ギャレット・ド・ボム・ド・テールとだいたい同じものというわけですが、ギャレットの場合は、けっこうカリッと揚がっている感じなので、惣菜屋と言うよりもレストランでようやく実現できるかなと思います。私は留学時代に自炊で作っていましたが、留学前に学生なのに親の知り合いの関係で食べたことのあった御徒町から新橋に移ったスナックのマスターの定番として、じゃがいものチーズ焼きというのがあり、目の前で作るところを見て、学びました。マスターのような細切りはできないので、基本的に自分で作っていたものはスイスのレスティのような感じでした。留学してからは自分の台所でいろいろやってみたいので、調理器具を購入して、イモもにんじんも細切りできるようにしてみると、けっこう再現できました。チーズとしては適当に溶けるチーズを使ってイモをつないでいたのですが、これは自炊生活のものです。パレ・ド・ポム・ド・テールにしてもレスティにしても、どこまでつなぎを使うのが当然かは、これだけ食べ歩いてもよくわからなかったりします。また、パレにしてもレスティにしても、それほどチーズ感がなかったので、チーズを使っていないものと思われ、私が自作していたものとはちがってきます。となると、パレはイモのかき揚げのようなものでしょうかね。レスティはよくイモのパンケーキと日本のガイドブックなどでは言われていますが。とにかくイモは水に晒さずに澱粉を落とさずに使うことが重要かと思います。
 2012年にナンシーのアルザス料理店で食べたパレ・ド・ポム・ド・テールはストラスブールの朝市でよくハムとソーセージを買っていた屋台のものとそっくりで、カリッというよりは、さつま揚げのような柔らかさでもあります。ストラスブールはドイツの隣でもあるので、肉屋といったら牛肉屋と豚肉屋が兼業で、牛肉だけの肉屋はユダヤ人用かイスラム教徒用しかありません。パリだと合い挽きを買ってミートソースをつくろうとすると牛肉屋と豚肉屋をハシゴしないといけないという話もありますが、アルザスだと一軒で済んで、そこに惣菜もあったりするデリカテッセン状態ですね。ミートソース用の合い挽きをその場でつくってもらって、帰ってからミートソースではなく日本風のハンバーグをつくったり、麻婆豆腐にもしましたが、あのとき自炊をかなりしたので、あとは外食中心になりました。レストランの料理を分析するとき、自分だってできること、できないことをベースに、星なんか付かない店のシェフの偉大さもわかるわけでしてね。日本ではチェーン店ばかりで食べていますが、そこでの洗練されたオペレーションはまったく自分の台所とはちがうわけですが、その差異も感じることができての、このブログです。
 ナンシーで知ったことは、ロレーヌ地方でのパレ・ド・ポム・ド・テールの出し方が、ストラスブールのアルザス料理店では見たことのなかった、お替わりし放題プロクラムが町中にあるということでした。太りそうですね。留学中は、フランスのカルパッチョ食べ放題レストランでの付け合わせお替わり自由も、パスタかポム・フリット(リンゴではなくイモです)だったのですが、時代はだんだん健康的にいんげんを選ぶことができるようになっていたので、2012年は付け合わせにいんげんを選ぶことができるチェーンではほぼいんげんにしています。自炊で材料を買っていたからこそ、原価率も知っていて、すごく得でもあります。というわけで、ナンシーでもパレ(円盤)の食べ放題プランは選ばず、あくまでも定量の付け合わせのなかです。だから写真に写っているのもそれだけなのですが、カスレールというドイツ語だとカスラーになる豚の肩肉、日本だと肩ロースチャーシューになるのでしょうかね、これをシュークルートとパレを付け合わせにしています。中国人のウエイトレスが、私の方がフランス語ができるので、敬意を表してくれましたが、ストラスブールでもそのパターンがありましたね。移住の可能性は、努力よりも運の部分が大きいですね。ただ、日本人が行くのなら、ほかの移民を語学で圧倒するくらいの努力をして、それで駄目だったから不公平を訴えるくらいでないといけないかとも思います。私はあの旅で、そのレベルにあったと思うので、ブログを書いています。非英語圏を英語で旅して、本場の味にたどり着けなくて、フランス料理もイタリア料理も日本が最高というバカッターが多いですが、その馬鹿らしい、情けない、みっともない、恥知らずな低レベルのものとは違うものを提供しようと思ってのこのブログです。ヨーロッパ諸言語がいくら英語に近くて、ヨーロッパ人が英語が得意でも、英語でしゃべる客は外国人だが、自分たちの言葉でしゃべる客は同胞という感覚になるのです。食い物の出し方もちがってきます。英語で通しながら、地元の人が行く店でその味を、と聞くたびに、馬鹿じゃねえかと思います。日本に状況を移して考えてみればね! その想像力が皆さん欠けている場合が多いですね。だから、海外に出るのが若い方がいいというのは嘘です。勉強し、酒も飲むことができるようでなければ、無意味ですらあります。普通の日本人は、大学に行かないと英語以外の言語は学ばないし、その英語以外の言語をとりあえず一年でも学ぶと、二十歳を過ぎるので、飲酒も可能になりつす。それを前提で、多少親や親類から支援があるとしても、アルバイトで旅行資金をと考えると、二十歳ちょいでもなくなるでしょう。そして先がどういうところかわかった上で準備をしていれば、ホームシックの可能性もありません。ホームシックになりそうなら行かなければいいのですから。未成年だとホームシックがデフォルトなので、だからガキが留学しない方がいいのです。ホームシック発言をした学生を見つけたら、奨学生なら奨学金なんか打ち切って帰らせればいいのです。そのぶん適正のある人にチャンスが回ります。
 ナンシーというとフランスを知らない人は土地の名前ではなくて女性の名前と思うわけですが、名字でナンシーというのも、歴史的にもう刻まれたと思われる学者が数年前に亡くなりましたが、女性のイメージとは関係ありません。なにしろナンシー教授も、背の低いショーン・コネリーでしたから。かつてのフランス居住時代は、ストラスブールとパリの往復は、まだTGVが無かったものの、予約しないと座ることができないので、自由席でナンシーで下車なんていう考えがなかったのです。これが2012年は世界最速のTGV東路線で変わりました。TGVは基本的に予約義務があり、自由席はありません。思わぬ例外を南西で経験しましたが。予約制だから安心なのです。11年過ぎた今でもあの路線の速度を超える営業速度の高速艇道は世界の何処にも存在しません。フランスのTGV東路線のパリ・ストラスブールが世界最速です。これは留学していたときには存在しなかったものです。あの時代にこれが存在していたら、なにか選択肢があったかなとも思いますが、それ以上に、そのさらに二十年前の法律だったら、就労も永住も楽だったなと思うので、努力とは関係のない、法律やインフラといった、外的条件は運としか言い様がありません。それだけに適応の努力もしないでホームシックを語る連中を永遠に軽蔑します。
 というわけでまとめてしまうと、ジャガイモのパレは、通常のジャガイモのギャレットに比べるとカリッとはしていなくて、しっとりしています。そして、かなりの細切りなので、包丁ではなく器具を使って千切りにしていますね。これがロレーヌ地方のナンシーではお替わり自由のプランがあり、アルザス地方のストラスブールではとくにそういうことはないという具合です。もちろんアルザスにもロレーヌ人は多いので、ロレーヌ人の店では食べ放題を採用しているかもしれませんが、私はロレーヌ人経営のアルザス料理店を、居住時代も2012年も知りませんでした。日本でもそうかもしれませんが、隣の県民同士というのは、県民ショーで見るとおり、けっこう仲が悪いので、特徴を打ち出すことも多いわけでしてね。国となるとなおさらで、領土問題が顕著なので、ロシアとウクライナの戦争にもなっています。ほかにも現在戦争状態で休戦中なのは、お隣の国の南北、トルコとキプロスなど、隣国同士が多いのです。フランスとドイツはいちおう第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも敵側だったので、終戦後はとにかく絶対に喧嘩しないように頑張ってきたので、ヨーロッパから見ると、日本は隣人に友人がいない、となるわけで、たしかに台湾しか仲良くしてくれなかったのに、その台湾人観光客が日本の飲食店でへんなことをしては拡散したり、観光スポットで禁止行為をして、言語が大陸のほうのものが優位になると、意識もそうなってしまうのかと悲しくなりますが、隣の国同様、隣の県の関係もいろいろ難しいものです。それだけに、それまで行かなかったナンシーで、あのときアルザスとの違いを知ることができたのは良かったと思っています。2012年の旅では、女優さんをはじめとして、近所だったおばちゃまたちとの再会が多かったのですが、私が地球半周レベルの東の国から来た人間だったので、なんの対立要素も無かったこともあるかと思います。遠い国から来た弟か息子のように迎えてもらったのに、差別や不寛容を訴えるような卑劣さ、鈍感さは私にはありません。それは初旅行のときから、フランスではフランス語で旅する語学腕試しだったらからで、英語しか話さない面倒くさい外国人ではなかったからでもあります。実際に2012年は女優さんとウクライナ人の間の英仏通訳もやりましたし。いや、翻訳はいろいろ調べてやるのでいいのですが、時間的に早さを求められる通訳は金をもらってもやりたくないですよ。タダだから質に文句を言うなと言う具合ですが。
 ヨーロッパのじゃがいも料理に関しては、これからもポム・フリット、ポム・ソテ、レスティといろいろ見ていきたいとも思いますが、ヤホー時代にはなんだか中途半端に終わってしまいました。なにしろヤホーブログ自体が終わってしまったので。フランスではレストランで食事をするとパンがタダで付いてくるし、イタリアの高級店でもそうだし、イタリアの普通の店やスペインでは、席料やパン代という形で突き出しのような強制的な追加でついてきてしまったりもします。しかし、それらの国でもセルフサービスではどうせ有料なので、付け合わせにイモがあるならそれで済ませてしまう人も多いでしょう。ドイツ語圏でもだいたいパンは別料金なので、炭水化物はイモで、という外食になります。とうせフランスやスペイン以外では強制的に朝食が付けられていることが多いので、パンはそこでいろいろ食べればよいわけで。
 日本でパレが再現されたレストランがあるのかどうかもわからないので、ここで旅のすすめですが、ナンシーなりロレーヌ地方に行って、二泊三日の私よりも余裕があれば、パレのお替わり自由に挑戦してみてはいかがでしょうか。繰り返しにもなりますが、この私のブログ以上のことをやるのは、じつは簡単です。私ができなかったことをやればいいだけ。あれから数年だといろいろありますが、十年以上ともなると、自分を超えて現在の事実を明証してくれるならいいです。悔しくなんかありません。ありがとうとおもうだけです。で、ロレーヌに行かないけれども、ストラスブールやコルマールのようにアルザスなら行くという方々なら、肉屋、惣菜屋を、店舗なり、朝市なり見て回ればありますから、そこで一枚購入、というのも、いいでしょう。もちろんウスターソースもケチャップもないけれども、そのままの味がどうしても物足りないなら、マスタードはあるかもしれません。で、味をおぼえて自分の台所で再現すれば、どう使ってもよいのですよ。江戸っ子の私は、お好み焼きライスみたいな炭水化物重ねは無理なのですが、じつはコロッケそばのような、ちがう炭水化物重ねはしていたりするので、ハッシュドポテトごはんというのが、焦げ目の香りと塩分のおかげで良さそうというのもあり、パレ・ド・ポムドゥテールごはんをやっちまって、しかも塩分過多にならない程度に醤油も足してみたりしたことがあります。居住者だったからの実験ですね。旅のかぎられた時間では、現地の食文化の中で、いかに地元の人たちと同じように食べるか、でないと人生がもったいないですね。住んでいるならともかく、アレンジなんか、帰国してから楽しめばいい。パレごはん、レスティごはんと、想像したハッシュドポテトごはんのパターンをフランスの台所で何度もやってみたのですが、コロッケ丼のようなものではあります。米が茶碗サイズなら朝飯みたいなものですが、丼になってしまうなら特別な体質でないと太ってしまいますね。もう十年以上マクドナルドに行っていないので、ハッシュドポテトがどうなっているかわかりませんが、あれを飯にのせて、塩分は充分だけれども香りのために醤油をちょっと垂らす、なんてのが日本では一番手軽かもしれません。調べると2009年以来行っていませんね。あの頃は百円マックがありましたからね。2012年のパリで、その春に出て話題になったマック・バゲットを食べたいとおもって日曜の昼に並んでいたら、どうももう販売していないので、列を抜け出して、その日はちょっと高めの夜一食をアルザス料理店で、と同じ共和国広場で食べていました。
 十一年前のこの時期のフランス大東部、グランテストへの旅は、アルザス以外は、ロレーヌでナンシー、シャンパーニュ=アルデンヌではランスだけ。メインは肉とイモでしたね。前菜はサラダが多かったので、野菜も食べていますが。ナンシーでのイモは、初日の夕食はフリットだったのですが、二日目は昼も夜も、肉の下に控えめにパレがありました。それだけに、アルザスにいたときから知っていたが、ロレーヌのものだったのかと思いました。

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