いや、最新情報ではなく2012年の旅の振り返りです。あのときは土日も含んでいたし、八月だったから、どこまでローマの素顔そのままだったかという問題はあるかもしれませんが、ローマ、そしてそのあとはボローニャでも、現地の犬は親しげになついてくれていたように思うので、すぐに私の指をかみちぎろうとする親戚の犬よりも、昔実家で飼っていて、私の留学後一ヶ月で死んだ犬を想い出させてくれましたね。ほんとうは十一年前にローマにいた時期に該当する先週書き上げてしまいたかったのですが、この夏は、八月はそこそこに休ませてもらっているものの、猛暑のためか疲労が激しく、休日は寝てばかりで頭が働きません。医者から減らすかやめろと言われているアルコールがないと駄目ですね。しかし、飲み過ぎないようにすると、書けない。もう十一年前だったら、ボローニャ滞在も終わりでミラノ再突入しかけているとき、来週だともうベルンも通り過ぎてドイツ唯一の一泊の時期になってしまいます。イタリアがテーマでなぜこのBGMかは、最後まで読んでいただくしかありませんね。たぶんクリップはニューヨークで撮影されたのでしょうが、あのときのローマの大学界隈も、似たような景色でした。地下鉄ではなくて、遠方への鉄道ですが。首都の中での地下鉄の地上路線となると、私の知っているのはパリと東京になってしまいますが、パリは同じように陸橋の下で路上ライヴなんてできそうですが、東京だと渋谷と水道橋の陸橋の下はもろに大通りなので、あとは江東区と江戸川区になってしまいますね。
 ミラノ、ボローニャ、フィレンツェと、昔泊まったホテルに泊まったりしたので、ミラノとボローニャでは昔もいた係がいたりして、向こうが憶えているかどうかわからないけれども、こっちはおぼえていて、ミラノでは若かった男性の係二人が白髪になりながらずっと働き続けていることに涙が出そうになりましたが、またあれからさらに十年以上。どうなっていることやら。ボローニャはピザ屋でも、店の娘さんと思われる、縦にも横にも貫禄のあるお姐さんが昔のようにピザを焼いていて、これも感動しましたが、向こうは憶えていないだろうな。いっぽうローマは、昔は駅前で手を打ったのに、そのときは大学界隈の初めてのホテルだったし、昔行ったことのある食堂の再訪が二件でしたかね。ピラミデ近くの老舗はさすがに昔の係かどうかもわからず、大学界隈のピザ屋の係のおじさんも昔行ったときにそこそこの年齢だったから、たぶんあのときはちがいますね。さすがにミラノやボローニャほど何度も行ったとも言えないのがローマとフィレンツェでした。そんなわけで懐かしさは、人もありながら、モノと味でした。とくにローマとフィレンツェでは昔見た顔がないし。2012年のときにはナポリまでは行けませんでしたが、日本のムック本でピザの本があったとき、昔ナポリでピザを作ってくれていた職人さんの写真があったので、そのときはまだキャッシュレス化されていない書店でしたが、思わず買ってしまいましたね。世界一周はせずに、言葉の通じるところだけに行きたいので、あのとき行きたかったところ、今後も行きたいところがヨーロッパばかりで、懐かしさも、再訪だけにたくさんありました。そのまま死んでしまってもいいと思える旅をしたかったのです。だから再訪ばかりで、あとはかつて行かなかったことが心残りだったオーヴェルニュとピレネーだけ。バスクもスペイン部分にはいきませんでした。スペイン語もちょっと取り戻したくもありましたが、急ぎ足の旅にするよりも、初めて行く国々ではないので充実させたく、ローマまで行くことができるかどうかに力点も移りました。それでいてけっこうスペイン語は耳にしたし、少しだけ話したりもしましたしね。
 ローマの素顔ということでは、ローマのピザは生地が薄いのですが、薪で焼いたかどうかでまったく味が違ってきます。テルミニ駅前はファーストフード中心なので、駅前で本場のイタリア料理、となるとハズレが多いわけですが、私はピザ窯を外から見て歩きました。日本で何年も前から石窯が、といいますが、石窯かどうかではありません。パン焼き用の鉄釜でもいいのです。炎です。均等でコントコロールしやすそうなものはガスなので、もうちょっと管理の難しそうなメラメラ炎ですね。一見ガスのほうが勢いがいいのですが、踊るような薪の炎も高温です。恋のメラメラはない旅でしたが。いや、かつて、このひとともし…なんて妄想したこともある女優さんや学友とも再会しましたがね。で、駅前なのにちゃんとしたピザを食べることができた自分が凄いなと思ったりしましたが、それだけ駅前がファーストフード化されていて、駅の中は生ビール抽出機すらない時代に、2012年のイタリア四都市ではなっていました。田舎の駅なら昔ながらの駅バーが維持されている可能性もありますが、見ていません。初イタリアのときの、ミラノ中央駅のバーでは、先にキャッシャーで注文してそのレシートをカウンターで差し出すというシステムを理解するのに苦労し、フランス居住最後の旅では、その知識でスムーズにピールを飲んで雪辱、なんてやっていたわけですが、そのバーは薬局になっていました。時代は変わっていました。イタリアではレシートは持ち帰らないと犯罪です。その証拠は何度もすでにこのブログでも出していますが。昔の路線相談のためのインフォメーションの場所がファーストフードのピザ屋になっていて、とにかく座席は中国人が陣取っているので、荷物が重くてもビールが立ち飲みしかできなかったりして、列車も高速中心ですから、鉄道から食文化は消えました。ローマ・テルミニ駅にはセルフサービスのチャオが入っていましたが、生ビールではなく、瓶ビールです。昔はミラノで何軒も発見したチャオだったし、初めてのときは生ビール抽出が初めてだったので、近くに居た若者が教えてくれたりしましたが、2012年は駅でのそのアラスピーナというのがありませんでした。抽出機のビールについては、ほかの言語では、フランス語はアンプレッシオン、ドイツ語ではフォムファスとなります。面倒? 好きならおぼえなきゃ。もっとも、私も間違えてフォムフスとおぼえていましたが、それでも現地語ならなんとかなるものです。ファスは樽で、フスは足なのですが、いかにも足下から出てくる感じがあったんですね。ちなみにフランスの主要駅は一応ちゃんと生ビールがありました。パリだけで比較すると、東駅とモンパルナス駅でしか飲んでいませんが、モンパルナス駅はプラスチックカップのハイネケンでしたが、東駅はさすがにストラスブールに向かう列車が発着するので1664があります。スイスはチューリヒもベルンも生がありました。
 ピザ屋兼業の食堂でも、コース料理を食べるときは、食前にビールを頼むことができる店もあると思いますが、あとは葡萄酒ですね。ピザの場合は前菜にサラダやブルスケッタを頼むパターンもありますが、いちおう30cm前後で一人前なので、私はそれだけで、初めてIVOに言ったときは赤葡萄酒でしたが、なにぶん夏がイタリア訪問のほとんどなので、ビールでしたね。ほとんど糖分のコーラよりは健康的だと思っています。ビールも意外とポリフェノールを含有しているようです。カルシウムはないものの、ビタミンはたくさん含んでいるし。
 猛暑の今年の日本は、例年どおり通勤時にかつてのローマを想い出しているのですが、もちろん通勤ですから途中で食事できるにしても、ビールも葡萄酒も飲むことができません。蕎麦屋で冷やし蕎麦が多くなってしまいました。キャッシュレスでなければ、日本の後進国ぶりを感じてしまうので、素直にゆで太郎でもりそばというのができなくて、少なくともSuicaやPASMOが使えるところに通うことになりますが。とにかく暑くても歩く、は2012年だけでなく、その前の体験にもなった大昔のローマでの歩きが基本にあります。私が絶賛するボローニャのピザも、厚さとして、薄いローマと膨らんだナポリの中間のちょうど良さという中庸的な部分もあります。そのうちのローマでのほんとうに美味いピザの原体験が、観光の中心からはずれているのでイタリア語でおばちゃんとやりとりした店で、冷房がきいていないので扇風機を当ててもらっての店でした。アッピア街道の訪問のあとかと記憶していますが、その初ローマの店は、2012年には探したけれども見つからなくて、とにかくふたたび撮影のためにアッピア街道には行きました。旧アッピア街道は石畳なので、オートバイと普通車中心ですね。でかいトラックは新アッピア街道でないと事故が起きますね。やはりマルゲリータの味が鮮烈で、ローマ最初の夜のIVOにしても、それ以前に行ったことのあったボローニャにしても、具を載せていたのはなんだったのだろうかという感じになり、のちにマルゲリータしか食べなくなってゆきます。2012年は三つの都市でまずマリナーラを食べてから、次の昼食ではマルゲリータ、みたいなことをしていましたが、後半はもうマルゲリータから戻れなくなってしまい、ボローニャ以降のイタリア部分はマルゲリータだけになっています。そのあとはフランスでの友人の招待でのピザだったので、具だくさんになってしまいましたが。
 あえてかつて見た旧アッピア街道を見に行きましたが、歩行者として私以外にいるのは、違法なものを売っている感じの外国人だけで、こんなところに警察が来たら、私も同類に見られてしまうのかと思ったりします。これから見てみたいと思う人は、そうじゃなくて歴史的な興味があることをイタリア語で説明できるようにしておいたほうがいいですね。英語だととりあえず英語のできる警官の居る警察署まで、ということで、その場では解放してもらえないことでしょう。ここで留置までいくと、その先の旅程などどうなるのでしょうかね。帰らないのにホテル代は払わなければならないし。英語の旅なら、やはり現地に深入りせずに、団体旅行を超えることはできないと思わないと、警察に捕まってしまうと、帰国の飛行機に払った金も無駄になることでしょう。でもあの旅は、ある程度人生に絶望していたので、もうローマに行くことなく死んでしまうのかと思ったところで析出したフィレンツェ・ローマ、やはりもう一度アッピア街道を見たくもありました。そして美術館に行かない代わりに、新アッピア街道も。すべての道はローマに通ず、を鉄道ではフランスから再確認したあの旅ですが、道路ということでは、かつてアッピア街道の終点をブリンディジで見たこともあります。もちろんギリシャ往復したときでした。ギリシャ語がおぼつかないためにふがいないギリシャ旅行のあとで、イタリア語で意気揚々と南イタリアを巡った旅も想い出します。それはかつて、初海外旅行がフランス語の腕試しだったので、イタリア語の準備は充分ではなく、短いミラノ往復で、最後の夕食だけなんとかイタリア語でやりとげて、パリに戻ったときのフランス語のなめらかさを思い起こさせるパターンでした。ちょっとできる言語圏から、あまりできない言語圏に行って戻ると、すごく上達した感じになりました。あの、ともすればフランスとイタリアだけで完結してもおかしくなかった旅にドイツ語圏の航空会社を使って、短いスイス滞在とドイツ滞在を加えたのも、三言語のなかで一番苦手なドイツ語圏からイタリアに入ったときのリラックスを計画したともいえるかもしれません。その一番苦手なドイツ語も、とにかく英語圏に行ったことがないからには、英語よりもしっくりくるのですよ。知っている単語量は、英語の抽象語がほとんどフランス語起源なので、インテリ相手ならそれを使ってしまえばよく、あとは、とにかく自分にとってはあの旅で英語は必要なく、他人を助けるために使っただけなので、そこからドイツ語の世界に入ると、それなりにしっくりいきました。それに、じつは大学で最初に教わったのはドイツ語で、当時は自分にしっくりこなかったので単位を落としてしまい、それでも四年で卒業しようと思ったら、教職課程はもちろん、図書館司書や博物館員も資格を取る余裕がないというのが、その後の就職難にもつながってゆきました。しかし、履修し終えたことで、ちょっとはできるようになってしまったわけです。フランスに留学しても、アルザス語が聞き取れなくても、書いてあることは何分の一か読むことができるわけで。
 教会の訪問もコロッセオの中に入ることも初ローマのときとちがってありませんでしたが、タダで行くことができるところを再訪し、かつてよりも知識を携えた上でローマの味を喰らう。朝食の胃もたれもあったので、抜いた食事も多かったけれども、一週間とったので、半分の日程で計画するような食べ歩きはゆっくりと実現しました。同じ日数でボローニャでやったのとは半分の食べ歩きパフォーマンスでしたが、とにかく自分の胃が蛋白質や脂肪でもたれているのではなく、糖質、とくに単糖類でもたれていることに気づくのに時間がかかったし、それはその後の人生にも自分の体質の気づきとして有用でした。
 2012年の旅は、失業してのものでしたが、かつてフランスに住んでいたときに行ったところ、行き損なったところに行っただけなので、現実逃避とか、非日常の旅という意識はなく、もうひとつの日常、かつての日常の延長、という感覚でしたが、さすがにローマは歩けばでかい古代遺跡がボコボコあるので、俯瞰したら中世都市だった、というほかの街とはちがいます。初めて行ったときも、夕刻に迷子になりながらコロッセオが現れたときはシュールでしたね。2012年は夕食までには大学近くのホテルまで戻らなければならないので、ローマ中心街の夕べ、というのはなく、糞暑い昼間に延々と歩くのを楽しんでいたのですが、やはり想い出してはいました。政治、つまりまつりごとと、皇帝が務めとして民衆に提供する享楽、その二つに徹した都市なので、経済という現実的でケダモノ的な部分はミラノに預けてしまっているわけですね。哲学生だったマルクスが壮大な歴史研究の中で経済を最優先したのは、人類の歴史の中では経済史がいちばん自然史に近いということで、つまり動物的な部分だから下部構造ということになるらしいのです。そういうことでは、ローマは上部構造中心の街で、効率よりも大事なものをいろいろとかかえていることになります。昔はミラノの地下鉄は二路線しかなかったのですが、ローマは新しい地下鉄のために地下を掘ると、とにかく遺跡が出てきてしまうのでなかなか進まないということもあって、2012年はミラノの地下鉄路線のほうが多くなって充実していました。機能的でしたが、あのときは地下鉄の切符は買わず、イタリアではとにかく歩いてしまいました。2012年に市内交通を利用したのは、滞在日数の多かったパリとストラスブール、あとは駅から中心街まで歩くと一時間はかかってしまうバーデン=バーデンだけです。いちいち歩いているので、幻想の街という感じにはならなかったのですね。
 ローマの平日という題名はもちろんローマの休日のパロディですが、そんなローマのあの真夏の素顔、ということでは、学生街に宿を取って、夕食はそこでしか食べられないようにしたことは思い出深いですね。ずっとやりたかったことでしたから。イタリア留学をしなかった自分にとって、ローマやボローニャの学生街で食べる、というのは感慨深いものがありました。ミラノとフィレンツェでは学生気分を求めたことはありませんが、フィレンツェでは偶然学食を見つけましたね。昼下がりだったから締まっていたし、使い方もわかりませんが。フランスの学食も、学生ではないおっさんでも法律的には学生ではない料金を払えば食べることができますが、そんなことをして学生や、その前後に特別提供されるホームレスの食い扶持を奪うのもね。イタリアの学食はわからないのですが、フランスの学食は、学生向けのかぎられた時間よりももっと限られた時間に、こども食堂ならぬホームレス食堂になるのです。見たことはなく、テレビで知っているだけですが。安価でも料金を払っている学生が食べ尽くして残りが少なくなるのは本来の学食の役割だからいいのですが、割高とは言え、旅行者がホームレス(フランス語ではSDFといいます)の分を食べてしまうというのも、ちょっと現地の世の中の仕組みを知っているものとしてはどうかと思います。2012年は学食では食べませんでしたが、ヤホー時代に学食の話を書いたら、けっこう興味を持ってくれた方々がいたので、もし話半分ではなく実際に食べてみたいと思ってのことだったら、このことを認識したうえでにしてほしいと思います。できれば正当な資格として、大学留学するなり、語学留学も大学附属講座なら学食カードを購入する資格があるので、それで毎日でも行列に並んで食べてみるとかしてください。たいした金も出していないのにキャッシャーのおばちゃんを英語で困らせないように。
 ローマの休日は、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの映画ですが、監督のウィリアム・ワイラーはアルザスのミュルーズ出身のユダヤ人で、生まれた当時はドイツ帝国のミュールハウゼンで、パリに渡ったということでは、アルザス語と同時にドイツ語とフランス語のトリリンガルだったことになります。しかし、ハリウッドに渡ってからは、演技の指示を出す英語はあまり得意ではなかったといわれています。あれだけ優れた映画を何本も出していても、裏では、お前の言っていることわかんねえよ! と演者に罵られていたようです。私はミュルーズで、チーズの熟成としては最高レベルのマンステールをかつて買ったことがありましたが、2012年はアルザスではストラスブールとコルマール、ストラスブール郊外の市民菜園でのバーベキューだけの訪問となりました。レストランだとチーズは新鮮なものばかりなので、熟成されたものとなると、よほど衛生面でも専門的な係がいないといけないので、そこまでの高級店には行かないあの旅ではチーズ精錬アフィナージュとは関係のないものばかり食べていました。ちなみにハリウッドでは、喜劇のマルクス兄弟も前の世代がアルザスから渡ってきています。このアカウントがchicoharpoなのもそのためです。
 ローマの休日にはテレビ用のリメイクがあり、フランスにいたときにテレビで見たことがあります。日本でもDVDは存在するようです。主演はアメリカ合衆国のドイツ系のモデル出身女優のキャサリン・オクセンバーグで、オードリーの黒髪に反して金髪です。長身に見えますが、じつはオードリーのほうがはるかに長身です。オクセンバーグ、つまりオクセンベルク家なわけですが、貴族の血はそっちではなく母親がユーゴスラビアの王族の血を引いていて、それがいろいろ混ざって、英国の王位継承権があるという具合です。調べてみるまで私は、オクセンベルク家が、英国のウィンザー朝もドイツ系のハノーファー朝を改名したものなので、こっちで王位継承者なのだと思っていました。フランスのテレビではアカプルコ探偵社というマヌカン出身と思われる女優が何人も出ているドラマを放送していたので、とにかく絶世の美女のイメージです。日本語とフランス語のWikiだけでなく英語Wikiも見たら、なんと高校がロンドンのLycée Français Charles de Gaulleなので、フランス語もできることになります。トレビの泉で、モデルさんのゲリラ撮影的なことが行われていましたが、似ていますね。オクセンバーグの身長が想像していたほどではないことがわかってみると、同じくらいかもしれません。で、ジャーナリスト役が、戦場のメリークリスマスのトム・コンティなのです。ミスター・ローレンスです。懐かしい俳優です。エディー・アルバートがやっていたカメラマン役が誰になっていたかは忘れました。調べればわかるけどね。そんなわけで、王族・貴族から見れば、ローマの猥雑も庶民の現実界というわけですね。もちろん貧困を語るなら、映画でも自転車泥棒とかありますが。やはりちょっと歩けば中世ではなく古代遺跡、というのはすごいですね。首都がこれだけ現実離れしているというのも、イタリア人の享楽性を表しているのかもしれませんが、今年はまだサイゼリヤの深夜営業が再開しないので、日本にいてイタリア気分、という夏ではなく、気分的にもなかなか難しいものがあります。今期はすかいらーくの業績が黒字で、サイゼリヤは減益のままということで、ディジタル化の否定は失敗のようだし、やはり23時までは営業した方がいいということが如実に表れているかと思います。だってイタリア料理なんだから。イタリアだったら店が始まったばかりの時間にサイゼリヤはラストオーダーになっているわけです。いや、素人の意見に過ぎませんが、経済ライターの評論だって飲食のプロじゃないでしょう?月一回程度ですが、お医者様と看護師様のお世話になってしまうようになったので、休日を潰して検査や診断に行く日の帰りは午後のサイゼリヤに行ったりしますが、食べ方としてはサラダを最初に食べてから、本来は一皿目であるはずのスパゲッティの注文をという、イタリアではなくフランス方式で食べてしまってもいて、カルボナーラ以外のスパゲッティがますます本場の味になっているサイゼリヤで、完全にイタリア気分ではないのが、食べる順ダイエットですね。食べる順ダイエットはフランス料理でこそ実現できそうでしたが、2012年の旅では、全裸で体重計に乗ることができたドイツに至る前がけっこう長いイタリア滞在のあとだったので、体重は増えてしまっていました。でも、パスタから食べ始めるイタリアに行く前に計測できていたら、食べる順ダイエットを証明できていたのかもしれません。しかし、ストラスブールの市民浴場は建て替え前の閉鎖でした。なくなってしまうという噂もありました。もっとも、ストラスブールの市民浴場に体重計があったかどうかはわかりません。しかし、全裸でなければ信用できないのが体重測定です。画像はありのままを全部届けるわけにはいきませんが、数字は、見込みで1kg衣服のぶんを引いておくとか、そういうのは発信者として駄目だと思っています。
 もうひとつ現実離れした街というと、現地語主義の2012年には行きませんでしたが、やはりかつてアテネに行ったことがあって、アクロポリスが丘の上にあるのが下町から見えるので、宙に浮かんでいるようでもあり、ぶっ飛んだ景色でしたね。入場料にフランスの学生証で学割がきいたので、大学の学生証に英語やフランス語の表記がある人なら、もしかしたらそのまま通用する可能性もあります。国際学生証だと、作成に金がかかるので、元を取るにはどれだけ美術館を巡るのかということにもなるし、割り引きが年齢制の場合は、学生証と関係なく、26歳以下であることを証明すべくパスポートを持ち歩けば良かったりもします。もちろん最近は私もヨーロッパに行っていないし、そもそも26歳ではなくなってしまったので、現在の若年割り引きが26歳なのか、それとも平均寿命に合わせて年長化して30歳くらいになったのかわかりませんが。初めての海外旅行のときは、友人との地球の迷い方だったので、すすめられるままに国際学生証とフランスバカンスパスを購入していますが、実験としては良かったのですが、元は絶対に取ることができていません。ユーレイルパスなど買っていたら大損だったことでしょう。なにしろ言葉ができるのだし。留学中の旅行は、国別の周遊券を、ドイツ、スイス、ベルギー、オーストリアでは使いましたが、国土の広いフランスとスペイン、長いイタリアでは元が取れるはずが無いので使っていません。そして2012年は久しぶりの旅だったので、いろいろ実験的に購入したものがありましたが、ほとんどは無駄になっています。これはまたいずれ。アテネでは学生らしく節約するために、売春婦の立つ広場のホテルに滞在していたわけですが、そこから中心街に入るか入らないかのところで天上にアクロポリスが浮かんでいるシュールな光景は、ローマのコロッセオとともに、ここで日常を過ごす毎日というのもやばいなと思いました。ドイツでもちょっとやばそうな界隈に宿泊して、公園で全裸の男女という、絵画の世界のような状況はかつてありましたが、シュールレアリスムの題材そのままとは言え、生きた人間にはシュールではなく、生命の息吹を感じました。非日常ではなく日常、形而上学ではなく現実、というところでしょうかね。
 食に関しては、ローマのレベルは、平均してしまうと、観光客向けのファーストフードがヴェネツィア同様多いので、あの旅のほかの街であるミラノ、ボローニャ、フィレンツェに比べてしまうと低いといえます。首都ということでは、東京だって、最高のものは凄いけれども、底辺はやっぱりひどくありませんか? もっとも私も衛生面も考えて、もう何年もチェーン店ばかり行っているので、個人経営の店の、頼んでもいないのに余計なものをいろいろ付けてきて、それがサービスではなく、料金が計上されて、頼んだものの倍になっている、なんてことも避けているわけですが、タダでもないのに食いたくないものを出されて、世界一の美食都市もなにもないでしょう。ミラノは今は星を失ってしまったけれども、昔はミシュランの名店というのがあったし、ボローニャはとにかく食い倒れの街。フィレンツェはヴェネツィアと同じような観光都市ながら、イタリア人も同じ店で食べるので、標準的なイタリア料理が揃っている場合が多く、ピザだけローマ同様、窯の火を見て選べばいいというところですかね。日本から行くと、バーのガス焼きの切り売りピザでもすごく美味いと思うようですが、薪焼きを知ってしまうとそっちには二度と行くことができないのです。それが、ローマではなかなか難しく、テルミニ駅前では、とにかく炎を確かめながら歩いて、駅前にもちゃんとした店があることがわかりました。しかし、ほかは見つけられなかったので、そこに二度行きましたね。係にもアミーコと呼ばれ、ほかの観光客とはちょっとちがう、店側に近い存在になっていました。もしかしてですが、最初に薪火を見てすぐに入ってきた様子を見られていたのかもしれません。偶然選んだのではないことがわかりますから。電気焼きはさすがにわかりそうですが、石窯ということで欺されやすいカス焼きと薪焼きの区別は、何度も書いていますが、均等かメラメラです。愛がメラメラです。火が踊っているのです。自分としては、あの観光客向けのローマで、何食か朝食もたれで食えなかったものの、当たりの店だけ引き当てたなと言う感じです。昔行ったことのある店と学生街は当然なのかもしれませんが、とにかく駅前のピザ屋で当たりを引いたのは、スムーズです。ガス焼きは熱々のときは欺されてしまうのですが、冷えてくると薪焼きの味に遠く及ばないのですね。薪焼きはお焦げも美味いのですよ。お窯にかかわらず。どんだけ~というくらい。そんなわけでイタリアの楽曲ではないけれど、メラメラを判別してスムーズにイタリアのピザを堪能してください。日本でもね、薪焼きの店に行けば確実なのですが、予め探さないといけませんね。薪焼きでないなら、ファミレスのほうが生地を工夫しているので、マルゲリータでも大丈夫という確率は高いですかね。宅配のアメリカ風だと、どうしても生地ではなく、具だくさんを楽しむだけになってしまいそうです。わかりにくい? 単純にピザを焼く窯の炎の動画がいくらでも転がっているので見てください。日本語や英語のなのではなく、イタリア語で上がっているものをいくつか見れば、わかるはずです。美味いものはそうやってありつくのです。炎は踊っています。ナポリには行きませんでしたが、薄焼きのローマ風ではない、ボローニャのものも最後に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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