11年前の今頃は、半分死ぬ気で出かけた旅から生還してしまったことで、いささか後ろめたさもありました。生まれてきてすいません、というのは、一億匹のまねだ精子ちゃんの中から生き残って生まれてきたわけだから、ないのですが、飛行機に乗るときはいつも命がけという意識があったので、無事に成田に着くと、たどり着けなかった人々の無念とか、考えてしまうのです。自分だけ生き残って吸いません、というと猿之助さんを思わせてしまいますが、猿之助さんや戦争に行って帰ってきた人ほど深刻ではなくても、ひどい受験のあと、なんとか現役合格した自分と仲良かった同級生は全員浪人していたわけで、いかに運に左右されるものかという思いはあります。試験の傾向が変わってしまったために落とされたものもあれば、傾向が変わったことで受かったりもしているわけで、実力があれば運は関係ないとか、運も実力のうちというのは戯言だと思います。語学の実力があるから飛行機が落ちないというものでもありません。昔のスイス航空が墜落したときなどは、ほとんどの乗客と乗務員全員が四カ国語ぐらいできる人たちだったわけで。もちろん無鉄砲に、下手くそな英語とLCCで海外へ、で危険な目に遭った人たちへの同情は、逆の努力をした私としてはほとんどないのですが、ちゃんとメジャーキャリアの飛行機、ちゃんとしたツアーなど、最善策を取ったにもかかわらず、事故で死んでしまうこともあるわけで。私はヨーロッパキャリアの飛行機を選び、高級ではないけれどもちゃんとしたホテルに泊まり、言葉のわかる国だけに行く、ということで、命がけにしては、安全なパターンです。それに比べたら、安く、努力もなしで、LCCのうえに言語軽視、というのはもっと危険です。私は、ヨーロッパの航空会社で、現地語使い分け旅行、と考えました。人生最後の旅になる可能性もあったので、そのへんはカッコよく行きたかった部分が、自然体で、本当は裸で生きていきたいがそれでは捕まってしまうから、警察に世話になるのは免許更新だけにしたいので、仕事では仕方なくダイソーのネクタイと洋服の青山のスーツを着ています。でも、本当はユニクロとドンキで買った服だけで仕事をしたいところで、フランスからの帰国のときにいつも買ってくるのも、アルマーニですが、アルマーニジーンズです。というわけで、最初はヨーロッパキャリアで一番安いと思ったスイス国際航空を選んだものの、帰りは乗り遅れて世界一安全なルフトハンザになってしまったし、現地語旅行だと、スリや詐欺師が現れたときに、何が起こっているかはわかるので、スリは現地語で追っ払って、詐欺も手数料程度で切り抜けて、という感じで、実害ほぼなしでした。なにしろ、鳩豆詐欺も、500円くらいで手を打ってしまったので、他人に撮影してもらいながら、写真ボックスの証明書用写真よりも安いのですよ。でも、あの南アジア系の詐欺師達が、私のイタリア語に驚かなかったら、英語でずっと絡まれていたはずだし、とにかくiPhoneが奪われなかったことはなによりでした。国境を無事に越えたあとだと、ちょっとですが、日本から現地入りした直後のような感じにはなっていました。とにかく予定にはないことなので、自己嫌悪には陥りますね。パリ北駅のスリ未遂のときも、ひどく傷つきました。だからこそ、ヤホー時代以来、ブログでは冒険ではなく、安全な旅を呼びかけることに徹しています。どうせ行きたいところがセットになっているなら、英語個人旅行よりもツアー、セットにないところに行きたいなら現地語を頑張れ。英語個人旅行で良さそうなのは、現地の人と 触れ合うつもりもない山でのハイキングか、海で日光浴しているだけとか、そのくらいのものかなと思います。スキー場のトンネル火災でも、英語旅行だったために、ドイツ語がわからなくて反対方向に逃げて全滅してしまった中学生達と引率者、というのもありました。絶対に何度も来ている人は、ケーブルカーがトンネルの障礙のどちらに近いとこ炉で止まってしまったかわかって、ドイツ語でどっちに逃げればいいか叫んでいたはずなのです。だからドイツ語のわかる人たちは生き残った。海外での日本人の死亡事故のニュースがあるたびに、非英語圏を英語で押し通すことの危険というのを感じてしまいます。しかし、外国では何処でも英語で言い、現地語ができるわけがないという前提のためか、言語の問題がクローズアップされたのは、アラビア語ができたおかげで三年の拘束から解放された人を見て、コメンテーターの木村太郎氏が指摘した程度だったでしょうかね。
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 あの旅は後悔のない旅でしたが、もちろんもっと長く居ることができて、もっと金があれば、ほかにもできたことはあっただろうし、オクトーバーフェストも、すっかり忘れていたのに、帰りの飛行機がルフトハンザになってしまったので思い起こされ、東京に戻ってからミュンヘンのビールを飲みに行ったことになります。もちろんブログをやっていた関係で、あの旅は東京に戻ってからも、自分の中ではなかなか終わらなかったし、ある意味、ブログでいまだにあの旅を語っているからには、今も終わっていないのですが、区切りというか、そういうものは、ドイツのビールも飲んで、旅の間のクレカ請求が全部引き落とされ、免税額も戻ってきて、ということになります。治国による差額がそれの免税額の二倍ぐらいにはなるだろうということはすでに試算できていましたが。そういう意味では、クレジットカードによる引き落としまでのタイムラグ、悪くありませんね。まだ意識の上で旅が続いているのだし、得した感じにもなります。ただ消えてしまう現金に比べても、明細には、たしかに自分がヨーロッパにいた足跡が残っています。今でも確認できるわけで。レシートは捨てるにしてもその前に写真で撮っておくと、あのときそこで生きていた証になります。短くても旅を一年に何度もする人の感覚というのは私とは異なり、ある程度の長さのヨーロッパ滞在にするとはいえ、それを終えると十年以上日本でワーキングプアーするだけということでは、やはり旅はそれなりの内容にしておかないと、あとから反芻することができません。二度咀嚼しても三度舐めても美味しい旅にするためには、やはり美味しいものを食べておかなければならないし、高級でなくても、店の標準の酒でも充分に堪能できることを経験する必要があります。初旅行のときなどは、葡萄酒の知識がなかったので、ロゼばかりでしたが、それを反省しての留学以降は、赤白はっきりつけましょう、という感じで、2012年の旅はおごってもらったときと部屋飲みはロゼもありましたが、自分でレストランで注文したロゼはありません。
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 で、オクトーバーフェストですが、あの旅の最後は、何度も述べたとおりスイス国際航空に乗り遅れたことでルフトハンザになり、差額もけっこうしたので、最初からルフトハンザで往復した場合と同じくらいになり、それなら無職の身分不相応でも、エールフランスで往復した場合と変わらないことになってしまいました。人生最後の旅になるかもしれないなら、フランス語ができてフランス料理が本当に好きならエールフランスが一番です。フランス語ができなくて、やっぱり飛行機が落ちる前の食事は和食が良いなら、日航かANAですが。それだけにルフトハンザでなんちゃって留学を上回る機内留学にしてやれと思って、ドイツ語環境に身を投じました。しかし、ロワシーからミュンヘンまでの飛行機では、機内アナウンスの、ちょっととぼけた口調の、ウィーンのひばりの鳴き声に似たとも形容されるドイツ語にも似て、Rも巻き舌なのがミュンヘン経由の醍醐味なのだと喜んでしまいました。じつはミュンヘンからの距離は、ベルリンよりもウィーンのほうが近いのです。それが機内食にも現れていました。隣の夫婦とはフランス語で話していたし、入り口のCAたちにはグルースゴットと挨拶しましたが、ドイツ語での最初のやりとりは飲み物の注文で、ビールを頼みました。それでちょっと質問されたことにいい加減にヤーと返答して、あとからなんと聞かれたのか遅れてわかってきたのです。オクトーバーフェストに行くんですか、でした。十月のまつりとはいえ、九月に始まっているのをすっかり忘れていました。で、テレージエンヴィーゼには行かないし、フライジングにあるミュンヘン空港で空港なのに造り酒屋があるということなので、そこでビールを飲もうと思っていました。しかし、一時間あるはずの乗り継ぎ時間のうち三十分は飛行機の出口からのタラップバスが客待ちでターミナルに到着せず、免税店で買い物するのがやっと。次のビールは成田行きの飛行機になり、しかも、ウェルカムシャンパンはエールフランス以外は本物のシャンパンは有料なので、エーデルヴァイス航空のときにプロセッコにしたのと同様、ルフトハンザではゼクトにしました。かつてフィンランド航空で帰国したときも、同じ事情でゼクトにしたので、久々でした。なにぶんあの旅はランスで本物のシャンパーニュを一杯ずつですが、毎食前に飲んでいて、あとは同じ作り方のクレマンが別の地方にありました。メインの機内食のときも、赤葡萄酒にしています。しかも、ベルリンよりもう品に近いからなのか、主菜もグーラーシュで、付け合わせもオーストリアに支配されていた北イタリアのポレンタだったのです。どちらもあの旅である意味食べ損なっていたものです。そういうわけであの帰国時の次のビールは二回目の食事。まだ夜中のシベリア上空でしたが、朝食とされている食事でした。これでCAに嘘をついたことにはならないのかな、と思いましたが、とにかく気になっていました。今回のブログではそのときのルフトハンザで提供されていたヴァルシュタイナーの写真を出しまくります。ロワシー・ミュンヘン便では瓶、ミュンヘン・成田では缶という、なんとなく行き先の文化にあわせた感じでしたが、じつは地上ではドイツではないところで生を飲んでいまして、イタリアで入りのときのミラノで、両方の滞在で行ったピザ屋のビールがヴァルシュタイナーでした。フランスでも、コルマールで友人と、市場で白葡萄酒一杯、食事のときにベルギーのジュピレールのビールという具合だったのですが、そのあとのカフェでは、旅の疲れがどっと来てしまいまして、最初は近隣の炭酸水であるバドワを飲んで、つぎにようやくビールを飲む気になり、頼んだらヴァルシュタイナーでした。ただひとつの本物、というコピー、謳い文句があって、やはり死ぬ前のビールは本物のビールがいいなと思いました。辞書なしでもその程度のドイツ語がまだ理解できたのも、喜びではあり、帰国便でもドイツ語の練習したれと思っていたのです。うちに泊まってけよと行ってくれた友人には申し訳なく、コルマール駅まで送ってもらって、ストラスブールのホテルに戻ってからは、その日は珍しくもう夜は水しか飲みませんでした。もちろん水道水しかありません。あの2012年の旅で水道水が飲めない街は一つもありません。むしろ日本の海辺の街は水がしょっぱいこともあるのではないでしょうか。少なくとも私は自分の身体で実証しました。
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 あれから十一年。行動範囲にドイツビールの生を出しているところがないので、国産で、補助澱粉を使っていないので、ドイツのビール純粋法でもビールとして売ることのできるものを。ゆで太郎システムがプレミアムモルツをやめてしまったので、バーミヤンと日高屋で一番搾りですね。最近はイオンのプレミアム生ビールの缶が飛躍的に美味くなり、値段も上がりましたが、十月からのビールの酒税見直しで前のものと同じくらいの値段になりました。他のメーカーのビールも少しですが値下がりしています。サッポロのラインで製造してドイツのホップということなので、エビスのラインで配合を変えて作っているのだろうかと憶測してしまいますが、家飲みの定番になってしまいました。カロリーオフビールも値下がりして、店によってはもっと安いので、それも飲んでいますが、冷やさない状態でも美味いと言うことでは、やはりビール純粋法でも認められるもののほうがいいですね。カロリーオフビールはどうしても補助澱粉を使っています。
 とはいえ、やはりドイツのビールも飲みたいこの季節、手に入りやすいレーヴェンブロイではつまらないかなと、もうひとつだけスーパーにあったドイツビールのクロンバッハーを買ってみましたが、やはりミュンヘンのもの、ということで、レーヴェンも買って飲んでしまいました。かつてミュンヘンに行ったときは、はしご酒だったので、レーヴェンブロイのビアガーデンではアルコール度数の低いパナシェをがぶ飲みして、ミュンヘンでは意外にレーヴェンを飲んだ記憶がありません。生はほかのドイツの街で、缶はフランスでも日本でも飲んでいます。日本では大学の近くの高級ホテルでローエンブローとか行って出していたので、地元の大学生、ドイツ語習ってるんだけどなあと違和感をおぼえたのをおぼえています。というわけで今年は十月に入ってからでしたが、オクトーバーフェストのことを考えながら、ドイツのビールを二缶飲みました。一度本物のオクトーバーフェストに行ってみたいですが、トイレ事情を考えると、女性を誘えませんね。なにぶんジョッキは一リットル標準ですから。
 BGMはドイツ人ではないフランスのジャック・デュトロンで、映像もドイツでもフランスでもないパンナムですが、とりあえずヨーデルなので。スイスとオーストリアのヨーデルは脈々と受け継がれていますが、バイエルンのヨーデルは一度継承者がドイツ人ではなくなっていました。昔、ストラスブールにはドイツのテレビ放送も入ってくるので、昼の歌番組で、日本人が出てきて歌っているのを見て、ヨーデル好きのおじさんだなと思ったのですが、日本に帰ってみると、じつはそのときの女性司会者がその日本人に継承者の居なくなるドイツのヨーデルを継承してほしいと頼んだということで、その後その人にドイツ人の弟子ができたので、バイエルンのヨーデルが引き継がれたということでした。すごい人です。それだけ現地文化にどっぷり浸かった偉大な日本人がいたことを知ると、なおさらホームシックを語るような軟弱者はさっさと自国へ帰れと思います。移住を可能にする条件は多くの場合金か結婚ですが、適応能力なき移住は、その国に対して失礼です。日本でも移民同士の対立問題をもちこむ人々がいますが、追放でよいのではないでしょうかね。それがかつて海外で、一生懸命言語も現地文化も適応し、現地の法律も守ったのに帰国するしかなくて、日本で輝きのない人生を送っている人間の実感です。これが差別ではない証が、旅でも現地語にこだわった2012年の旅です。というわけで、気持ちは固まっていますが、肝は固まらないように飲むことの難しさを考えるこの日々です。強い酒なんて飲んでいないんですけどね。

 

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