすがに今後は現金をあまり置かないようにもするだろうし、牛丼屋とコンビニも、昔のように強盗も十万円規模の強奪はできず、キャッシュレス客の多い現在ではせいぜい二万円くらいを持って逃げて、お尋ね者になって人生を棒に振るという具合で、キャッシュレス化と共に、強盗は頭の悪い人間のすることになっています。受験で苦労した世代からすると、苦労して大学生になったのに闇バイトなんて信じられませんが、今は大学全入時代だから親も金を出さず、優秀でもないから奨学金は返済義務のあるものを、という具合で、これが借金はして当然という感覚につながるのかもしれません。ギャンブルで借金なんてね、私は合宿の道中での電車の待ち時間にみんなとパチンコ屋に行ったら、あっという間に二千円すったので、親の世話になっている学生でいるうちはギャンブルに手を出してはいけないと思ったものでした。ギャンブルしないで勉強するから長く世話になってやろうとも思ったわけですが。昔は公営ギャンブルは競馬にしても競輪にしても競艇にしても、学生はやってはいけないという法律があったと思うのですが、今は変わったのでしょうかね。まあ、その法律を知らずにやっていた学生は多かったと思いますが、その範疇ではないパチンコも、時間つぶしでそうなるのですから、わざわざ賭場に向かったら、破滅は目に見えているし、二千円あれば美味いものを酒付きで食えますよね。センベロよりも贅沢に。スウェーデンなどでは、強盗が入った銀行がキャッシュレス銀行だったので、一円も奪えずに牢屋に直行というザマミロ事件もあります。

 2012年の旅のときに印象的だったのは、フランスのキャッシュレス化は進んでいましたが、小切手時代が終わったということです。じつはあの旅で目立ったのは、小切手、アメックス、ダイナースは使えませんというステッカーの数々でした。リュックや靴を何度も複数の店舗で買ったGO SPORTで、支払いは? といわれてクレジットカードであることを告げると係は安堵した顔になり、現金ではないことを歓迎していましたが、私の持っていた日本のVISAカードが、フランスのアメックスと色が似ていたのか、ちょっと渋い顔になったあと、VISAであることがわかって再び安心、という流れでした。小切手はもう時代が終わってしまい、不渡りをつかまされてもためにならないということでしょうが、アメックスとダイナースの通用性の低さがあのときの一時的なものだったのかどうかは、その後の渡仏がないのでわかりません。フランスでのマスターカードの通用度は昔は低かったのですが、2012年はVISAと遜色ない印象でした。昔はマスターカードが、ユーロカードとの互換で、使えるようになっていたのですが、外国人慣れしている店員でないと互換性があることがすぐには解りませんからね。持っていないので正確にはわかりませんが。JCBの通用度は低下していたと思います。かわって中国の銀嶺カードの強さは、あったと思います。これまで、あのときのアメックスとダイナースの弱さは書いたことがありませんでしたが、現実に目にした現象なので、為替相場が変われば日本からヨーロッパに行く人もふたたび増えると思うし、そのときは調べてから行った方が良いかと思います。もっと大昔のことをいえば、ラテン・ヨーロッパで強いのはVISA、ゲルマン文化圏ではマスター、というところでしたかね。2012年は、とにかくスイスのキャッシュレス状況が日本並みでしかなかったので、ホテルはともかく、レストラン選びはかなり計算が必要でしたが、ドイツはドイツで、手数料を利用者側に転嫁してしまうということがありました。日本でも家電店のポイントは公正取引委員会の注意に反して、現金とクレカで差別がありますね。日本とドイツが似ているという与太話には、ライフスタイル中心にあまりにも多くの点で疑問を感じる私ですが、現金主義だけは似ていましたね。いまはどっちが進んでいるでしょうかね。行っていないのでわかりません。行けば一日でもわかるはずですが。

 去年末に今年が日本の本当のキャッシュレス化元年になるかもしれないと書きましたが、それはこれまで高額なのに現金のみだったパスポートがキャッシュレス化されるという噂ゆえです。東京オリンピックは無観客だったので、それが決まったところでキャッシュレス化の動きは鈍ったのですが、あきらかに衛生的なキャッシュレス化を飲食チェーンでは導入する動きがありました。そばチェーンはいまだに情けない状況ですが、うどんチェーンはあの時期に飛躍的にキャッシュレス化し、もっと遅く牛丼屋も全体的に進み、さらに遅れてサイゼリヤがキャッシュレス化したのは感動的でした。先行していたすかいらーくチェーンやゼンショーグループに比べての遅れは何年もあっただけに。コロナ期ゆえというのが皮肉ですが、まだサイゼリヤにとってのコロナ期は続いているのか、閉店の早い店が多く、全部他社並みにしてくれれば、毎日とは言わなくても、週の半分は通うのですがね。しかし、個人商店は、食品を扱っていても現金主義を貫いている店が多く、これで役所関係もキャッシュレス化されてゆくと、キャッシュレスがビジネスチャンスというよりも、現金が機会損失の原因になってゆくことに気づいた商店がどう動くかですね。その代で終わってしまう店は、新しいことは面倒だから現金主義のままでも仕方ないですが、そのかわり値上げなどしないで、売り尽くしてほしい。そこに商機があるなんて考えないで有終の美を飾ってほしい。

 小切手と言えば、大昔は旅行小切手、トラベラーズチェックというのがあり、店で直接使ったり、銀行で現金化したりしていましたが、日本で購入するときに両替手数料を取られているので、直接使うことができる店ではそのまま使うことができ、国立銀行では手数料なしの現金化ができましたが、これは現在オランダの銀行と合併してしまったパリバの前身であるパリ国立銀行BNPの場合です。クレディ・リヨネは使っていませんでした。旅がもっと長ければ使っていたことと思います。ヴェルサイユではケスデパルニュで両替しましたが、そのときは手数料を取られています。栗鼠のマークの民間銀行で、けっこう歴史的な建物に入っているので、2012年もフランス各地で顕在ですが、初旅行のときは栗鼠らしいマークだったのですが、その後画像が線で簡略化されたので、日本人の間では毛ガニ銀行と呼ばれていました。銀行以外では、初の旅行のときの最終滞在は奮発して現在振り返っても一泊当たりの金額が最高のメリディアンだったので、チェックを扱う会計窓口が両替も扱っていて、投宿後の外出時に旅行小切手の現金化をしましたが、宿泊客であるためか、手数料はありませんでした。額面通りの現金を渡すだけなので計算の複雑さもないためか、係の美女も笑顔で。初海外旅行は、フランス人の笑顔を自分の中でコレクションしたいという感じでもあったので、おぼえています。つまり、手数料は、ベーエヌペー同様、日本で購入のときに払った手数料だけです。2012年の旅では、チェーンホテルではクレカでの支払いをユーロ建てと、それ以外を選ぶことができて、ドルだと円で引き落とされるまでに両替手数雨量が二重に生じると思い、ユーロ建てと円建ての両方を試していますが、たぶん円建てだと、ホテルの示したレートと、引き落としのときの両替レートがあると思うので、後半からはユーロ建てのみにしましたが、よく検証することはできませんでした。円で示されるとわかりやすいですけれども、旅の始まりならともかく、滞在して行くうちに、現地通貨の感覚ができてゆくものです。たんなる観光客であると自戒しながらも、できるだけ現地人と同じように行動できるように意識したのが現地語旅行でもありました。パリでは東洋人がフランス語をしゃべっても誰も驚きませんでしたが、ストラスブールではホテルのレストランでそれは珍しかったようで、なぜフランス語ができるんですか? 昔この街で日本語を教えていたんですよ、というやりとりがありました。ローマのホテルでは、それだけイタリア語ができるなら、ちょっとこれを日本語でどう言うか教えてください、スイスでは、どこでドイツ語習ったんですか? 大学ですよ、ドイツのホテルでも、あなたドイツ語できるのね! とどれもお世辞でしょうが、かつてサルデーニャで、学生? ペルージャ? フィレンツェ? と言われたときのように励みにはなりました。イタリアではなく、フランスに留学していたわけですから、イタリア語力へのお世辞としては、日本語を教えてくださいと同位ですかね。イタリアの大学に留学しているんだろ、ということですから。2012年のボルドーは再訪でしたが、初めてのボルドーでも、ホテルで、このフランス語だとフランス居住者ですね、と言われたこともありました。何度も旅したボローニャでは、2012年で再訪したホテルやその系列では、私がイタリア語をしゃべるのをそのまま受け容れて何の疑問もない様子でしたが、ちょっとちがうホテルに昔飛び込んだときは、受付のおばさんがじっと私の顔を見るので、そんなに私は美男なのかと思ったら、イタリア語できるんですね、だったり、さまざまな記憶が甦ってきます。2012年のストラスブールも、女優さんと学友のように昔から知っている人々は、普通に私のフランス語を受け容れてましたが、友人の彼女などは、なんでこんなにしゃべることができるの? で友人が、俺と同じ授業に出ていて、最初は物静かでも、酒が入るとがっつり議論できるんだよ、なんてシーンもありました。授業で良い質問などできなかったのですが。だから逆に飲まずに博士号をとった日本人はなんと凄いのだろうと考えたりもします。学問の本道に比べると、私の議論など、場外市場の酒の席ですからね。なんの業績にもなりませんが、友人たちはおぼえてくれていました。フランスではありませんが、もっと昔ドイツに留学した人たちも、最初の世間話は語彙とスピードのこともあって無口のままビールを飲んでいたものの、学問の話になると、日本で鍛えておいた文法力を駆使して、しっかり議論の主役になったとも言われます。

 通常の小切手は自分で正しいフランス語の綴りで金額を記入し、自分でお金を作る感覚でしたが、旅行小切手は一枚ごとに額面が決まっているので、通常は店でもお釣りをくれますが、店に小銭がない場合というのもあるので、基本的には額面の決まった旅行小切手には、小銭を足す、という支払いでした。お釣りが戻ってこないと言うなんてあり得ない、と日本では考えるわけですが、旅行小切手を使ったわけではないのですが、かつてのイタリア国鉄など、券売機から少額硬貨のお釣りが出てこないということは、日本よりも進んでいた券売機でも、窓口でも当たり前でした。損をしたくなければぴったり出すか、キャッシュレスにしろという明確な方向性でしたね。これもまた私は潔いとも思いました。当時のイタリア国鉄は鈍行に徹すれば、ヨーロッパで最も安い価格水準だったので、客がもっと頑張れよ、というサービス業としてはやや投げやりな状況もありました。券売機は札を呑み込んだら小銭は出さないし、窓口は、お釣りを同額の電話用ジェットーネで返してきたのに、別の駅で支払いにジェットーネを加えたら通らない。ホテルに泊まるから公衆電話用コインであるジェットーネは使わないのに。そもそも私もフランスではカフェの電話など使わなくて、公衆電話はテレカがあったので、ジュトンを手にしたことがありません。つまりフランス在住者だったのに、ジュトンを肉眼で見たこともないのです。死刑台のエレベーターなどの映画で使われているのは見たことがありましたが。あの映画で実際のカフェでの振る舞いとして学んだことは、クロワッサンは珈琲にびちょびちょ浸しながら食べるものだということです。クロワッサンと珈琲の朝食に憧れて、ほかのパンのときのようにクロワッサンも切り開いてバターやジャムを塗るというのは、まったくフランス的ではないのです。ときにプレーンのクロワッサン・ナチュールではなく甘いクロワッサンがあるのも、それを珈琲にぶち込めば、珈琲に砂糖を入れる必要も無いという合理的な面もあります。形式的な英国風マナーを踏襲した日本の洋食マナーばかりをマナー講師に習った人には雑に思えるかもしれませんが、ほんとうのフランスのマナーで味を犠牲にするものは中世の秋のブルゴーニュならともかく、現在はほとんどありません。皆無かもしれませんが、私も英語ばかりのパリ社交界は無縁だし、研究者という扱いで日本領事館に招かれたことはあっても、大統領府のパーティーに招かれたことなどありませんから、せいぜい三つ星レストランに招いてもらったことがあるうえでの庶民的なレストランや家庭での見聞によるものですが、映画を見ていても、オランダを統合していたブルゴーニュの形式的なしきたりの数々というのも、革命以後のフランスにはほとんどないと思います。宮廷料理の時代は終わり、ブルジョワは自分で店を選んで通うので、味が良くなければ行かないし、テーブルマナーも味が良くなるために理にかなったものが残っていって、形式ばかりで味を落とすものは消えてゆきました。現在のフランス料理が宮廷料理が元だというのは、間違っています。ブルジョワ料理です。だから味について真剣なのです。もちろん歴史的に順番として、イタリアから来たメディチ家カトリーヌがもたらしたトスカーナ料理と、ロシア的サービスによるコースの順番とか、すでに末期の宮廷に投入されていたものはあったわけですが、客の選択に左右される状況は、革命後になります。宮廷ではなく、ガチ営業だから、フランスのフランス料理は美味いのです。英国に行ったことはないですが、西欧の大陸部分は、エスコフィエに影響を受けた国々では、とにかくそういうことです。

 初海外旅行のときは、最初は友人と一緒にアメリカンエクスプレスのトラベラーズチェックを買ったのですが、自分の方が三日ほど長く滞在する予定なので、トーマス・クックも試しにと、日比谷の三井住友銀行で購入しています。実際は四日長くなってしまったので、無意味ではありませんでした。旅行小切手時代が終わらなければ。その数年後に留学ですが、旅行のと気に入った銀座のアメリカンエクスプレスの窓口がなくなってしまったので、留学も迫ってくるとほかの支店を探しても居られず、三井住友銀行はまだ大きな日比谷支店があったので、トーマス・クックでまとめます。それで現金以外のまとまった金を持っていって、留学してから現地の銀行口座を開いたら、そこに何枚もサインをしながら旅行小切手で入金しました。その前から、もう海外旅行は、クレジットカードが手数料が安く、現金での出金も海外キャッシングのほうが手数料と利息の合計も日によるけれども安くなると言うことを先輩にも言われていたので、そっち中心になり、フランス生活を引き揚げてから、余った現金機うち紙幣だけはBNPで日本円に現金化できるので、そのときにかつての海外旅行で余っていたトラベラーズチェックも現金化してしまいました。それから長い年月の間に、まずトーマス・クックのトラベラーズチェック販売が終わり、アメリカンエクスプレスのトラベラーズチェックも終わる寸前。そこからの2012年は、ひたすらクレジットカードですが、事前にユーロを買いました。当てずっぽうに銀行や郵便局に行っても米ドルしか両替できないので、両替商のセットでした。旅の長さ次第では、それでいいのだと思います。旅が短ければ、余ってしまうかもしれないので、現地入りして一万円分だけとかにしないといけないかもしれません。2012年の旅の長さでは、もちろん最初のユーロはなくなってしまいますが、あとは海外キャッシングですね。途中でローマの両替商での効率の悪い現金両替も試しましたが、それとの比較で行くと断然無駄がありませんでした。もちろんクレカで直接払うのが一番安いことは間違いありません。じつは、初旅行のときはユーロ時代ではなかったので、フランスのほかに行くミラノのために、イタリア・リラも必要だったのですが、今はあるのかないのかわからない東京駅の北にあったイタリア労働銀行でトラベラーズチェックを買おうとしたらけっこう高額セットしかなかったので二泊のミラノでは無駄になる可能性が高く、現金セットの購入でした。通貨が異なることで、過去は使い切らないぶんがかなり無駄になったし、2012年もスイスはとにかくビールでスイスフランのあまりを処分しましたが、ユーロは余らせていて、それがいずれ使えるかどうかはわかりません。そんなこともあって、現金はまったくお得とは思えないのが、国際派ということにもなります。日本に来た外国人が、日本であまりにもキャッシュレス決済がきかないので仕方なく現金をつくってあまってしまったのを,最後に羽田や成田のガチャガチャのオモチャの販売機でできるだけ使い果たす、というのを、日本のニュースでは自販機大国日本の叡智のように語るために彼らの笑顔を放送するのですが、ばかばかしくありませんか? 彼らも要らないもの、ほしいものがたまたまあってもそれが出てくるか解らないくじ引き状態で強制的に買わされているのをとりあえずゲームとして笑顔になるわけですが、ほんとうはそんなゲームをしたくないのが本音でしょう。きっちり彼らの通貨で小銭まで返してあげることができればそれが一番ですが、銀行も小銭の両替は扱いません。だから、成田と羽田のガチャガチャはキャッシュレス化の遅れた日本の恥だと私は思っています。国ガチャですね。もちろん日本ほどよくない国は治安、戦争、経済、飢饉、いろいろですから、世界中の国の中では、良い国に生まれたほうだとは思うわけだし、その先人が築いた日本の良いイメージを増幅すべくかつてヨーロッパで暮らし、行動し、2012年も旅でもきちんとしていたわけですが、ほんとうに言われているほど便利な国に生まれたのかというかと、初旅行のときからキャッシュレス化でコンプレックスが膨らむのです。初旅行のときは、日本が世界で一番技術的に進んだ国だと日本人が自画自賛していたし、私も思い込み、フランスに行ってみると、テレフォンカードにICチップがついていて、大袈裟だな、と思ったら、それがじつはデータ搭載のために世界最先端であることを知ります。それを知ってからの留学中は日本にない先進的なシステムと遭遇し、コンプレックスをかかえるばかり。帰国後もそのへんではコンプレックスが重なりの2012年の旅。やはり日本は遅れていると思って帰国し、それから、個人商店と蕎麦屋はいまちいですが、多くのチェーン店でスマフォだけで決済可能になってゆくので人間になった気がします。フランスの地下鉄に乗るためのナヴィゴがスマフォアプリからチャージできても、スマフォのママで使えないようなので、この点ではモバイルPASMOやSuicaのほうが追い越したと思うのですが、現実にいまパリに行ってみたら、またコンプレックスの塊になって帰ってくるかもしれません。たぶんこれは長期留学をしたことのある人間の必然なのかもしれません。自国より遅れた国への留学なら、何年もいないでしょうから。物価が安ければ沈没と言われる状態になることでしょうが、とにかく欧米は滞在資格を取るのが難しいですね。

 そんなわけで、かつて日本よりもはるかに電子化が進んでいたフランスが、このコロナ後、と言うには尚早ですが、そういう時期に日本に比べてどうなったから気になるところです。パリの地下鉄を網羅するIC乗車券のナヴィゴが、iPhoneにのせることができないので、SuicaやPASMOのほうが便利になった感じですが、これもまたガイドブックなどで確認しないといけません。パリに行けるなら調べる気にもなりますが、無報酬でブログを書いているだけなので、最新情報は、述べていることが無責任にならない程度にしか調べません。しのぎの仕事でくたびれているのです。これは日本のFeliCaチップに比べて、ナヴィゴのチップが国際基準と見なされていないということなのかもしれません。先進的だと結構こういうことはあります。日本も大昔、キャプテンシステムというものがありましたが、フランスはそれを自治体ではなく全国規模に拡大したミニテルというものがあり、インターネットの普及に先行していました。それだけに、インターネットへの全面切り替えは遅れてしまったのですね。東京もパソコンの導入が早かった区ほど、インターネットへの対応が遅れるという皮肉な現象がはありました。時代を先取りした人間が先行するのではなく、時代にちょうど良いときにのっかった人間が成功するのによく似ています。芸術など、数年先取りすると大当たりしそうですが、百年先行したら認められることなく終わり、死後も発見されないことでしょう。お金持ちだと死後に売れて文豪になったスタンダールのパターンもありますが。プルーストも最初は自費出版ですが、その第二弾がゴンクール賞にならなかったらひとりよがりのものと思われていたことになります。実力があれば運は関係ないとか、運も実力のうちと言う人を見るに付け、ほんとうに運に恵まれていて、苦労も歴史も知らない人なのだなと思うことしきりです。それだけ新しい技術には当たり外れがあります。私もパソコンデビューするに当たって、かつて主流になりつつあったフォートランをちょっと学んだのですが、その後廃れてしまったので、プログラムができるようにはならなくて、計算ソフトの四則演算の足しにしか.なっていません。C言語をどのタイミングで学ぶのが良かったのか、よくわかりませんが、Cを知らないだけにプログラムのチェリー君状態なんつって。

 金銭は物々交換のかわりに交換する現物の象徴として発達しましたが、それを紙幣以上に銀行の手形にしたものが小切手です。日本では事業者の小切手はありますが、個人の小切手は発達しませんでした。それが現金主義期維持ということになります。フランスの現代を見てきたところでは、小切手社会から、クレカのほうが不渡りがその場でわかるので小切手が廃れたという順番になります。昔の小切手も、レストランの割り勘はその場の人数が多いので身分証の確認はありませんでしたが、スーパーなどでは身分証確認があり、私も最初の頃はカード式の滞在許可証だったので楽だったのですが、その後は滞在許可証がパスポートに貼り付けされる方式になったので、旅ではなく居住なのに毎日のようにパスポート持ち歩きで買いもの、というのが面倒でクレカだけになりました。フランスを引き払うときに、銀行口座を解約するにあたって、小切手帳の返却と、カードの破壊を窓口でして、もう居住者ではなくなったのだと思ったのですが、そのあと帰国のデパート免税ができなかったので、けっきょくフランス居住者としての帰国にほかならず、帰国後も一ヶ月以上滞在許可証は有効だったので、そこまでがフランス居住者だったのかもしれません。ただ、東京では帰国後数日で区役所で再転入したので、そこで終わったとも言えます。それから引っ越しはしていないので、私の住民票は、フランスから転入、とはっきり書かれています。居住とか移住って、そういうものだと思うので、いろいろな国に行く、では移住ではないと思う所以です。

 付け加えますと、個人小切手は、レストランや個人商店などでは、自分で正しい綴りを気にしながら数字をフランス語で書き綴らなければならなかったのですが、スーパーなどのシステム化されたレジでは機械が数字を入れてくれるので、サインをするだけではありました。小切手帳の切り離すミシン目の横の残す部分には、自分が参照するための金額を書き入れます。それで、それ自体が簡易家計簿にもなるわけです。一度だけ引き落とされなかったことがあり、一年以上過ぎたときに、なにかあったのだろうと考えてしまい、まともな一食分なのでそこそこの金額だし、お店が心配になりましたが、ストラスブールでもパリでもなかったので、確認してもう一枚書いて持って行く、というわけにもいきませんでした。逆に、ヌーヴェルオプセルヴァトゥールの定期購読のために郵送しようと思っていた小切手を落としてしまったときは、住所が小切手に記載されているため、郵便ポストに届けられていたりして、フランスもなんでもなくなってしまうわけではない人情を感じました。不渡り以外にも、そういうことがあるから小切手受付をやめた商店が増えたのでしょうかね。小切手の宛先がペントハウスだったらちょっと恥ずかしいですね。一般誌のヌーヴェロプスとちがってペントハウスの定期購読に学生割引はありませんでしたが。通販は安全性はともかくとして、小切手なら書留ではなく普通郵便で送ることができるので、支払い手段として一般的でした。すでに述べたように店舗でも、クレカを使うことのできないところでは小切手なら使うことができました。個人間でも使われるので、給与支払いが小切手ということもありました。日本人が書いたものでは、書き方がフランス流ではないのでフランスの銀行員が読み間違えるというトラブルもあったりして、いろいろでしたが、じつは2012年にパリ最終滞在したホテルも、フランス在住中はクレジットカードが使えなかったので、小切手決済していました。それが、2012年はクレジットカードが使えるようになっていたけれども、高額決済できなかったので、滞在日一日ごとを日数分払うことになり、それが飛行機に乗り遅れることにもなりました。今考えると、かつての居住を引き払うときは小切手帳をもう銀行に返却していましたから、もしあのホテルをとることができていたとして、どうやって支払ったのだろうと考えると、予め日数分の現金を残すべく準備しなければならなかったのかと思ったりします。もう旅行小切手もとっくに日本で現金化してしまったので写真もありませんが、多くの日本人が知らないそういう時代が欧米にあったうえでキャッシュレス化が進んでいたという事実も記しておきましょう。日本では、仕事をしていると、たまに事業者とのやりとりで小切手を見ることがありますが、職種によっては、おそらく人生で一度も実物の小切手を見たことのない日本人も多いかと思います。やはりキャッシュレスは信用あってのもので、現金主義は信用ならないものどうしのやりとりなのだと強く思います。いっぽうキャッシュレス決済は、スマート云々以前に、信用ですね。客も店も。

 やはり懐かしい光景としては、教授とレストランに行ったりすると、どっしりと座った先生が、小切手帳を取り出して、万年筆で金額を入れて切るわけですね。学生の人数が多くて全員分をおごることができない場合も、珈琲は私のおごりだ、と追加でもう一枚書いたりするわけですね。家賃などは高額なので、シ小切手口座を開設し、個ぎっんてとクレカを作ったわけですが、日本のカードも持っていましたが、通用性はフランスの銀行カードのほうが強いですね。フランスのレシートにCBとあるのはクレジットカードのことですが、Carte Bancaire銀行カードと同時に昔はカードの色が青と決まっていたのでCarte Blue青カードと呼んでいた両義でもあります。このブログでは切符を晒すことが多いので、割とくっきりと印刷されています。番号は隠しますが。もっと遅くなってから小切手をつくった記憶だったのですが、家計簿を調べてみると、けっこう早くつくっていて、クレジットカードは同時ではなくて、フランス人の友人ができてから、なんだ学生もクレカもってるんじゃん、で手数料がかかること承知でフランス在住者のたしなみとしてつくったということになります。しばらく小切手はスーパーのレジスターが自動的に記入してくれる金額にサインしていたけれども、家賃は家でしっかり綴りの間違いがないように書いたと思います。しかし、フランス語補強のために夏季講座を申し込むときに、あとで同じく完成クラスに入ることになる、レバノン人のカトリックシスターが、在住者なのか小切手で払っていたので、それならとその場で小切手を書きました。最上級クラスなんて自分にはレベルが高すぎると思っていたけれども、在住者らしく金額をささっと書いていたのですね。講義の受講中心でディスカッションのないクラスよりも、上級クラスに落としてもらおうと思ったのですが、オリエンテーションに出てみると、ヨーロッパ人の女の子ばかりで、イタリア語の練習にもなるし、とそのままにし、じっさいその一ヶ月間は、スパゲッティパーティーの場所を提供したので、ほとんどイタリア人グループに紛れていました。フランス留学なのに、なんちゃってイタリア留学となんちゃってドイツ留学にもなっていた部分があります。テレビはフランスの放送がつまらない時間帯はドイツの放送を見ていましたからね。裸も自然に出てくるし。スペイン人もいたので、挨拶くらいは馴らしになりました。ロシア人もいたので、やはり留学前は眺めるだけでもいいから、NHKのテレビ講座を見ておくのがいいですね。上級以上ならそれだけフランス語以外の言語の地ならしができます。レベルが低いと共通語が英語になってしまって、それに引っ張られてしまいそうです。だから語学留学でも、日本で中級ぐらいのレベルになってからしたほうが良いと思うのは、そういうことですね。ヒ旅行のときに初めてのイタリアをイタリア語でチャレンジしている日本人学生とレストランで遭遇したとき、ユースホステルではみんな英語なのでイタリア語の練習ができない、ということで、ホテルでシングルに泊まり、テレビと対話するほうがなんちゃって留学よりも留学らしいと思うのです。大学留学以外は留学とは呼ばなかった大昔の基準では私はフランスにしか留学も居住もしていないのですが、いまの基準では、フランス、、ドイツ、イタリア、スイス、スペインに留学と居住、移住をしていたことになってしまいます。とても履歴書に書けるものではないのに。あのフランス語完成クラスの夏は旅はフランス東部とドイツの黒い森地方という近隣だけだったのですが、翌年からイタリアは毎年行くことになり、しかし、そのときの友人たちのところまでは行けなかったので、彼らが大学を卒業してしまう頃になってからちょっとだけ行き、連絡もとらずということになりましたが、あのクラスから翌年以降の自分のヨーロッパ諸国への広がりの原点ともなりました。完成クラスではなく上級クラスだと、しゃべる練習にはなっても、あれだけ普通にヨーロッパ人に紛れてしまうことができたかどうかわかりません。どの言語も、日本にいるときにNHKのテレビ講座を見るだけ見ていたのが基礎にはなっています。ヨーロッパ人とはいえ外国人ばかりの中で日本人の私が小切手を使うことができたのも、面白いと言えば面白いですかね。

 通信販売は日本だとクレカをみんな持つようになる前は、郵便局や銀行にいちいち行って振替というのが一般的で、現金を普通の封筒に入れて送るわけにも行かず、現金書留も準備しないといけませんね。しかし、小切手社会なら、安全性はともかく、普通郵便で送ってしまえばいいのです。スーパーなどではサインが真性かどうか本人確認書類が必要ですが、通販の場合は即座ではなく、銀行に判断させれば良いので、宛名だけ間違えなければ、品物は来るわけです。落として拾われてしまっても、その人が宛名の人物や団体にかなりのことをして成りすまさなければ入金できません。そんな小切手社会の延長としてのクレジットカードでした。それに比べると日本は小切手社会が法人かよほどのお金持ちにしかなかったので、現金からクレジットカードへの飛躍の幅が大きかったのだと思います。でもお隣の国々よりもはるかに遅れている現状、いくら過去の歴史で一等国扱いされていたからといって、もそうはいきません。ファミレスのキャッシュレス化としては究極の後出しを自認していたサイゼリヤが、閉店時間が早いのでイタリア料理店としての価値がなくなって、ガキの溜まり場であり続けています。蕎麦屋チェーンなのにキャッシュレス化されていない店舗が地元にある場合は、地元が田舎扱いされていることに常連の半分は傷ついていることでしょう。駅前や、駅からそれほど離れていない場合はとくに。陸の孤島部分なら仕方なく、駅前まで出て買いもの、というのもあります。こんなにマンションだらけで山もよほど晴れているときにはるか遠くにおぼろげに富士山が浮いているだけなのに、なんで田舎扱いやねん、というのもありますが。

 そうしてフランス人の友達が増えてきてからは、学生同士でレストランに行くと、やはりみんな小切手帳を取り出して書くわけです。私はなくしてしまうといけないのでボールペンにしていたかもしれません。イメージ的には、お金を作っている感覚ですね。個人造幣局という感じで。とにかく金額をフランス語でちゃんとした綴りで書かなければならないので、数字に関しては必至におぼえましたね。親もうちの子にかぎって…まさか小切手を書いているなんて、と、知っていたら思ったでしょうが、日本では見ない光景ですね。そう思っていたら、ちょっと思い起こさせるものがありました。クーポン冊子です。私は持ち歩かずにiPhoneの写真に撮って、その写真を拡大してみてクーポン番号を注文タブレットに入力していますが、冊子そのものを持ってテーブルに拡げているおじさん、けっこういますね。こっそりノスタルジーです。フランス語で小切手はシェックですが、英語だとチェックですね。まさに昔のフランス人はチェッカーズだったのです。こんな昔のことを想い出すのも、最新情報にアップデートされていないからなのかもしれません。ただ、2012年の小切手拒否、アメックス拒否、ダイナース拒否の状況は写真記録がないから、たまに想い出すものの書き留めないできました。今回書いておくことで、現地でアメックスを使おうと思っている人など、情報を新たに仕入れて旅してもらえば、こんなはずじゃなかった、を避けて快適な旅になると思います。日本ももっとキャッシュレス化を頑張りましょう。現金で裏金を作った政治家に頭にくるなら、完全キャッシュレス化されても困らないように準備しましょうや。あいつらは許せないのに自分は現金主義では筋が通りません。私は怒る権利があると思います。インヴォイス制度に反対する小規模事業者には、大きな企業の経営者には解らない苦労もいろいろあるのだと思います。ただ、商店が現金主義だったら、帳簿をいろいろ誤魔化しているという疑いがあるのは仕方ないことであり、キャッシュレス化で、誤魔化すことが面倒になれば、そのほうがキャッシュレス化の面倒はあってもよいのだと思います。そして、消費者もレシートはしっかり持ち帰り、商店が誤魔化す気が失せるようにする習慣も必要かと思います。イタリアでレシートを捨てると違法というのが、都市伝説ではなく事実であることを、このブログでは2012年にローマの土産屋台の前で監視している財務警察のパトカーの写真を出して立証していますが、停車中だけ土産物屋が不正をしないことを確認してもしょうがないわけですから、客のほうを見て、注意喚起するためだったということになります。イタリア通ぶっていながらレシートを捨てるのが違法というのは本当かという質問をする偽イタキチがネット上にはいますが、しつこく証拠写真を繰り返し出します。土産物屋を監視するためなら、こんなにあからさまに店の前にいるはずがなく、客に注意喚起するものであるとしか考えられません。

 2012年の旅といえば、出発前に銀座で両替してユーロ現金をもっていったので、フランス入りのときは両替も引き出しもしませんでした。途中引き出したのは、人通りがないときを狙って、夕食後のナンシー中央駅からで、人通りの多いパリやストラスブールでは引き出しませんでした。基本的にフランスのATMはほとんど外にむき出しで、大量に引き出しているところを悪者に見つけられたら奪われてしまいます。思えば、フランスとイタリアで何回か海外キャッシングの形でおそらく現金両替よりも低い手数料と有利な相場で引き出しています。カード決算日までの日数が長いと利息が大きくなっている可能性はありますが。だいたいは現金両替よりも有利です。現金両替はスイス入りのときにバーゼルの両替機で日本円をスイスフランに替えていますが、日本だと自販機で売っているもののほうが店で買うよりも高いのですが、海外では機械のほうが人間よりも安いのが普通なので、手数料は低かったと思います。じつは日本の自販機普及率がものすごいのに、海外ではたいしたことが無いのも、衝動買いで高さを受け容れてしまう日本人と、堅実な海外という違いがあるのかもしれません。私もかつて留学から帰国してから、自販機で自分としてはなにも買わないので、仕事で、使いっ走りとして自販機でみんなの飲み物買ってきて、と言われたときに、じつはあまり機械の使い方をシステムとしてよくわかっていないのです。むしろ、なんで機械のほうが高いのに対面販売で買わないんだよ、と思うのです。日本に旅行で来る外国人は自販機だらけの面白さで買うと思いますが、外国人居住者は私と同じ感覚かと思います。あとは日本円から両替したのは、ローマで一度やってみようと思って、とにかくユーロ統一以後フランスもイタリアも地元の銀行や郵便局が両替を扱っていることが極端に減り、外国銀行や両替専門業者ばかりになっていたので、両替業者でやってみたら、もちろん現金相場は不利、手数料も決まった手数料が、金額に応じた手数料にプラスされるという具合で、実験のためにしたようなものでした。定額の手数料が要るからには、一度に高額の両替をした方がよいということになります。これから旅立つ人たちへ。現地での現金両替はおやめなさい。やるなら、損をしても、ぼったくりなどと思わず、私と同様、実験だったと受け容れ、ネタとしてブログで発信すれば良い。いっぽう、ATMでは、あまり札が何枚も出てくると見られて危険なので、100€、150€、200€という具合でした。思えば、フランス居住中にも、友人たちがATMにちょっと寄ったりしても、少額しか引き出していませんでした。それだけ昔からキャッシュレス化が進んでいたということでもあります。少額だから、外にむき出しのATMでも悪者に狙われる心配がなかったのですね。ちなみにATMはフランス語ではディストリビュトゥール・オートマティック、イタリア語ではバンコマット、ドイツ語ではアウトマトといいます。ミラノでテロ警戒兵に、近くのバッコマットはどこですか? と訊いたらわからなかくてお互いに笑ったりしたので、兵隊は地元の人ではないということですね。警官がいれば一番わかるかもしれません。地元の人…私も昔はフランスでは地元の人だったわけですが、道を聞かれてもうろ覚えでいい加減に回答してしまった経験がありますから、あてにしないほうがよろしいかと。また質問の仕方にもいろいろありますね。2012年はミラノ入りのときに、イタリア人のおばさんに、英語わかるかい? とイタリア語で言われて、少しなら、と寄ってみたのですが、英語圏の女の子二人が、郵便局はどこかと言うので、中央駅から出たばかりの私ですから、駅の中にあるよ! で、おばさんもそうだよねえ、と頷いていましたが、どうも二人は納得していないようで、しかし、それで充分で、まさか中央郵便局まで行かなければならない用事がイタリア語のできない外国人にあるはずがありません。おばさんと一緒に、何が問題なんだろうね、と別れましたが、あとから考えると、中央郵便局近くにホテルでもとっていて、そこに行きたかったのでしょうかね。だったら郵便局と曖昧にせずに、中央郵便局と指定して質問すべきで、それでいて、そこから地下鉄の乗り継ぎをおばさんから説明してもらって私が英訳しても、切符の買い方とかいろいろあるからたぶん無理かなとも思いました。道がわからなければ訊けばいい、は、じつは現地語主義の私もしないのです。自分が説明する側になった経験が多いだけに、それがどれだけいい加減な回答になってしまうかを痛感しているからです。責任持って道を説明できるのは、観光案内所か、毎日巡回しているおまわりさんです。なにしろ軍人だってわからなくて一緒に笑ってしまったのです。兵隊や機動隊は、全国組織なので異動だらけの中の短期間の配属が多く、地元に詳しくない場合が多いのです。商店にとびこんで訊く場合は、土産物屋なら英語が通じるかもしれませんが、花屋や床屋に英語を求めてもねえ。店で道を聞いたら何か買わないといけませんし。トイレを借りて何も買わずに出て行こうとするハリセンボンのコントのようになってしまいます。無駄遣いをしない倹約を自慢するなら全部調査済みの旅行しかありえませんね。

 プルースト効果という匂いの記憶ではありませんが、すかいらーくのクーポン帳をテーブルで開いていたおじさんを見て、小切手の記憶からATMの記憶も出てきて、お金のおっかねえ話にもなりましたが、商店の皆様、頑張っていただきたいのです。日本をダメな国にしないでください。当代で店じまいでないのなら、孫も楽に継ぐことができるようにシステムをつくってあげてください。そして、当代で終えるなら、値上げなんかしないで売り尽くしてください。公金に入るものとしてはかなり高額なのにキャッシュレス化tさなかったパスポートがキャッシュレス化されるとなると、もう、パスポートの高額さと比較して、うちでキャッシュレス化できるわけがないでしょという言い訳は通用しなくなります。また消費者の側としては、私もそんなに若くないですが、海外居住経験もあったのでキャッシュレスのために手段を整えました。マイナポイントのときに、ややこしいと老人達が文句を言っているのをおぎやはぎの小木さんが、努力もしないで得しようとするもんじゃない、と斬っていたわけですが、私もずっとそう思っています。山賊のようにも見えてしまいますね。アラビアのロレンスで、アカバを襲撃すれば、そこに金もたくさんあるから、とアラブ人の部族を複数引率して進撃したら、金があるのは事実だがアカバにあったのは証文ばかりだったということで、ロレンスがロンドンに金貨を要求する手紙を書く、というシーンがありましたが、アンソニー・クインが演じたあの部族はオマル・シャリフが演じたアリ族よりも荒っぽくて野蛮という感じでしたが、あんなふうに半月刀を振り回しはしないものの、経済的には、現代日本も似たような野蛮さがありますね。初旅行のフランスでは、世界最先端の日本から行ったつもりが、あれあれっ? てなって、調べてみると日本のほうが遅れている、あとは留学、留学後、ずっと後進国としてのコンプレックスをもってしまうことにもなった日本の状況です。先進国から来たのだからカルチャーショックは現地の原始的なものだけ、と思っていたのに、自国の遅れをカルチャーショックとして打撃を受けるということになりました。もちろんナンチャッテ留学、語学だけ留学ではない場合、日本よりも進んだ部分を学ぶために大學・大学院に留学するわけですから、日本よりも進んだ国に行くのは当たり前なのですが、科学技術でずっと後進国日本を痛感する人生になるとは初旅行までは思いませんでした。恥ずかしい。別に世界一にならなくてもいいのですが、もうちょっとね。なぜ二番じゃいけないんですか~ってのが昔国会でありましたが、さすがに世界で何十番目なでしょうかね。キャッシュレス化されていれば、その国に行ってからの状況がまったく違います。かつての無駄に残してしまった現金。あきらめてはいますが、これからもそうなら当局に責任をとってほしいですね。ほんとうなら引き出しの奥に眠っている外貨もなんとかしてほしいのですが。

 キャッシュレスの話をするときに、このブログではクレジットとは信用であることを書くことが多いのですが、私も何度も失業しているし、それでも銀行口座がマイナスにならないようにすることで、クレジットカードは維持しています。つくった店舗がなくなってしまったことで失ったカードはありますが、基本的には学生時代からのカードを中心に維持しています。だからキャッシュレスは、やくざではない証拠だと思って、誇りを持って使っています。逆に現金主義はやくざの世界という印象になっています。商店の皆様、マネークリップや札束をバンドで出してくる客がいると、いろいろ誤魔化して儲けるチャンスという誘惑に駆られるかと思いますが、信用できる客との恒久的な関係を維持するためにも、キャッシュレス化してください。伊集院光が、ふだんは飲まないのに、年に一回だけ泥酔するほどの特別な日があって、六本木から全裸でタクシーに乗って帰り、おっぱいの下に挟んだ一万円札で支払ったというエピソードがありましたが、運転手も乗せてからずっと支払いがどうなるか不安だったことでしょう。しかし、キャッシュレス化されていれば、全裸の客でも安心です。すばらしい世界ですね。服装で差別しない社会です。服を着ていなければテロや戦争もないし。

 そうこうしているうちに、埼玉県で全体かどうかは解らないのですが、免許更新がキャッシュレスでしかできなくなったという話が入ってきました。素晴らしいと思います。老人が戸惑っていると、役所の先のセブンイレブンでナナコカードを作るように勧められていたということで、べつにほかのカードでもいいわけだから、このほうが事故が少なくなって良いと思います。基本的に、普段の支払いもキャッシュレスのほうが老人にも便利なわけで、導入に子供や孫が手伝うとか、役所が手伝うとかあるべきですが、免許ともなれば、老人のボケ運転で毎年何十人も殺されているわけですから、ボケていない証明のためにも、自力でキャッシュレス手段を設定することは重要です。できないなら、どうせ事故を起こす最強の予備軍なわけですから。これは高齢でなくてもそうかと思います。プリウスでの事故が多いのは、免許取得時代にオートマ免許がなかったのでマニュアルでとっていて、それとプリウスのレバーの動作が逆なので、ある程度マニュアル運転歴があると、突然昔の感覚がフラッシュバックしてレバーを逆に入れてしまったり、ブレーキとアクセルを踏み間違えるという具合ですが、ここまで行くと、一定年齢以上はオートマ禁止で、マニュアル車だけにしなければならないという千原ジュニアさんの提案も納得です。そのなかで、オートマ運転するなら、支払いもキャッシュレスにしろよというのは正論かと思います。キャッシュレス設定もできないなら、運転だって危ないに決まっているではありませんか。私は万年ペーパードライバーで、いつも東陽町での優良講習での更新でしたが、前回はコロナ期初期に本所警察署で現金更新で、次回も視力で落ちなければ本所警察でキャッシュレス更新となります。もし通らなければ、返納するほどの年齢でもないのですが返納ですかね。パスポートは東京都の場合は東京都なので、これがキャッシュレス化されることで、東京23区のレベルにもようやくキャッシュレス化の流れが来るのだと思います。今そっちの窓口で騒いでいる人は、その上で訴えてみてはいかがですか。というか、窓口から上に意見を上げても、そのあとの対応が多ければ忘れてしまうから、苦情を直接受け付ける自治体の窓口があれば、そのほうが返事も届くでしょう。返事するくらいだからちゃんと届いていますよね。個人情報をとの理由での匿名投稿だと、いたずらを疑われて採用されないかとも思いますが。匿名の嫌がらせはテロリストでもできますからね。文句があるのなら個人情報も届けないとダメです。テロリストと同じですから。個人情報を保護するのは大切ですが、つまりアイデンティティですから、隠すと他人とちがうことが立証できなくなります。つまり怪しい奴になってしまうのです。どうせポイントカードを使うときに性別と年齢くらいはばれているわけで、アイデンティティを隠すということは、受けることのできるサービスの一部を受けないことを意味します。今はどうなのかわからないのですが、基本的にパリのブティックはクレジットカードの番号で顧客管理していたので、一見さんでないことがわかれば待遇も良くなったりするわけで、日本人を差別していると感じる人が、じつは現金決済だったからだというオチも考えられます。だいたいポイントカードは国内限定なので、クレジットカードこそ国際的なポイントカードにもなるわけですね。フランス語でポイントカードは、キャルト・ド・ラ・フィデリテになりますが、居住時代にスタンプを貯めていた店も、もう有効期限以後なので、2012年はクレジットカードだけがポイントが付くものとなっていました。かつて居住を引き払う数日前のパリで、パン・アラリーニュでキャルト・ド・ラ・フィデリテつくります? と訊かれて素直に作りましたが、そうすることですぐにまたフランスに戻ることができるかもしれないと考えたのに、あまりにも長い間再訪することができず、カードを作った東駅にはパン・アラリーニュはなくなってしまい、あの旅でもポム・ド・パンの復活がめざましかったので、パン・アラリーニュに行くことはありませんでした。どちらもバゲットサンドのチェーンです。ジャンボン・ブールをビールとともに食べることでフランスにいることを確認することは大事でした。カフェで食べるのが雰囲気ですが、目の前にポム・ド・パンかパン・アラリーニュがあると入ってパリジャンを注文してしまいますね。日本にもあるポールではビールを出しているという確信がなかったので、入っていません。すぐに戻ることを自分に運命づけようとポイントカードを作ったり、帰れないように物をいろいろものを置いていましたが、物たちは私に味方してくれず、苦渋の思いで捨てたり、金をかけて持ち帰ったりするはめになりました。運をあてにできないので、不運だからこそ何ができるか頭を絞る人生です。

 役所関係のキャッシュレス化は、けっこう窓口の手数料については実現されていると思うのですが、役所に委託された施設などが、利益がカード手数料と同じだったりして、受託した企業では無人化でもしない限りできなくて、駐車場程度のものだったわけですが、役所が手数料負担をすれば可能なので、役所は年度始まりが基本であることを考えると、四月から飛躍的にキャッシュレス化が発生すると思われます。施設利用は予約規模次第ですが、パスポートなどはあの高額で現金のみだったので、これがキャッシュレス化されれば、民間で現金主義の店は、老人の固定客だけでやっている店はともかく、チェーン店は淘汰されて行く運命かと思います。だから、生き残るつもりならキャッシュレス化するはず、と期待します。現金主義を貫く場合、何度も書きますが、当代で廃業の意思表示でしょうね。

 なんだかいろいろ情報が入ってきて、東京都の免許更新はよほどの老人でなければネット予約ということで、その手数の少なさでキャッシュレス化は進んでいるようです。パスポートもそろそろですが、ネット申請が出てきたものの、窓口のキャッシュレス化は、いきなりというところかもしれません。職員側は公務員ではなく委託業務でしょうし、会社がちゃんと研修させてくれないかもしれないから、業務中の練習程度である可能性もあり、あまり前にキャッシュレス化を宣言されても、客の質問に答える準備ができないというところでしょうかね。年度ということでは四月一日なわけですが、そこで役所の電話やネットがパンクしてもいけないので、ちょっとずれているかもしれません。客としては、公的機関のキャッシュレス化は大歓迎です。なにしろパスポートなんか三万円もするのになんで現金で払わなければいけないのかと思っていました。キャッシュレス化されても、安かろう悪かろうの原則はあるわけで。公的なものの大部分は料金が安いので、LCCのようなものですね。予定に変更があっても当然だと考える人は、安いものは使ってはいけなく、高いけれども融通の利くところに身を委ねるべきです。安いところを使っておきながら、話が違うといって値切ったり、料金を踏み倒すみっともない客は、じつは目撃していて、世の中の仕組みを根本的に理解していない頭の悪さを感じてしまいますが、私も経理のいろいろなものは素人なので、よく知らず、まけてくれと言ったことは、秋葉原か地元の家電店か、大昔のスペイン旅行でのバルセロナの蚤の市でのパエリャ鍋くらいですね。あとは自分から値下げしてくれと言わず、向こうがまけてくれたものだけいただいています。なんだか今回は経済学部に一度も属したことが無い人間の経済原論なり資本論みたいに長くなってしまいましたが、その日になる前に公開しましょう。後悔しないように。

【HIS】旅行プログラム