ボジョレ・ヌヴォーの時期はもう過ぎて、価格を下げなければ悪質な店という時期になりますが、私もほとんどヌヴォーは飲みません。それはボジョレーについて書いたときに説明しました。しかし、ハロウィーンに対するほどアンチでもありません。ヨーロッパの大陸部分では、ハロウィーンなんて日本ほど流行っていないのですよ。あれはケルト起源ですがアングロサクソンかぶれのまつりという現実があります。私は宗教は信じませんが、もし霊というものが存在するなら、さすがにあれだけバケモノの仮装をしたら、悪霊を避けるどころか呼び込むに決まっているじゃないかと思うのと、そもそも仮装のためのまつりと考えている人は、もっと別のコスプレまつりをしたほうがいいだろうと思います。また、露出が多いから触っていいという理屈はないし、そもそも国内外でも全裸混浴は性的な行為はしないのが前提で、僧侶のような気持ちでサウナに入ることが推奨されています。だから、踊り子さんに触れないでください、の理論で安心して肌を晒すことができるようにし、痴漢を追放する根拠にすべきかと思います。ただ、撮影をすべて盗撮かどうか判別するのも難しいですね。スポーツにしても、ギリシャ時代にはオリンピックは全裸でやっていたわけで、それで服装違反を完全に防ぐことができていました。現在、水着が破れてしまったら失格,というのはその精神に反していますね。水着が破れても、選手が覚悟を決めて全裸で泳げばいい、というのでなければ。それでこそ平和の祭典です。
 というわけで様々なる支障のあとも新たなテロも始まっていて、日本ではデモについての報道が多いのですが、ブリュッセルとアラスでのテロが、フランスはじめヨーロッパとのつながりのためにFacebookをやっている私のところにはニュースがすぐに入ってきていました。以前のブリュッセルでのテロは欧州理事会を狙ったものだったので、郊外に近いのですが、今回は中心街ということで、ブリュッセルという街の細長さを考えると、私もかつて旅したときに通りかかったところかもしれません。アラスはフランス北東部の、アルザスよりも北のノールパドカレーの重要都市で、私がフランス北部を旅したときはムールフリットを食べるためにリールで宿泊すべくアミアンからの列車に乗ったときに停車した程度のものでしたが、フランスの日本語教師の研修会のときは、ノールパドカレーの代表たちは、アラスで教えていました。加賀乙彦のフランドルの冬も、アラスが舞台ですね。専門はちがいますが、その加賀乙彦の弟子の宮城音弥の留学したストラスブールに私は留学していました。だから列車を降りたことはないけれども、無関係の街でもないのです。フランスに永住することができていれば、いつかは訪れるはずの街でした。2012年の旅はランスが北限で、パリ、ストラスブール、ナンシーしか、フランス北部といえる街はありません。パリもフランスの中心というよりは、ストラスブールと同じくらい北部なのです。とはいえ、ランスもシャンパーニュの街ですから、しょせん葡萄栽培の北限以内なのですね。しかし、ノールパドカレー、ノルマンディー、ブルターニュとなると葡萄酒は地酒ではなくなります。あの旅でのシードル飲みまくりも、行く時間のなかった土地への想い、というのもありました。もちろんアルコール度数が低くて安い、という長時間飲みに適した飲み物だからでもありましたが。日本だとシードルはビールよりも高額ですね。ノールパドカレーだとシードルと言うよりもビールになりますかね。やはりムールフリットを食べますから。ベルギーのムールフリットよりも安かった記憶があります。フランスの中では貧しい土地になり、乞食からも差別的な嫌がらせを受けた唯一の街がリールでした。ジプシーではない白人の乞食がそんなことをするのも、教育レベルの問題でもあります。基本的にヨーロッパでは大学留学で人種差別を受けることはありません。しかし、親の仕事の都合で小学校・中学校で現地校となると、教養ある人間にとって人種差別は恥だという意識はまだ獲得していない餓鬼も多くいます。しかし、高校からは、生得的なものでの差別は民主主義の否定という考え方になってきいきます。ヨーロッパに血液型占いがないのもそれゆえです。そもそも血液型が一生変わらないと信じているのが日本周辺のひとたちだけという事情もあって、欧米では自分の血液型を知らない人が多い、輸血のときに調べなければ意味がない、という現実もあります。人間の免疫機能とは複雑なものです。日本人の医者がコーカサスの長寿村で住民の血液型を調べたいと言ったら、意味がないとばかにされたという逸話もあります。


 パレスチナ問題に関しては、双方に言い分があるので、私はどちらかを応援ということもできません。ただ、イスラムテロで友人や親類を殺されたヨーロッパ人は、ユダヤ人でなくてもイスラエル支持のひとも多いと言えます。日本ではイスラムテロはいまのところありませんが、潜伏先にはなっています。しかし、海外でイスラムテロで殺された日本人は、とくにニューヨークのツインタワー破壊のときは多かったわけで、日本赤軍がテルアビブでやったことを考えると、ユダヤ人に殺された日本人はあまりいない一方、日本人に殺されたユダヤ人の方が多かったことになります。また中東戦争に発展してしまいそうですが、日本の学校では世界史の授業で近代史はあまり教えないうちに卒業、ということになるので、このへんは難しいですね。それを見越して私は受験のときは、夏に現代史に特化した授業を予備校で受けたりしていましたが、いまは少子化時代なので予備校もどうなっているのでしょうかね。個別対応の塾が激増していますが、昔は個別指導だけでやっている子はほとんど補習であり、受験戦争に勝つ力はありませんでした。また、戦争経験者も多く生き残っていたので、受験践祚という表現もできませんでした。じっさいには自殺者も結構出ているから、生きるか死ぬかの問題がない競争だったとは言えないのですが。受験に失敗したら死ぬと決めていた人は今よりも多かったと思います。学歴社会の崩壊は予見できませんでしたし。いま死のうとしているの人は考え直しましょう。日本の方が欧米よりも学歴なしで出世できる国ですよ。良きにしろ悪しきにしろ。


 中東問題に戻ると、映画がいろいろあります。じつのところ私も、世界史の現代史は学校ではほとんどやってくれないので、ドイツの統一とイタリアの統一は、ヴィスコンティの映画で学びました。ルートヴィヒ、そして山猫ですね。中東問題の半分は、デヴィット・リーン監督のアラビアのロレンスを見るのが有効です。独立国家を保障されながら、どう国を確定するかというところで、首長達の口論があるばかりというなかで、アラブ人を鼓舞し、英国を勝利に導いたロレンスは病人扱いで英国に帰されて田舎の自宅の近くでオートバイ事故で死ぬという実話です。その英国のイスラエルへの関わりはその映画では出てきません。実際のロレンスに比べると顔だけ似ていて30センチくらい長身のピーター・オトゥールでしたが、その帰国決定を聞いていた上官を演じていたアンソニー・クエイルが、あんまりだという顔で見送るラストは印象的でしたね。すでにあれだけの観客の前で、そういう形で偽善は告発されていました。しかし、それが歴史です。
 イスラエル側は映画では日本ではあまり見ることができるものがないのですが、フランスでは、たぶん日本で見ることはできないかもしれませんが、ソフィー・マルソーが出た、サーシャのために、という映画があって、フランスの高校で平和を説いていた教師サーシャが、ユダヤ人だったので、イスラエルに移住することを決めて、その教師に憧れていたソフィー・マルソーが結婚してついて行くという物語でした。ソフィー・マルソーの演じたマドンナ的同級生にほとんど恋愛感情をもっていた二人が、一緒に湖で全裸で泳いだ想い出もあって、性的関係があったけわけでもないのにイスラエルに押しかけてしまい、あんたたちなにしに来たのという具合でしたね。フランスでは教師だったけれども、イスラエルではキブツの農場でサーシャは働き、イタリア語もできるのでイタリアから来た女性に浮気してしまうということにもなり、そのあと戦争が激化し、当然出征して死ぬ、とかいろいろあって、それだけに映画のラストははっきり憶えているとは言えないのですが、けっきょく最後は十文字焼きのように山か野原にシャロームという言葉を光らすという光景を覚えています。ユダヤ人側からは、これが平和への祈りという、反対側から見たら何を言っているのかというものになりますが、やはり祖国から連れ去られて戻ったという筋書きの歴史なので、イスラエル人のうちアシュケナージは中東出身とは思えない白人そのものなのですが、祖国という認識なわけですね。だから基本的には私もどちら側につくわけにもいかないのですが、生きるためにほんとうに日和らなくてすむのかということには大きな疑問があります。もしかして、私がそこそこに勉強はしたのにワーキングプアーなのも、どこかうまいほうに日和らなかったからかもしれないという疑惑もあります。少なくとも警察権力に反抗したことはなく、フランスでも日本でも、おまわりさんありがとうばかりなのですがね。与党よりも野党に投票したとの方が多いようにも思いますが、最近野党議員がへんにイベント潰しをして、その党が処分もしていないので、次の選挙は与党に入れてしまう可能性もあります。シノギの仕事をしていると、いろいろしがらみもあります。書くことで生きていけたら自分に正直でいいのでしょうが、シノギの仕事は降ってくることもなく、世話になってしまう部分もあります。ブログで生きている人はそれはそれで、アフィリエイトの企業への忖度は大きいだろうし、集客のために嘘情報を流して訴えられた連中もいるわけで、それは絶対にしたくありません。嘘や誤解を解くために11年前に旅で素材を集めてきてブログをやっているわけですから。
 また、パレスチナにいるのは、ユダヤ人とイスラム教徒だけではなく、キリスト教徒もいるわけですが、こちらの側面で日本で知られていないのが、イェルサレムのギリシャ人社会です。日本では翻訳もされていませんが、流浪の街というドラマにもなったストラティス・ツィルカスという作家の小説で、第二次世界大戦前後の欧米列強の共同支配の様子を、モンマルトル生活経験のあるフランス語の流暢なギリシャ人を主人公として、それをドラマで、ハリウッド映画ではジョージ・コーラーフェイスと訳される、ギリシャ系フランス人のジョルジュ・コラファスが演じています。多言語話者ポリグロットですね。この主人公と、宿では半裸で過ごすことの多い、浮気もしているオーストリアの外交官夫人との、なぜか純愛というのが軸となっていましたが、とにかくまだシオニズムが実現されていないので、ヘブライ語は少なくて、英語、ギリシャ語、フランス語、ドイツ語、アラビア語が飛び交うドラマでした。外交官夫人を演じた女優の語学力はさらにまた凄いことになります。こういうのを見ていたから私の言語感覚も、英語が世界共通語なんて寝言に過ぎないというものになるのかもしれません。オーストリアの外交官夫人ともなれば、旦那とはドイツ語とフランス語、ドイツから逃れてきた宿のユダヤ人の女主人とはフランス語で、それゆえ主人公とも訛りのない純粋なフランス語で、ギリシャの詩文につい語る美しい時間を過ごし、両想いになるという形ですが、とにかく外交官夫人が別のところで浮気をしているし、主人公も同じ宿のフランス人中年女性に夜這いされてできてしまったり、それでいながら外交官夫人の浮気の現場を目撃して、彼女の元を去り、じつは彼に惚れていた女宿主人が、彼がギリシャ兵として乗り込んだ車を虚しく追いかける、そして外交官夫人も、自分の本当の想いは主人公にあったということを痛感する、という具合でしたが、そのあとで本格的な戦争が始まるという示唆でトラマのほうは終わっていました。じつはここまでで小説では一部と二部で、三部はまだドラマ化されていないので、私も読んでいないし、その後を知りません。これから三部をつくろうと思っても、もうジョルジュも歳を取ってしまっているし、外交官夫人の女優は行方不明ですが、おばさんたちの女優は女主人もフランス人ももう亡くなっています。ちゃんとニュースは入ってきていました。それだけ有名な女優達だったわけですが。テレビドラマは昔よりも裸に不寛容になっています。いずれにしても、このギリシャ人社会の顕在ぶりは、イスラエルがユダヤ教、イスラム教と同時にキリスト教の聖地だからキリスト教徒が住んでいるということを知っていても、知らない人が多いでしょう。かつてのユダヤ教、イスラム教、キリスト教共存時代でも、やはり外交官夫人の奔放ぶりは、浮気のために居住区をまたがって歩くうち、イスラム教徒の居住地ではつばを吐かれる、というような状況でした。配偶者に性欲がない状態での婚外性交を不倫という言葉で表現するのは酷だとむしろ倫理的に思いますが、日本のマスコミの倫理観というのも何なのでしょうかね。出版社の妻子持ち社員がアイドルをナンパして成功したのを他の出版社がスクープしてグループが紅白出場を逃す、なんて倫理観がないのはどっちなのかという状況ではあります。だいたい倫理の定義も、実学しかしていない人間は、自分の頭でかんがえることができずについ宗教に頼ってしまうわけですが、マスコミの倫理観も気になるところです。考える前に行動しろ、だとどうしてもそうなるのです。考えなければ何もできないのが人間のはずだというのが、じつは私がフランスの大学で学んだことでした。考える前に行動しろ、は野蛮で、後進国であることの証明なのです。日本もフランスも、困っている人々を助けようとして、助けてはいけない方向に援助してしまった過去があります。というわけですが、戦前はイェルサレムにとっては、そこそこ平和な時代だったということになります。列強の分割支配でしたが。テレビドラマとして一番記憶にあるのはこれですね。史的事実の反映も、美醜も、すべてありました。裸のシーンがあるので日本では放送できませんが。ばかげています。人間を描くのに裸を避けたら、うわべしか残りません。
 いかなるファシズムからも逃げ、多様性を多様性のままに放置する、が信条の私ですが、それでも、自分の希望で移住するなら現地の言語と文化に馴染むのが当たり前と、自分自身も頑張った経験があります。しかし、誰が元々の原住民なのかが千年規模で異なってしまう地域については、安易に私も答えを出すことはできません。中東というと砂漠のイメージが強いですが、先日はガザ地区の大雨の報道があったとおり、イスラエルはけっこう肥沃な地域、聖書では乳と蜜の流れる地ということになります。そんなわけで平和のために飲むわけですが、イスラム教徒は基本的に飲まないので、ビールももともとはその辺、とくにエジプトあたりでで発祥したのだろうと思われるものの、イスラム教成立後はアルコールは禁止されているから、ほんとうは醸造されたものは醤油も味噌も駄目なわけですね。日本に来るイスラム教徒の方々には、ちょっとそのへんは、日本語の原材料表示が読めないなら自力で読めるようになんとかしていただきたいところです。自分がフランスで努力したうえでの考えです。食えないものがあるなら、避けるためにも努力しろよ、というだけのことですが。これはインド人がベジタリアンを徹底しようとするときにも思うことで、英語で豚エキスやかつおだしを完全に避けることなどできないわけで、海外旅行では、嫌いな食べ物を意味する現地語をまずおぼえろという鉄則もあります。私もかつては、ありゃしまった、ということも多かったものの、2012年は魚はほとんどなくて肉と野菜ばっかり食べることができました。別に宗教的な禁忌は私にはないので、最高という感じでしたが、それだけに食べてはいけないものが義務としてあるなら、真面目に日本語を勉強しろよという感じはあります。わからないから食べちゃった、が神にも通じるという発想が豚を食ってはいけないのに日本に在住する方々にはかなりあるようにも感じます。男性でろくな収入もない学生だったからでもありますが、永住が叶わなかった自分から見ると、移住というものをなめている方々は、日本人にも外国人にも多すぎると思います。そう言えるだけの努力を私はしました。断言できます。


 2012年の旅では、イスラム料理ということに一番なるのはトルコ料理でしたが、ストラスブールでの女優さんとの再会で自分のやるせない現状を話しながらおこってもらったのはかつてのお互いのご近所のパン屋が居抜きされたトルコ料理店でした。派手なおばちゃんとはいえ、大柄な美女と日本人がトルコ料理でテラスでサシ飲み、というのは、通りかかる日本人観光客にはインパクトがあったかもしれません。姉のようなものなので、あっちの事情も含めて全部話していました。そんな姐御が複数フランスにいたのは、ちゃんとした彼女ができなかった自分としては、なんとか宝ということですかね。で、酒です。トルコ料理店では姐御にロゼをおこってもらいました。フランス料理ではないので、クスクスの場合同様、赤白はっきりつけなくて当然です。後日、旅の中ではケバプを買って、近くのベンチでビールとともに食べたりしました。本格的なクスクスを一度は食べた方が良かったのかもしれませんが、バーベキューでメルゲズを食べたし、イスラム教徒の料理はそのくらいにして、あとはとにかく普通のフランス料理を食べるのに忙しかった旅でもありました。トルコも一応政教分離国であってイスラム共和国や
王国ではないわけですが、酒そのものを置いていないケバプ屋も多いですね。イスラム圏やインドへの旅行に食指が動かないのも、言葉の問題がまずあるものの、数週間酒なしで過ごすことができそうにないという事情があります。言葉を学んでまで食べたいものが、ヨーロッパには多かったのですが、それは葡萄酒、ビール、林檎酒のいずれかと遇わせる前提でした。
 ユダヤ料理は、2012年はとにかくファラフェルを、とくに菜食だけのものにしています。数週間の旅なら、肉食に徹してこそヨーロッパ旅行のあるべき姿ですが、数ヶ月だと、やはりどこかでプチ断食か肉断ちの日をつくる必要もありました。朝食を抜けばプチ断食は成立しやすいですね。一日一食になって、だからちょっと贅沢を、という日もありました。完全な断食を数日やるのは、自己流では危険ですね。でも、旅の間ぐらい、一食減らしてそのぶんを充実した夕食に費やしても、肉の食べ過ぎにはならないと思います。そのせいかたくさん歩いたけれども足は肉離れすることはありませんでした。ミートグッドバイの旅ではなかったわけです。エジプト豆は近年日本ではひよこ豆と言われていますが、どこがひよこなのかわからないので、私はエジプト豆と呼び続けます。クスクスでも定番の豆ですが、これを潰してコロッケにしたのがファラフェルなんですね。あの旅では二回食べましたが、アラブ系の料理に比べると、ファラフェルのフランスでの本場となると、日本ではオシャレ雑貨屋街として知られているものの、じつは一番のユダヤ人街であるパリのマレ地区になります。パレスチナ問題が激しいときにはテロの標的になりやすいので、オシャレ、だけで行く人は思わぬことになるかもしれません。オシャレ目的で行く人も頭の隅にそこがユダヤ人街であることを置いて、緊張感を持って、なにか音がしたら逃げるくらいのつもりでいましょう。マレ地区での一回目のファラフェルはケバプ、あるいはピタサンドのようなのではなく、味が混ざらないのを初めてのときは食べたいので皿で出してもらったので、ワンプレートですが、ファストフードではなくなっています。赤葡萄酒を頼みました。ユダヤ料理店なので、礼拝で清めをすませたCasherのはずです。イスラム系の料理のときは酒をつけるのを本来の法式ではないけれども、フランスだから、ということで楽しみますが、ユダヤ料理なら、酒は当然のようにつけてしまうことができます。背徳感がないのがいいですね。まあ、冒涜こそ民主主義なのですが。
 ギリシャ料理はラク酒と同じアニゼット系のウゾがあるわけですが、2012年はギリシャ料理店ではレツィナを飲むだけで、ウゾは飲んでいません。しかし、アニゼット系ということでは、友人宅で、イタリアに行く前の夕食で出してくれたアペロになりますね。じつはアニゼット酒は私の場合体内に残りやすく、苦手なので、夏場に一杯という感じで、あの旅でも自腹では飲んでいないので、それが唯一になります。トルコ料理店でのラクというかラキは、昔ストラスブールで、ケバプ屋ではないトルコ料理店ができたということで、トルコの言語を研究している人に誘われて行ったときに、結局その最初のラク酒で食事の最後までもってしまったので、飲んだことがありましたが。やはりフランスの茶色いアニゼット系よりも、ギリシャのウゾに似て、水を入れる前は透明でしたね。
 そんなわけで酒を飲む、ということでは、イスラムよりもユダヤよりになってしまいますが、飛行機に乗るときは、いつもしらふでは死ねないと思って飲んでいたので、不謹慎であろうとも、飲みながらどうしたらよいか自分ではコントロールできない状況を考えてしまいます。何もしないよりも行動しなければならない、で逆効果を生み出してしまった例をいろいろ見ていることはすでにこのブログでも書きましたが、それだけに安易に動けないですね。ユダヤ人と、イスラム教成立以前のアラブ人との友情というのも、映画ベン・ハーでは描かれていますが、基本的には全部架空の物語でありました。たしか戦車競技用の馬をベン・ハーが譲り受けたのは懐深きアラブ人からだったと記憶していますが、アラビアのロレンス同様、昔は年末年始休みにどちらかのDVDを見直していたものの、最近はぜんぜん映画を見る時間がないので不確かになってしまいました。その戦車競技が行われたローマのチルコ・マッシモ、使われていた当時のラテン語ではキルクム・マクシムスに2012年は訪れています。初ローマのときは土手の向こうだったのでそこには川が流れているだけと勘違いして訪れていないのですが、二度目のローマのときはわずか一泊で訪問すべきところとして訪れ、そのときよりも建物もできていて、再建の動きがある感じでしたが、いずれにしても基本的にはゴミ袋舞うグラウンドで、しかもグラウンド部分は立ち入り禁止、というものを客席だった土手で眺めるだけでした。しかし、そこに行くたび、頭の中ではベン・ハーの音楽が流れてしまうのです。ベン・ハーはローマ植民地のうちイスラエル代表でした。
 日本ではイスラム系の料理はほぼまったく食べていなくて、インドカレーを何度か食べたシディークがパキスタン系と思われる程度です。2012年の旅以前なので、携帯電話そのものを持っていなくて、写真もありません。このブログでインドカレーの写真がパリのものしかないのもそれゆえです。ガストで出していた時期もありましたが、それだけです。2020まではありましたね。カレーは素晴らしいですが、もちろんナンはタンドーリの炭火焼きというわけにはいかないし、ラッシーもないですね。もちろんこれはイスラムが手本ではなく、たんに酒を飲まない文化の料理を日本のファミレスがその気になれば酒付きで提供できるようにしただけですが。ガストからなくなって寂しいナンカレーで、ガストはGOGOカレーを今年は出していました。それはまたの機会に。2012年はフランスだったので、カレーにもビールをつけていて、インドビールを試す機会になっていましたが、じつは私もカレーに酒が合うとは思っていなくて、外食のカレーは常にではないですが、だいたい酒抜きで、家に帰ってからの感じですね。
 一緒に飲むことで、一緒に風呂に入ったのにちょっと近い感覚で親しむことが、酒を飲まず、混浴もしない文化だと難しいわけですが、それだけに飲むことでの平和への祈りをと思います。意味がない? だったら宗教の祈りは何ですか。宗教戦争の局面も大きいのに。それに比べれば、無神論のほうが、信者では超えることのできない新しい道を探すことができるでしょう。聖体拝領の葡萄酒よりもちょっと多く飲むかもしれませんが。よく考えてみると、キリストの血と肉を食う、まさにカーニバルですね。ま、中東の場合はキリスト教の先輩と後輩の戦争ですが。酒を飲むのは、けっきょく無宗教が一番平和的だという実感ゆえでもあります。それら聖典の宗教よりも旧い仏教だから安全という保証がないことは、歴史が語っていますね。織田信長が世界初の政教分離国家を作るべく本能寺を征服してしまったのも、坊さん達が厄介な武装僧侶だったからです。皮肉にもドラマでは当時亀治郎だった猿之助さんが武装僧侶をやっていしたが。街で酩酊すると、いろいろ破壊的行動も考えられますが、家飲みなら、静かに眠るのでしょう。中立性を考えると乾杯はギリシャ語でヤマスですが、アテネのぼったくりバーでおぼえた言葉なので、やはりフランス時代に自分の部屋でイタリア人達がスパゲッティパーティーを企画して、ヨーロッパ人ばかり、多国籍で、ラテン語のIN VINO VERITAS酒の中に心理がある、が前置きでしたが、叫んだのは女性が多かったのにあの言葉でした。悦に入っていたのは私だけだったと思いますが。しのやま不謹慎ですが、そういう名前のカフェがミラノにありました。