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 とにかくノルマンディー風はリンゴよりもまず生クリームですが、初旅行の鮭以外は、ひたすら肉です。かつての雪辱のドーヴィル再訪宿泊では、その確認が嬉しかったのです。パリのときと違い、その旅では葡萄酒ではなく、徹底的にシードルで通していました。ロゼばかり飲んでいた初旅行のときは、シードルという知識は無く、シードルは東京のコージーコーナーでおぼえただけでした。しかしこれがブルターニュ、ノルマンディーのみならず、ドイツではフランクフルトでも地酒なのです。ドイツ語だとアプフェルヴァインですが、フランクフルト方言ではエッペルバイになるようです。英国のサイダーもじつはこれで、日本の砂糖水に炭酸を入れただけの飲み物は、リンゴもアルコールも含んでいないので、国際基準では偽物ということになります。これは魚を合わせてみて、葡萄酒に比べて有機酸塩のえぐさを脱却できる可能性もあり、ノルマンディー旅行のときはサンマロで鱈のクリーム煮で、もちろん合っていましたね。美味しんぼでは日本酒をフランス料理に合わせる提案として、有機酸塩ゆえの魚介と葡萄酒の相性の悪さを指摘していましたが、シードルという可能性も、日本酒同様、ともすれば甘口が多い酒ゆえ思います。ビールはというと、カプリ島でピザを食べたときに、アンチョビとビールの組み合わせの悪さを感じてしまったので、ビールとチーズの組み合わせはスイスでフォンデュにビールを合わせるのが禁じられているとはいえ、けっこういいと思うのですが、そこに魚介が加わったときに、少なくとも魚、チーズ、ビールは駄目なのかなという記憶です。酒と食べ物の相性が面倒だから初旅行ではロゼ中心でしたが、留学以降は、そんな芸の無いことはやめなければヨーロッパに住んだことにはならないと、葡萄酒以外もいろいろ飲んでみました。


 居住時代の旅での魚料理というと、地中海側にももちろんもっとあります。スペイン旅行に行く途中で、東京でアテネフランセの上級で一緒だった人がモンペリエに語学留学していたので、スペインの出入り口はカタルーニャだけになりました。そのときバスクに行かなかった心残りが、2012年のフランス側だけの小さなバスク訪問になっています。日帰りになってしまったのはバイヨンヌまつりゆえポーに留まったんからですが。とにかくかつてのスペイン旅行では、バルセロナでサルスエラを初日に食べたうえで、フランスに戻ってからモンペリエ留学の人とマルセイユに行ったので、マルセイユの本場のブイヤベースを食べています。港の調べたかぎりではほぼ最安の店だったので、高い店のようなアレンジもなく、典型ということになります。ターメリックではなくサフランてすが、魚カレーみたいなものが本物です。帰国すると、日本のフランス料理店のブイヤベースがマルセイユのものと似ても似つかなくて、むしろサルスエラなのですが、写真がぜんぜんないので、発信することもできませんでした。それが、アラン・ドロンがなんの宣伝も無く、もしかしたら人生最後の日本訪問でのビストロスマップで、マルセイユのブイヤベースを注文したら、キムタクのつくったものがまったくブイヤベースでは無かったので、スープ・ド・ポワッソンとしては美味いけれども、これはブイヤベースではないと言ってくれたのです。キムタクはふてくされていましたが、たしかにそれは日本の大部分のフランス料理店の、サルスエラまがいのものであり、サルスエラほどソースも濃厚では無く、いわばサフランの黄色が中心のさらっとした魚カレーのようでもあるマルセイユのブイヤベースとの大きな違いを指摘してくれたアラン・ドロンに、よくぞ言ってくれたと、実体験したゆえ感動しました。私が言いたかったけれども無名ゆえに言えなかったことを、あのアラン・ドロンが言ってくれたのです。しかし、それ以来日本のブイヤベースがとくに変わった様子もないので、影響の少なさを思いますが、このブログでは、ヤホー時代同様、アラン・ドロン先輩支持を続けます。極端な話、そのかつてのスペイン旅行行き帰りで、サルスエラとブイヤベースのどちらが自分にとって美味かったかというと、ブイヤベースの本来の漁師料理らしいものに較べてもっと洗練されたサルスエラなのですが、それはサルスエラであって、ブイヤベースではなく。ブイヤベースの定義はフランスの団体によってかなり明確にあるのですが、それを守っている日本のフランス料理店はほとんどない。適当なのです。自己流に過ぎないのです。このいい加減さで繊細さなど語らないでいただきたい。高齢で病苦ということでもう日本に来ることはないと思われるアラ・ドロンが、もしかしたら完全に自腹で日本に来て、とにかく美味いものを出してもらえるからと出演したあの番組で、とにかく本場の本物を伝えたくてガラパゴス化した日本のフランス料理としての典型のブイヤベースはスープ・ド・ポワッソンだとやさしく言い切ったとき、彼は日本のフランス料理界に、できるかぎりの提言をしてくれたのだと思います。それを採用しないで、自己流スープ・ド・ポワッソンをブイヤベースだと言い張る店は、情けなくありませんか? 料理名が違っても、味に自信があるならそれで勝負すればいいのに、すでに既知の名物料理の名前に頼って、別物を出す。それでいいのかと問いたい。ま、相手にされない程度の読者数のブログなので思い切って真実を語っていますが。こういう話は、また何度もすることと思います。そうでなければ留学経験者で食いしん坊、おまけに三つ星レストラン修業の日本人調理師との交流もあったがゆえに知っている内側を、日本の、フランス料理やイタリア料理は魚が中心という虚像の修正になんの抵抗も示さないことになります。文化理解の真逆ですね。商売はうまくいけば倫理などどうでもいい!という人が多いでしょうが、でも、やはりいわゆる語学留学では無く、昔ながらの本来の留学である大学というか大学院留学をしたのは、日本でも大卒だったからでもあり、比較ということではちゃんとしないといけなかった身分として、文化の誤解をそのままにしてよいのかという部分が大きいのです。ポトフはおでんではなく、その逆だと言うのも、なんとなく日本との類似を見て納得するのでは無く、水質とか、現地の人の言葉での理解とか、そういうものもありました。そうでなければ、ただなんとなくでは、ただの馬鹿じゃないですか。そんな短期間の旅行で思い込んで決めつけるのと同じでは留学ではないはずです。


 そういうわけで日本では逆に、ほんとうに本場の味を伝えるフランス料理店を選ぶコツは、日本人シェフなら誰でも得意な魚料理ではなく、肉料理の充実ぶりを見ることだと思います。定番のようにいわれるスズキのポワレなんて、フランスでは見たことがありませんよ。どうせ日本人シェフは魚は渡仏前から得意なのですから、フランスでどれだけ肉料理を学んで持ち帰ったかが重要でしょう。2012年の旅は日本で一般的な女性のためのフランス料理に対抗して、男のフランス料理を考えて、なおさら肉中心だったわけですが、それがそもそものフランス料理です。葡萄酒、つまり酒に合うようにつくられているからには、飲み屋の味付けのイメージですね。


 2012年のフランスでは、その辺の店でも昼定食に、肉と同時に魚の選択肢がメインにあったりしましたが、昔は内陸ではそんなものも無かったし、フランスもドイツも大陸の国です。イタリアは半島だから漁師も多いけれども、やはり肉食の国です。魚料理と野菜料理が発達したのは、ほんとうは肉が食べたいけれども、貧しい時代が長かったので、北方の国ほど肉が手に入らなかったからです。そんなわけで、やはりフランスはさらに肉食の国であり、ミシュランの星付きレストランが差別化のために魚料理を名物にしていることで、フランス料理と言えば魚みたいに考える日本人が多かったわけですが、今はさすがに気づいている人も増え、フランス料理と言ったら本当は肉なんだよ、と写真付きで証明した私のブログを見てくれた人もいました。アメブロになってからも真実を知りたい方々はいらっしゃると思います。2012年にパリ最終滞在でステーキ屋で隣の席にいた関西人カップルが、最高のアントルコートを食べているのに、魚を食べるレストランを紹介してほしいというので、ミシュランの星付きに行けとも若い二人には言えないので、単純にラ・クリエのチェーンで、ホテルに一番近いところを検索してみてください、となりました。フランス語で魚河岸という意味のあるレストランです。やはり魚市場でのせりや魚屋の呼び込みでみんな叫んでいるからそういう名詞になったのだと思うのですが、日本のカフェになんだかそういう名前のチェーンがあり、みんな大声で叫んでいるのだろうかとか、珈琲に魚の切り身でもぽちゃっと浮かべているのかと思うと、一度も行っていません。スタバはフランスやイタリアのカフェよりも注文が難しいので一人では行きませんが、連れてもらって行ったことはあります。しかし、魚河岸珈琲… カレイなお名前でマンボウ時代も人々が通ったことでしょう。私はエンガワでビールでも飲んでいたいですね。また、ビールがあるのがヨーロッパのカフェです。とにかく私は行ったことがありませんが、星付きレストランに行くほど金をかけたくないのなら、魚料理は、フランスではラ・クリエ、ドイツではノルトゼーです。魚目的にレストランに行くことのない私はどちらも行ったことがありませんが、だいたい前述のカップルのような日本人も、その辺なら間違いがないようです。それを、言葉も使わず、安く、セルフサービスの店、となると、私はまったくわかりません。どうせそういうので失望するから、日本のフランス料理がフランスよりも上とか言いふらすようになるのでしょうね。馬鹿なほら吹きです。でも多いのです。
 普通の日本人は、年齢と共に肉が食べられなくなり、魚中心になってゆくという具合なのですが、私は逆です。居住でフランスにいたときは嫌いなものを克服してしまったと思ったのですが、まず魚料理の顕在感が日本に較べればほとんどありません。一人で行くことはなかった日本料理店ですが、刺身にしても、日本だったら分厚い一切れのものが三切れぐらいに薄切りされたものを盛り合わせているわけです。ついでにアンコ嫌いの私が帰国後日本の甘い豆の数々でうまく飲み込めなくて窒息しそうになるので、もう餡子はアレルギーと同等で食べられないわけですが、やはりフランスの日本料理店では貴重品なので、日本の普通の一切れを三等分ぐらいした感じで、あのころは食べることができたわけです。絶対量が少なかったのです。そして、日本でふたたび生きるなか、まず頻繁に行く蕎麦屋のダシにしっかり魚は溶け込んでいますから、それですでにある程度魚なわけです。ラーメンは最近は健康のためにタンメンと味噌ラーメンしか食べなかったのですが、物価高騰で、一番安い醤油ラーメンも何年かぶりに食べています。それで、まだコロナ期で会食をしないのですが、また飲み会をするようになると、自発的ではない魚食いをすることと思いますが、自分で好き好んで金を出して、というのが、考えられない状況でした。それが、この冬ははま寿司が凄いですね。去年末に150円のまふぐにとびつきました。まふぐで、魚嫌いの私は、ふぐひれ酒を飲んでも、ふぐの唐揚げを食べても、火を通したものはまったく… それで刺身だけ死ぬ前に食べておきたいと思ったのですが、てっさの盛り合わせを千円で提供していたとらふく亭ももう見当たりません。それに、そんなに皿一杯食べたいわけでも無い。で、それで人生最後の魚というとオーバーですが、自発的に金を出して食べるのはそのまふぐが最後でもいいかと思ったのです。すると、今年になり、値段は二倍で、二貫では無く一貫なので実質四倍の値段すが、とらふぐが出てきます。しかも、正月クーポンがあったので、もうちょっと安くなります。もうこれが最後の魚でいいわけです。あとは肉と野菜、DHAが必要なら、医食同源に反するかもしれないけれどもサプリでいい。


 とらふぐで、今度こそ最後の魚、と思いました。あとはなんだか幻の魚とか言われるクエがあるけど、代用品がアブラボウズだから、ふぐの繊細さよりも脂の乗り方なんだよなと思っていたら、これがはま寿司の次のフェア。今度はフェア初日には入荷していなかったのに、のちに入荷したので、すかさず。やはりとらふぐが最高という感じですが、これでもう死ぬ前に食べておきたい魚が無くなってしまった肉食獣の私なので、フランスでの経験をのせてという感じですね。赤身や青身の魚に関しては、もう何年も前にお腹いっぱいです。人生の許容量にほぼ達していて、あとはヒラメのエンガワをしゃぶればふぐも想い出す、くらいの感じですね。
 というわけで、もう食べたい魚はありません。テレビ番組の日本人ならマグロ好き、という押しつけがましいものも、売国奴扱いされたかのようで、吐き気すらします。言葉と風習を無視して現地で迷惑をかけている連中に較べて、自分がどれだけ日本のイメージをヨーロッパで高めていたかは、かつての友人はもちろんですが、2012年に初めて知りあったひと達からもそれなりに評価をもらっているわけで、マグロもあんこも嫌いな特殊な日本人が、ヨーロッパではほとんどのものが食えるから飲み会でも出てくるものを食べて飲んでいればよかったし、チーズもマンステールもリヴァロも平気です。コルシカの蛆が湧いたチーズはコルシカに行ったことがあるときには滞在日数が短すぎて遭遇しませんでしたが、出されたら、料理評論家のジャン=リュック・プチルノーのようにチャレンジしていたことでしょう。コルシカでの味覚体験も、そのあとのサルデーニャも、滞在日数が少ない中での、現地料理追求だったので、魚料理もありましたが、島というのは、海に突き出した山であることが多く、地中海ではシチリア、サルデーニャ、コルシカは大きな島なので、けっこう山の幸があるのですね。肉としては羊ですが、私は食べたつもりで食べていなかったロバというのもあります。日本のように無理矢理黒ずんだマグロを内陸の旅館で出す、という文化ではないわけです。最近は流通がすごいので、2012年の旅での唯一の刺身ともいうべき白身魚のカルパッチョをサラダにのせたものが、フランスの内陸としては極地であるクレルモン=フェランで出てきたということがありますが。旅の出だしの機内食も海の無いスイスの航空会社での魚料理でしたしね。あとはとにかく肉と野菜、穀物をどう組み合わせるかを考えての旅でした。
 あの旅の前後は失業していたので、就職にしてもブログにしても、なにか材料はないとひたすら東京じゅうを歩き回っていて、Facebookのヨーロッパの友人たちへの発信のためにいろいろ発信していて、上野も訪れています。包丁塚もありますが、魚の供養ということではふぐ塚がありますね。ほかの日本人に較べればほとんど魚を殺していない私で、ふぐは人生で数度しか食べていませんが、あのときは、一生分の魚への供養と考えてもいました。いっぽう肉は通常の生活ではそれほどではないとはいえ魚の何百倍も食べているかもしれないので、それを謝るのが謝肉祭ですね。避けることのできない原罪です。菜食だから動物を殺していないという、植物を殺しまくっている偽善者も多すぎますが、そのへんを無視できてしまう感覚に、人として大雑把なものを感じます。魚介類に痛点が存在しないから包丁を安心して入れればいいという日本ならではの説もありますが、痛点がないのでは無く、科学が遅れていて発見できないだけです。日本の活け造りを糾弾する外国の団体には、お前らこそなんだよと思うのですが、さすがに殺される伊勢海老は痛みを感じることでしょう。ヴェジタリアンがいう、植物なら殺したことにならない、も、極めて科学が遅れていて、植物は動物と違って生き物では無いというアリストテレス以前の古代なみの時代錯誤であり、痛点にしても存在している可能性もあり、植物も刈られるときには、じつは動物ではアドレナリンに相当するホルモンが急激に高まるということで、恐怖を感じていることになります。だから、われわれも、肉食をしないから無実だという偽善、欺瞞をやめて食材と向き合うべきかと思います。食べ物で、かつて生きていなかったものなど、じつひとつもありません。ヴィーガンだろうが、オヴォラクトだろうが、ヴェジタリアンに対して感じるのはこのすさまじいばかりの偽善です。
 文化の誤解と言えば、広める人にもかなり責任はあり、フランスで、あなたも生け花をしますよね? と言われて、わたしゃオカマじゃないよ! と即答しましたが、日本文化を海外で広めるという人が、日本人は誰でも生け花や茶道、武道を実践しているという嘘を広めてもいるのですね。味覚に興味のある私も茶道の体験くらいはと思ったことはありますが、どうも華道、茶道、書道の先生のうち人格的にまともなのは半数以下との実感があり、回転寿司の粉茶でいいやという感じです。花に関しては、生け花はけっきょく花殺しなので、先の事情で、食べもしないのに生き物を殺すということで、食べるために動物を殺すのよりもはるかに罪深い行為だと思っています。だから私は女性に花を贈ったことがありません。自分が女性にもてなかったのを、容姿、性格、とくに収入が原因かと長年悩んでいましたが、花を殺したくないから絶対に花をプレゼントしない、じつはこれだったのかもしれません。害虫は殺しますがね。中学生の頃までは蟻にもひどいことをしたし、小学生の頃は昆虫標本なんかつくっていたわけです。よく考えると押し花も虫のケツに防腐剤を注射して殺すのも同じことです。だから花をなぜ殺さなければならないのか、ということで、食べるもなら仕方ないじゃないかということになります。私にとって究極の生け花は、カリフラワー、ブロッコリ、アーティーチョークの料理ですね。食べますから。開き直りではなく、懺悔と追悼をと上野のふぐ塚に行ったわけですが、もう10年になってしまいました。動物たち、野菜たち、許してね。でも花はそのぐらいしか殺していないよ。野原で咲いていてください。この発想で女性もそのままその場で輝いていてほしいと思っていると、なんのアクションも起こさない男と見なされ、ナンパ師にさらわれてしまうわけですが。私も魚食いよりは肉食なので、菜食に徹したことは少ないのですが。花にかぎらず、贈り物をするときに相手が望んでいるかどうか考えることは重要です。私だったら、花をもらっても、帰りにどこに捨てればよいのだろうと悩みながら帰宅することになります。つまり迷惑なのです。
 そして思い出したのですが、あの2012年の旅で、友人が招いてくれたナポリ人のオーナーがピザを焼く店で私が食べたのは、ジャルディーノ、つまり庭園風ということで、ルコラとトマトという野菜の下に、マグロがありました。シーチキン的なものですね。あの旅でスパゲッティに塩分付けにアンチョビを加えていたものはあったわけですが、サイゼリヤでもイカスミスパゲッティには入れていますね。ただ、あの旅でのイタリア部分のピザは、マルゲリータとマリナーラしか食べていません。アンチョビ入りピザは何種類かあるわけですが、かつてカプリで食べたものが、その店の名前を冠したもので選んだのですが、ナポリ風のマルゲリータにアンチョビを加えたもので、私の魚嫌いとは別の面で食べ合わせというか、思わぬ問題があり、ふたたび述べますと、それがビールだったわけです。ビールなら有機酸と関係ないと思っていたのですが、なんとも意外なことに、隠し味のアンチョビがビールと出逢うとドブ味なのですね。青の洞窟まで行けなかったのに青ざめました。学びですね。完璧なナポリ風のピザ屋でしたから、マルゲリータにすればよかったのですが、せっかくカプリに来て、あまりのバスの行列にアナカプリ行きをあきらめ、青の洞窟も、島に宿泊しなけりゃ無理だなと思ったので、せめてカプリに来たからこそのと思っての店の自慢料理でしたが、合わせる飲み物が間違っていました。でも、まさかビールと相性が悪いとは想像できませんでした。そんなことを学んで船でソレントに戻り、浮浪者のように公園のベンチで昼寝をしました。2012年の旅ではナポリまでは行くことができなかったわけですが、ストラスブールのナポリ人のピザが、弟子に生地を作らせたことで堅すぎる失敗作だったものの、心はカンパーニア州に向いていましたね。イタリア四都市のうちボローニャではひたすらボローニャにいる喜びを滞在中感じて、その地のものを食べていたわけですが、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、いずれももうその旅では行くことができないナポリへの憧憬があり、それはソレント、カプリ、ポンペイの記憶とつながっていました。同じアマルフィ海岸でも、アマルフィとポジターノには行ったことがありませんが、あんなに丘と坂道ばかりの町は、たしかにスーツケースではなくリュックの私は昔なら、という部分はありますが、ホテルまでは登山にしたくないですね。絶景云々よりも、やはり平らな街ボローニャではそこにいることを感じたかったので、ナポリを少し忘れる感じでしょうか。ボローニャ留学はしたことがありませんが、ストラスブール大学で、ボローニャ大学の教授の授業を、イタリア語では無くフランス語では受けたことがあり、さらに別のボローニャ大学で、ノーベル賞候補になったまま受賞しないで無くなってしまったウンベルト・エーコの次に有名な教授が、ストラスブール大学の博士論文提出者の口頭試問に指導教授としてきていたので、その人見たさにいったことがあります。だからボローニャ大学の中に入ったことが無いのに、イタリアの大学の中では一番親しみがありました。エーコと違ってその教授は小説は書いていないようなので、ノーベル賞とは関係なさそうですが、とにかくスターですね。
 そんなわけで、あの旅ではパリでは魚はそばつゆのだしだけだったので、パリで刺身くらいまでのちゃんとした魚を食べたのは大昔ということになりますが、自分一人で日本料理店に行くことはなく、誘われて一緒に行くことだけだったので、そういうときの記憶はおぼろげで、もしかしたら自分だけ魚を食べなかったかもしれないし、パリの日本居酒屋でコンビニおにぎりが出てきたので笑ってしまった記憶が一番鮮烈ですね。今考えれば、京子食品あたりが生産していたのでしょうが。中身の希望を出すことができれば、私は鮭でもおかかでもなく梅を選ぶわけですから、そこでも魚を食べていた可能性は低いのです。アンチョビふくめイワシはけっこうヨーロッパ居住時代も、フランス、イタリア、スペインであったわけですが、大きめの魚一匹となると、ローマと、サルデーニャのオルビアでしょうかね。イタリア語はフランス語の次によく使った言語なので、自分にとっては第三言語なのですが、フランス語だったら避けてしまうことができるものを、フランス語ほどはできないので、うっかり頼んでしまったのでした。もちろん積極的に頼んだのではなく、焼き魚にしますか? と訊かれ、魚介の炭火焼きがどこかの店にあるという情報だったので、頭もあまり働いていなくて同意してしまったのですね。ローマは地球の迷い方に載っていた店なので日本人慣れしていたのだろうし、だから日本人が来たらそれをすすめることにしていたのだと思います。オルビアはなにぶん海辺なのででかい魚を自慢したくて仕方がない。ローマの時はつらかったのですが、オルビアではオリーヴ油をボトルごとドン!とテーブルに置かれたので、大量にかけてみると、醤油よりもいいじゃんという感じになりました。日本のイタリア料理店だとちょびちょびでしょうかね。魚の魚感を活かすというよりは、別物になっていくわけですが、それがヨーロッパ人にとっての魚料理であり、バターかオリーヴ油で魚臭を包んでしまうのです。これが、留学時代に魚嫌いを克服したと思っていたら、日本に帰国してみたら魚の魚感が強くて、醤油では消えなくて、あらあらあら、ということで、鰹節の味噌汁ならともかく、あら汁はつらいと思いました。そんなこともあって、もうはま寿司でこの冬だけで、まふぐ、とらふぐ、くえと試してしまったので、もう死ぬ前にこの魚だけは食べておきたいというものもなくなりました。このままでは死んでしまうので、肉のほうでまだがっつりとは食べたことのない日本のA5ランクの和牛の数々とか、ふたたび食べたいということでは、イタリアのキアニーナ牛のフィオレンティーナとフランスのモン・サン・ミシェル周辺のプレサレ羊ですね。フィオレンティーナと聞いて私が思い浮かべるのは、サッカーではまったくなくTボーンステーキか、たまたま知っていた大柄な黒髪美女ですかね。プレサレについては、日本の支店で本店よりも安く食べることができるモン・サン・ミシェル風オムレツをわざわざ本店まで食いに行くのに、究極の肉を知らずに終わることの無意味さを思ってしまうのです。とくにすべてのヨーロッパ滞在の最終段階では、帰国の飛行機の安全を祈って生け贄の羊を食べることが儀式的になってしまっていることを、ブログではヤホー時代から発信しています。死んでくれた羊のおかげでシベリア上空の世の果ての旅から生還するイメージですね。魚についてはもうこれでいいのです。あとはだしばかりでも。そばやうどんのだしはかつおやいりこが入っていたりするわけですが、ラーメンも結構大手のチェーンで魚の強い存在感を感じました。もう何年も醤油ラーメンは半ラーメンしか食べてこなくて、最後にバーミヤンラーメンを食べたのはいつだったかなというくらいなのですが、この冬の寒波が、一番寒いときは過ぎても、感覚としてはそのあともどうしても寒く感じてしまうので、休日前日に日高屋で餃子と半ラーメンを食べたら、半ラーメンではあまり体が温まらなかったので、次の休日前日に餃子にフルサイズの中華そばにしてみたら、半ラーメンではわからなかった魚の存在感でした。少ない量で味をいろいろみることができればそれで味覚も鋭敏だし、というイメージがありますが、だしとなると、香りも含めて半分とまるごとでは違うのだと痛感する思いです。考えてみれば、グルメという言葉はフランス語起源ですが、本場のフランス語では食通のことは、大食漢、食いしん坊を意味するグルマンといいます。つまりある程度たくさん食べなければ味なんてわからないだろうということで、たくさん食べる人がほんとうのグルメということになるわけですが、一定量以上食べないとわからないものが現実にあるわけで、たくさんいろいろ少しずつシェアして食べて、という飲み会のパターン、とくに女子会では顕著なようですが、それで美味いまずいを決めてしまうことのおそろしさを思います。個別のコースとして少量ずつを盛り付けた、シェフが吟味したムニュ・デギュスタシオンならいいのですが、客の勝手でシェアして、どこまで味がわかるかですね。2012年の旅では、地方料理がっつりのところも多かったので、前菜抜きでメインというのもあって、それだけ注文すればよかったりもしました。一人で一皿目ですでに少しずつ数種類の盛り合わせ、二皿目も、そしてデザートも、というのは、日本のフランス料理店にもフランスにもあるとは聞いていますが、探したこともないし、行ったこともありません。しかし、かつてイタリアでトリノに行ったとき、北イタリアをずっと回ったあとフランスに戻る前だったので、あれだけの街だけれども一泊しかしなくて、それで地球の迷い方にあった店を試したら、昼も夜もメヌー・デグスタツィオーネの店でした。昼の店は昼だから品数はそれほどではなかったけれども、たった一日でピエモンテ料理を何品も食べる出だしでした。そして夜の店は圧巻で、とにかくいろいろ出てきました。予約なしで開店前に行ってしまって、係に品書きをもらい、また出直した私は、その日ホテルから予約したのロドリゲスさんと間違われ、ロドリゲスさん用の冷房がよく当たるテーブルで食べてしまいました。亡命してしまいそうですね。日本人だと自由な国には亡命させてもらえませんが。少しずつ何種類もという経験では最大のものですが、ピエモンテなので魚は無かったかと思います。それにしても、行ったことのある識者からも聞いていたのよりもはるかに豊かな食文化があることがわかりました。なにしろメヌー・デグスタツィオーネ自体が日替わりだったのです。何品かは前日と同じにしても、ほかは違うのかい、ということです。魚だしの話から、少量で味がわかるかという話になってしまいましたが、だしでもけっこう魚の健康成分が摂取できるのではないかと思うことが、そば、うどん、ラーメンであります。


 2012年の旅で海に出たのは大西洋バスクだけであり、あとは飛行機で太平洋が見えたり、日本海を越えたりに限定されていましたが、あの旅で食べた魚介類は、フランスのものはほとんど大西洋や北の海から来ていたと思われます。ストラスブールのタパス屋は地中海からタコが来ていたものと思いますが。イタリア部分は貝も海老も地中海から来ていたことでしょう。とにかくムール貝はフランスとベルギーのフランドル地方の料理だけに北岸に豊富ですが、地中海にもあり、かつてサルデーニャのオルビアでは街なかに遍在していて、イタリア語ではコッツェになります。オルビアではホテルのレストランが町一番なのでうっかり焼き魚を注文したものの、じつは値段が高い店だったので、頼まないものもいろいろ出てきて、頼まなかったコッツェの串揚げがあったので、地中海でもムール貝を食べたことになります。まだ肉を食って生き続けるわけですが、魚に関してはもう試しに食べたいものは食べてしまったので、死ぬまでにやっておきたいバケツリストというものの、魚はクリアしてしまったように思います。もう、ダシだけで充分にも思います。貝類と海老とイカを盛り合わせたものに、シャンパーニュをつけたら、それだけで人生は祭りだという感じですが、日本のテレビの取材でパリの娼婦が発していたその言葉に感銘を受けて、学生時代は学問と飲むことの融合など目指して、そのままフランスに留学しましたが、やはりフランスでフランス人を凌ぐ学生にはなれなかったので、ディプロームはひとつだけで、あとは飲み会で沈没しながら語り続ける学生であったことが、あの旅で訪ねるべき友人が何人も居た原因になっています。狐狸庵先生遠藤周作さんは、リヨン留学時代に、日が暮れると鳥目のようにフランス語がしゃべれなくなったということですが、私は逆に,夜、酒が入ってから議論でも何でも流暢になったことで、友人もできました。しかし、人生は祭り、というには、あまりにも帰国後の人生が難しすぎましたね。そんな、人生が祭りというテーマ、死ぬ前の走馬灯のような感じのフェリーニの8 1/2のラストシーンを思い起こしてしまいますが、あの2012年の旅の実際の北限はランスで、それに次ぐ北緯はパリとストラスブールだったわけですが、南限はローマです。かつて旅した範囲の半分くらいですが、あれだけの範囲を再訪できて、死んでしまうならそれでもいいという感じでしたね。しかし生きながらえてゆきます。世界一周に比べると何分の一かの狭い範囲ですが、西洋の美味はほとんどあの範囲プラスいくつかということもあり、あの範囲ならまた自腹では行きたいと思うけれども、ほかだとスペインくらいしかお金をもらって行けと言われなければ行きたくもないのです。アメリカ合衆国にも薪で焼いたピザがあることは知っているのですが、日本でサルヴァトーレに行く以上のものがあるかどうか。むしろ2012年に行くことができなかったナポリに直接行きたいですね。イタリアでの魚介ピザとなると、市販のシーフードミックスをのせた感じですかね。貝から身を剥がす作業をひとつひとつやるのは貝を売る専門業者のやることであり、ピザ職人のやることではないでしょう。少なくとも現在の円安状況での物価を考えると、海外旅行は旅行業者がいろいろ工夫してくれるツアーかなとも思います。自前で個人旅行することで万能感をえたい気持ちは、わかりますが、今はそのときではないし、そうまでして外国で高い魚料理を食べて、日本のほうがレベルが高いとか、肉も食わずに現地の料理を語るのも愚かしいかとも思います。


 魚について書くことは今後もあるかもしれないし、海老、イカ、カニ、貝はけっこう好きですが、魚となると、もう試したいものは食べてしまったので、今回ほどまとまったものは書かないと思います。だから、また肉食回帰ということになりますね。謝肉祭の後の復活祭に関しては、復活祭の象徴でもあるウサギに対して、今年はうさぎ年なので、なにかをと考えるのですが、記憶にある限り、ウサギを食べたのは、初パリのときと、確信は無いけれども、本場の本来のパエリャを食べるためにスペイン旅行をしてバレンシアに行ったとき、マドリッドやバルセロナで食べた魚貝パエリャとは異なり、豆と肉がありました。そのときは鶏肉かと思っていたけれども、本来はウサギ肉なので、ウサギだったものと思います。いまさらながら卯年、おめでうございます。そして、復活祭のウサギ、おめでとうございます。食べるんですけどね。魚の話から肉の話になるばかりですが、英語でチャラチャラとカーニバル、イースターと、言っている間に、じつは本来の言葉の意味を考えるといろいろあり、肉を食べて、肉断ちして魚を食べ、ふたたび、肉食に戻る、それが欧米なのです。ヴェジタリアンは植物は生きていないから殺していないと考える偽善です。目の前で花が咲いているじゃないですか。仏教は植物を生物と考えなかったので植物を弔う寺はないのでしょうが、これはほかの宗教含めて、科学を無視、排斥している状況ですね。魚となると、やはり上野のふぐ塚は象徴的ですね。獣肉、魚介、植物、の命をいただいて生きていることに対しての、感謝と謝罪の気持ちがありながら、またそれを乗り越えて生きてゆくのが図太い人間という存在なのだと思います。だってヴィーガンもしょせん偽善にすぎないのですから。植物だって生きているのです。花を殺したくないから切り花を女性に贈ることが無かったのが、私が女性にもてなかった可能性が大きいのです。食べるために犠牲になっていただくのとは、違う、愛でるために摘むほうがはるかに罪深く、残酷なことです。純粋に道楽のために殺しているわけですから。私はキリスト教の国に留学したものの、宗教的には帰依すること無く、でもちょっととはいえないほど勉強したりしていましたが、宗教はむしろばかにしています。しかし、この時期思うのは、食物を含めて食べるために殺さざるを得ない人間の業ですね。獣や魚を殺さなければ罪がないという非科学的な立場では無く、植物も殺しているんだから同罪と思います。それが菜食主義を偽善と考える理由です。同時に、見て楽しむための花殺しは、肉食以上の罪だと思います。殺しを楽しんでいるのですから。むしろ魚の活け作りのほうが、生け花よりも拷問の時間が短いのですからマシかと思います。贈るなら切り花ではなく鉢植えにしましょう。また、贈らない正義、そして花屋も受け取りたくない人に配慮した回収システムをもっと構築すべきだと思います。普通は異動や退職で、もらいたくない花をもらっても捨てますからね。外国では魚の活け作りの残酷さをことさら強調して日本の食文化への批判をしていますが、無駄にせずに食べるわけで、それよりも切り花のほうが残酷で、しかも食べるわけでも無く、見るだけで楽しんで殺してゆくということで、活け造りの頭と骨とケツだけの魚をさらに水槽で泳がすパターンを残酷という権利が、花を贈る人々にあるのかと疑問に思います。サラダはも植物のカルパッチョですね。そんなことを謝肉祭とか精進期間とか、それ自体がけっこう偽善的でもあるこの時期には感じてしまいました。それ以上の偽善がじつはあるということで。そういうわけで、もう試しに食してしまう魚がなくなったわけです。魚以外の動物、植物を供養する場所、花塚なんてどこにあるかわかりませんが、植物が生きていると知ることができなかったのは、科学の遅れです。魚も花も、切るときに痛点がないというのは、ないのでは無く、現在の遅れた科学では見つけることができていないというだけのことです。旧いともいえる人間中心主義の典型かもしれません。アリストテレスが植物の種と人間の精子の類似には気づいていた可能性もあるのに。そういうことで、カーニバルが好きな人は、精進もしていただけたらと思います。そして、精進期間が終わり、復活祭ですね。.信者ではないのでどうでもいいと思いながら、やはり歳時記的に思い起こしてしまいます。復活祭の卵も、固ゆでも生卵も嫌いなので、半熟なり温泉玉子になりますが。カーニバル、つまり謝肉祭は肉食を禁欲する前の肉まつりで、復活祭は禁欲後の肉解禁です。