イメージ 1

 日本、あるいは世界中で誤解されている料理です。日本では、イタリア修行経験のないイタリア料理のシェフの多くは、この料理の本物を食べたことがありません。テレビなどでも、とんかつにミートソースをかけてボローニャ風カツレツと言って出している店が出てきたことがあり、イタリア人ではないのに凄く悲しくなりました。日本料理が外国で、もんじゃが東京発だからといって、酢飯にもんじゃを載せたものを江戸前寿司とされていたら、愉快に思う東京人はいないのではないでしょうか。それとまったく同じくらい乱暴な話です。まあとんかつ屋ならいいのですが、イタリア料理店なら絶対にやってはいけません。だって違うんですから。間違っているんですから。外国料理店は、基本的にその国の文化を日本に伝える役割があるわけで、無知ゆえのいろいろはあるだろうけれども、それを減らす努力は必要ですね。

イメージ 2
 日本だけで純粋に育ってきたシェフの中には、本場修行こそ実力がないからするんだろう、みたいなことを言っている人もいますが、やはり知識として、実体験としての本物と、渋谷・恵比寿あたりの温室だけで純粋培養された外国料理との間には違いがあるものです。
 ミートソースはボローニャ風のソースですが、ボローニャ風カツレツはミートソースとは関係ありません。ボローニャでは何度もボローニャ風カツレツを食べたのですが、一度たりともカツレツにミートソースがかかっていたことはありません。だから、一皿目にミートソースであるラグーをかけたタリアテッレ、二皿目にボローニャ風カツレツというボローニャの定番コースを作成できるのです。アンティパストにモルタデッラ、二皿目の付け合わせにズッキーニの揚げ物を付ければ完璧なボローニャのフルコースになりますが、肉と揚げ物ばかりになり、ズッキーニ以外に野菜がない組み合わせになってしまうので、それでボローニャ滞在は絶対に一泊だけで終わらせることができないのが常です。
イメージ 3
 2012年の旅では、肉料理として、ミラノではミラノ風カツレツとオッソブーコ、フィレンツェではフィレンツェ風ビフテキ、ローマではサルティンボッカを食べて撮影してブログに載せることにこだわりましたが、ボローニャではこのボローニャ風カツレツです。
 ボローニャという街に初めて行ったのは、イタリア訪問としては二回目になるときのことで、まだ独り旅ではありませんでした。初イタリアそのものは、初海外旅行の時にパリ・ミラノ往復の航空券をつけてもらったときで、そのときはミラノしか行ったことがありませんでしたから、そのとき宿を取ったホテルのすぐ近くのミラノ中央駅を、ついに乗客として使った旅です。ミラノでの宿も、初旅行の時の隣。去年も使いました。ストラスブールから今はルートがチューリヒに変わってしまった特急ヴォバン号でその時はミラノ入りし、日本でやはり一緒にフランス語を習った友人と合流しました。初旅行の時の二人三脚の友人は初級と中級の時の学友ですが、そのときは上級での学友です。どちらも私のひとつ上の年齢でしたが、そのときの友人の方は私よりもアルコールに強いので、私の方がつまらない思いをさせてしまったかもしれません。
 その時の旅は、ミラノのあと、ヴェネツィアを見るためにメストレに一泊したあと、交通の中継点として、ボローニャに一泊してフィレンツェに移動する予定だったのですが、宿があまりにも良かったので、滞在を延ばすことにし、フィレンツェとピサにはボローニャから日帰りすることにしたわけです。これが初めてのボローニャでした。
 翌年、いよいよローマに独り旅したときに、ストラスブールへの帰路を、ボローニャ二泊、ミラノ一泊というぐあいにゆっくり北上したので、もうそれからはイタリアといったら毎回ミラノとボローニャに行くものと決まってしまいました。ミラノは物価の関係上長居をするところでもないので、メイン滞在先はボローニャという具合で。じつはまだ純粋にイタリア語だけでやり遂げたという旅でもなくて、ローマのホテルでもフランス語を使っていた割合が多かったのですが、イタリア語力の不足は、イタリアの郷土料理の知識の不足にも直結していました。毎回ボローニャ風カツレツを食べるようになるのは、そのあとからだったと思います。
イメージ 4
 写真を見てもらってわかるとおり、本来のボローニャ風カツレツは、じつにローマのサルティンボッカに似ています。私はフランス居住中は三回ローマに行っていますが、サルティンボッカを知らなかったので、食べたのは2012年が初めてで、そのときのひとつしか知りません。ただ、初ローマの時に、ローマの食堂でミラノ風カツレツとボローニャ風カツレツがどうなっているかを見ています。ミラノ風カツレツの方がボローニャ風カツレツよりも安いという、信じられない値段設定になっていたわけで、すでにミラノ風カツレツのときに書いたように、本場で食べる必要を感じるのに拍車がかかりました。
 本物は本場にある、と私が思ったのは、フランスでのことだけではなく、そのイタリア旅行での体験もまたベースになっています。安い食堂ではありましたが、一品目のイカのリゾットなどはじつによかったし、やはりそのカツレツはローマでの一般的な認識でしょう。
イメージ 5
 店によって違いはありますが、ボローニャ風カツレツは、仔牛の肉を薄くのばし、パルミジャーノとともに揚げ焼きします。ずっと書き忘れていましたが、パルマの生ハムものせています。いいね数は少ないですが、アクセス数の多い記事なので、情報の正確さのために追加します。店によって少量の小さなトマトをかざる場合はありますが、トマトソースそのものをどっぷりとかけはせず、とけたチーズがソースになります。ローマで一度だけ食べたサルティンボッカは、チーズを載せて焼いた上に白ソースをかけています。チューリヒのチューリレスティのゲシュネツェルテやフランスの仔牛のブランケットに使われたソースと似ています。仔牛用の白あんかけ的な感じがありますが、とにかくボローニャ風カツレツの方は純粋にチーズが溶けたものとしての純度が高いので、そのぶん濃厚でしょう。なにしろボローニャはパルミジャーノの地です。パルミジャーノの本場パルマにも近いですが、超特急レベルの列車はパルマには止まらず、ボローニャに停車します。そんな、どこからでも行くことができる利便性と、名物料理の数々、それが魅力の街です。初めてのときはほとんど知識なくたどり着いた街なのに、そのとき、駅のいまはもうない観光案内所で紹介してもらったホテルに、その後も何度も行き、あいていないときだけ別のところに行ったり、あるいはそのホテルで紹介してもらった系列に行ったりしています。フランス生活最後の短いイタリア行き、そして2012年の旅は、そのホテルに戻ることが出来ました。
イメージ 6
 仔牛が薄くのばされていることを考えると、衣を使っていないはずはなく、衣に肉汁もうまみも閉じ込めているわけですが、似たような料理が、じつはフランスからドイツ語圏にかけても存在しています。コルドン・ブルーです。英語に訳してしまうと山ピーがエクモにつながれてしまったドラマのコード・ブルーになってしまいますが、フランス語では有名な料理学校の名前になっているように、料理上手のことです。仔牛を豚肉で代用してしまうと、ほぼチーズハムカツになります。ただ、日本の総菜としてのハムカツは、味が濃くなる安物のハムを使ったものの方が人気は高いようです。チーズがないぶんの塩分をカバーする必要があるからです。下味付けの必要が全くないのも魅力かもしれません。ハムカツは添加物が気になるので、自分からは注文しませんが。
イメージ 7
 推奨される付け合わせはズッキーニのフライなので、それをすすめられるとそうしてしまうのですが、やはり肉とチーズの料理なので、温度の違いはありますが、私はサラダを頼むことがほとんどです。まあ、このブログのイタリアの写真で、肉料理の付け合わせがほとんどインサラータ・ミスタ(ミックス・サラダ)であることは、フランス料理の前菜がほとんどサラダであること同様、気づかれているかもしれません。イタリアは野菜の豊富な国ですが、一面では、貧しい時代が長かったので、北方の国ほど肉がなかったからというひともいます。昔、スイス・オーストリアと少なめの日数で回ってからイタリア入りしたときは、あまり野菜を取らず、ボルツァーノで堰を切ったようにサラダを食べ始めたのですが、そのくらい太陽と野菜というイメージがあったのかもしれません。アルプスを北から越えて南側に出る、ゲーテやモーツァルトの感覚を、2012年も感じていたのかもしれません。プロヴァンスもイタリアも、山を越えなければ行くことができません。川端の雪国の逆パターンをいつも考えていたのかもしれません。じっさい、2012年はスイス内部からゆっくりイタリアに行きましたが、昔の、アルザスからスイスを縦断する直通列車でミラノ入りしたときは、スイスで雨が襲ってきて、それを車窓越しに見ながら、トンネルを越えてアルプスの南に出ると、晴れているという状況。冬場も、雪景色で真っ白なスイスからトンネルを越えると、雪に覆われていない夜のロンバルディアという具合。やはり大学の先輩であるゲーテの気分をなぞったのかもしれません。フランス留学だったのに先輩にゲーテがいるところがストラスブールですね。
イメージ 8
 ローマに行くことができるとはっきりする前は、2012年の旅でのイタリアの終点はボローニャでした。つまり、このカツレツを食べることで、目的地に来たことを深く確認していたに違いありません
イメージ 9
 とにかく食材店の写真を多く出していますが、じつはボローニャの中心街の二つの屋内市場はどちらも立て直しのために閉鎖されていました。写真の食材店はすべて屋内市場の外にある店です。それでもこの軒数はごく一部です。範囲もけっこう狭いです。