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 日本で思われているようなパリらしい食べ物、というわけでもなく、2012年に旅した地方のいずれのものでもありませんが、私が好んで宿を取ったモンパルナスならではの、ブルターニュ料理です。フランス人がみんなこれを食べているように思わせてしまったのはマスコミの罪ですが、ギャレットという言い方のある、蕎麦粉のクレープです。表記はガレットでもかまいません。ガとギャ、カとキャは、nが後続しなければフランス人にとっては同じ音です。本場で食べたのが最初ですが、モンパルナスで食べた回数が一番多いので、やはり過去のフランス旅行の想い出と重なってきて、2012年はブルターニュとノルマンディーに行かなかったものの、モンパルナスに宿泊したことで、ちょっとそっち方面にも記憶の旅をしていました。失われし時を求めてのマドレーヌじゃないですが、記憶の鍵は食べ物や飲み物ですね。いろいろなところに旅してはファーストフードやスーパーの買い食いという人も多いですが、やはり限られた範囲の旅でちゃんとしたものを食べた方が記憶ははっきりしたものになりますね。行くことができないこんな時期でも想い出すことができるので得した気分です。
 2012年のパリではとにかく昼に蕎麦粉のギャレットを食べた回数が多いですが、パリというのはやはり首都だけあって便利にできていて、昼を軽くすませたくてコースを避けたい場合、サンドウィッチだけにしなくても、ブルターニュ地方のギャレットと、アルザス地方のタルト・フランベがあるので、フランス料理づくしでももたれなくて済みます。振り返れば10年目になるあの旅ですが、九年前の今頃、グランテスト(フランス大東部)からパリに戻って、英国旅行も考えたのですが、パリ入りのときの北駅にうんざりしてしまって、初英国滞在で食べ物に失望しないことは困難に思われました。しかし、フランスなら初めての地方に行っても、レストランのハズレを引くことはまずありません。パリもその時期、ホテルの値段が高かったので、シャワーWCつきで一万円未満というのは不可能になっていたのですが、ぎりぎり郊外でちょっと一万円超えのところを予約し、環状道路の外からのパリ通いをしばらくすることにしました。環状道路の外ギリギリのところをそのあとも動き、もうパリでは一泊一万円に達するホテルには泊まらなくて済むようになりました。あれからの年数を考えるともう無理かとは思いますが、観光業低迷の昨今、もしかしたら安いところもあるかもしれません。でも、行くことができるようになる頃にはまた高騰することでしょう。

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 初旅行の時は、ブルターニュの街の名前をほとんど知りませんでした。しかし、プレヴェールという詩人の「バルバラ」という詩はイヴ・モンタンによって歌われていて、そこでは軍港ブレストの悲哀が歌われています。ストラスブールに留学すると、見るテレビは全部フランスのチャンネルになるわけですが、天気予報はじつに地理の勉強になります。内陸性のストラスブールとパリはそれほど違わない気候で、ストラスブールの方が海から遠いぶん内陸性が強い程度ですが、海洋性のブルターニュはまったく違います。冬はほかほど寒くなく、夏もほかほど暑くない。そし一日の内の寒暖差は、内陸はものすごいのですが、それも安定している。それでストラスブールから初めて海を見にいく旅をするとき、パリも久しぶりながら一泊にしてメインにはしていなくて、とにかくブレストを目指しました。
 ただ、ブレストでは海辺らしく、贅沢に貝の盛り合わせを食べたので、初ギャレットは翌日のレンヌでの夕食になります。じつは昼食に間に合う時間にはレンヌに着いていたので、蕎麦粉のクレープなるものを昼に食べてしまいたいと思っていたのですが、蕎麦粉だからサラザンという言葉を知っていたのですが、レストランの外に掲げられている品書を見てもサラザンのクレープという表記がまったく見つかりません。記憶では昼をまたビールだけで済ませてしまう、内田春菊さんのいう麦ごはんのパターンにしてしまったのだと思います。しかし、とにかくずっとレストランの品書を見て歩いて、もう昼食時終了で夜までは閉店の状態になったレストランを見て回って、そのうえで多くの店にある言葉に気づきます。ギャレット・ド・ブレ・ノワールがそれでした。もちろん単語の意味は全部わかります。ブレは小麦のことなので、黒小麦のギャレットというわけですが、この表現が大変に多く、ギャレットはケーキのつもりでいましたが、デザートではなく食事のところにあったし、種類もあるので、これだと気づきました。蕎麦粉を黒小麦粉と回りくどい表現をするのも雅なことであります。
 西洋人は直接的で単刀直入、というビジネスマンの物言いをまともに信じていたら駄目なのは、こういうところです。この言い回しを理解するために一食飛ばしてしまったわけですが、それだけにレストラン選びのコツは外の品書を読み込むことだと思うことしきりです。門構えでわかるようになるというのが一般的によく言われますが、なんとなくそう思ったりするものの、カジュアルな店が高かったり、高級そうな店が安かったり、また、味もいろいろなので、やはり品書で選び、当たりを引いているのだと思います。ちなみにメニューという訳し方はしません。MENUムニュは定食の意味です。
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 レンヌの夕食のときは、ギャレットだけで一食にするものだとは知らなくて、ステーキの前菜にしようとしてしまいましたが、ウェイトレスさんが気を利かせてくれて、ステーキは来ませんでした。問題は具ですが、イメージとしては、ソーセージしか何か豚肉製品と卵と野菜という先入観がありますが、フランスでトマトが常食されるようになったのは日本同様戦後のことですから、伝統的には豚肉製品の中でも内臓あたりだろうと思い、アンドゥイユ入りというのがあって、これこそオシャレでない本物だと、注文しました。大腸の詰め物です。翌日はそこまでブルターニュらしいブルターニュではないロワール地方になりますが、ブルターニュ公国時代は首都だったナントに行くと、フランスのガイドブックにあったクレープ屋の昼のテラスに座り、やはりアンドゥイユのギャレットを食べ、飲み物もシードルです。店の子供がウェイトレスとして働いていましたが、昼食時間の終わりが近づくと客同様にテラスに座り、豪快にシードルを飲んでいました。小学生だと思うのですが。西洋料理を本場で楽しむには酒が飲めるようになってからの方がいいと私が確信しているのも、そういうのを見ているからですね。飲めないならヨーロッパよりもイスラム圏に留学したほうが得るものが多いのではないでしょうか。
 ナントの夕食はもっとロワール地方らしくという感じだったので、その後蕎麦粉のギャレットをレストランで食べたのはもっぱらパリということになります。ストラスブール時代の自室ではスーパーで水だけ入れればいいように蕎麦と小麦と牛乳当たりが調合された粉を買ってきて作っていましたが。ストラスブールでは、近所にクレープ屋さんがあったのですが、どうもアンドゥイユとかゲメネという言葉を品書きに見た記憶がなく、あえて目玉焼きとハムのために店に飛び込むこともなかったのです。ブルトン人の女学生の課題を手伝ったこともありましたが、ストラスブールにいいクレープ屋があるかどうか尋ねる前にパリの日本語学科に旅立ってしまいました。ブルターニュ旅行したときはボルドーまで足をのばしましたが、ストラスブールからのパリの出入りで使ったホテルが、2012年の旅のパリ最終滞在のホテルです。
 モンパルナスに行くと、いつも同じ通りでクレープ屋に行ってギャレットを食べるのが、昼を軽くすませたい場合の常でしたが、その通りではアンドゥイユのものはなかったので、パリでは東京にあるようなものばかりという印象だったのですが、その通りのクレープ屋の数はそんなに多くなかったので、すでにコンプリートしてしまった感があって、2012年は別の通りを試みました。クレープ屋の数も倍以上あるので、コンプリート不可能ですが、それでも旅の終わりまでに残してしまったのは二軒か三軒程度でしょうか。墓地巡り中心のパリ滞在でしたが、パッシー墓地ならエッフェル塔の写真も撮ることができるなと、ついでに一番好きなビラケーム橋を渡ってモンパルナス入りしました。昼食時間の終わりギリギリなので、滑り込みでしたが、その店にはゲメネという品目がありました。アンドゥイユです。アンドゥイユにはヴィールとゲメネの二種類あり、年輪状になった切り口のものがゲメネです。昼休み直前の客に渋る店主でしたが、私としてはほかの店にはゲメネがないかもしれないので、なんとか残り時間が少ないとはいえ食べさせてもらいました。すると、店を出てから周辺調査すると、けっこうゲメネがありました。パリにはアンドゥイユ入りの蕎麦粉ギャレットがないと思い込んでいたのはなんだったのだろうかと思ってしまいました。また、ゲメネのある店はシードルも安めという感じなので、次に食べたときはシードルが一番安い店を選んでいます。行列のできていた店も試しに行ってみたのですが、全体的には安かったのですが、シードルは最安ではなく、アンドゥイユもないのでパリジャン(正確にはパリズィアン)向けというところでしょうか。ちなみにブルトン人にとってパリジャンは必ずしも憧れを込めた言い方ではなく、海を知らない奴、というニュアンスがあります。だからブルトン人からみれば、アルザス人やオーヴェルニュ人もパリジャンなのです。こうしてみると、日本人だから日本中心の視点だけにとどまるとか、世界の標準がアメリカ合衆国だからそれ中心という経済だけの視点を絶対視しない、もっと相対的なまなざしでいろいろな人たちの気持ちがわかったりすることと思います。
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 だから、ピザの代用品のような具材ではなくゲメネを注文している私に店員が英語で話しかけてくることはなく、フランス語でゆったりとした気分でしたが、私も発音を間違えてしまって通じるのに時間がかかることも、居住者と思われているからこそ起こります。また、真面目な顔の店主が冗談を言っているのが理解できなかったときは、自分のフランス語力のせいなのか、そもそもギャグが難解なものだったからなのかわからなかったりもします。同じ店に通ったわけではないけれども、界隈を毎日うろつく私を見ていて、いよいようちに来たか、という店も、ローマ同様にあったのかもしれません。
 アルザスのタルト・フランベの場合もそうですが、ブルターニュのギャレットを食べるときは、昼にそれだけ食べ、デザートがいらなければさっさと珈琲を頼んでしまう。もちろん珈琲はエスプレッソなので、味は濃くてもカフェイン含有量も少なく、昼寝の邪魔になりません。デザートをカカットする場合は特にさっさと珈琲を注文してしまうと店員もデザートをすすめてはきません。楽ですね。
 パリ周辺流れ歩きのときによく食べたギャレットも、そのあと南西から戻ると、定宿の隣のホテルが好条件で日数が短いだけに取ることができ、二泊だったので、なか日の昼はクレープ屋です。クレープ屋のデザートは、クリームものやアイスもありますが、やはりクレープ屋なので小麦のクレープでしょう。小麦こそブレなのですが、蕎麦粉のサラザンと区別するときにはフロマンといいます。午後に女性の学友と再会する前でしたが、デザートまで食べてしまいました。じつのところ、ストラスブールはともかくパリで再会できる旧友なんかいないかと思っていたので、短い一日ながら、夕食もそれまでの旅程を振り返るソシス・アリゴだっただけに、濃い一日でした。翌日はもうふたたび東に向かう前の。
 メインの料理であるギャレットが蕎麦粉で、デザートが小麦粉のクレープなのは、やはり甘いものは贅沢品だからです。ブルターニュは北にありますから、小麦の産地ではなく、蕎麦粉の産地です。それで蕎麦粉中心にメインの材料となりました。小麦はもっと南の土地から買わなければならないから贅沢品となります。また、葡萄酒の北限よりも北なので、ブルターニュとノルマンディーの伝統的な酒はシードルです。つまり本来のサイダーですね。日本のサイダーは名ばかりで砂糖水に炭酸を入れたものですが、フランスよりもさらに北の英国はもともと葡萄が採れるはずもなく、林檎酒とビールだったわけです。その林檎酒としてのサイダーが日本に入ると、なぜかリンゴ果汁がなくなって砂糖水になってしまった。砂糖も江戸時代からすれば高級品ですが、日本も貧しかったわけですね。30年ほど前に英国も葡萄を育てられるようになったので、英国産葡萄酒というのがあるようですが、それまでは英国がフランスのボルドーを占領支配していたときにブルゴーニュに対抗して名産地にしてしまったので、それがあれば充分というところでしょうか。2012年の葡萄の北限はシャンパーニュ地方だったので、パリも葡萄畑があるわけですが、パリ産葡萄酒は、ノートルダム寺院以外に規模の大きい畑もそうないので、家屋の外壁に飾りで育てている葡萄を市当局が集めて、キュヴェ・ド・パリというのを毎年つくり、提供者、お偉方、招かれた有名人のみが飲むことができます。量が少ないですからね。日本人もテレビ取材のレポートで行けば飲ませてもらえるわけですが、最近は海外ロケに予算も割けないから何年も居ないことでしょう。
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 パリ最終滞在のときは、モンパルナスのかつての定宿で過ごすことができたわけですが、帰国間際はやはりセーヌ右岸に行く用事が多く、モンパルナスに引きこもる日をつくることができなかったので、パリ最後の昼食でようやくギャレットということになりました。通りのクレープ屋コンプリートを目指していましたが、ゲメネのある店をどんどん選んでいたので、アンドゥイユのない店か休みの店しか残っていない状況になり、ブルターニュっぽくなく食べることにし、昼からクレープ屋フルコースです。もやしサラダというのがなかなか笑ってしまう前菜でしたが、定食、つまりMenuは安いのですよ。メインのギャレットは、すでに野菜を食べたあとなので、ハムと目玉焼き。黄身がカチカチでないのは素晴らしいですね。フランスで食べる最後の卵がパサパサでなくて嬉しく思いました。デザートのフロマンはチョコで。料理はソースを一からつくるのがフランスやイタリアのレストランの基本で、そうでないものはファーストフードに分類され、ミシュランの星などの対象にはならないわけですが、もちろんこっそり少量の市販のソースを混ぜている店もあるかもしれません。砂糖も使ってはいけないのですが、果汁やバルサミコを煮詰めるのが面倒で使ってしまっている店もあるかもしれません。ただ、日本ほど堂々と大量に使ってはいません。しかし、デザートは砂糖不使用の原則は崩れるので、チョコソースも自家製ではない可能性が大きくなります。スタンド売りのクレープ屋は、だいたい堂々とNuttellaを置いて使っているので、厨房が奥にあって見えにくい食事用のクレープ屋もデザートには使っていることと思います。でもね、チョコは買ってくるでしょうが、実際に自分のところで溶かしてソースにしているかもしれないのですよ。値段が安めとは言っても、狭い範囲に蕎麦粉のギャレットを出す店が密集しているということでは、本場を越えて世界一であろうモンパルナスでの競争です。あれだけ何軒も狭い範囲にあって手を抜いてなんかいられないとも思うのです。
  ただ、次にモンパルナスに行くときにどの店にまず行きたいかというと、やはりゲメネを食べた店のうち、シードルの一番安いところです。クレープ作り以外は不器用そうな主人が変な冗談を言ってきて理解できなかった店です。会計近くは女性店員もどこかに行ってしまって、その主人とのやりとりだけになりましたが、シードルをお替わりしたければしてもたいして懐が痛まない安心感もあり、良かったですね。日本でギャレットをおぼえた人は、その似姿を求めてパリに行き、場合によってはモンパルナスでもない地区、マレ地区あたりで野菜たっぷりでおしゃれなものを見つけて、という感じなのかもしれませんが、本場のブルターニュで食べ始めてしまった私としては、ゲメネ、安い生シードル、が決め手ですかね。シードルが安い店のほうが、本場とのパイプが強いようにも思えます。また店名が普通のフランス語よりも、ブルターニュの地名や人名などが入っている方がブルトン語の痕跡などに店主のこだわりが見えるかもしれません。個人的には、初めてブルターニュに行ったときの、フランス居住者として、日本からの旅行者とは違う旅とは何かと考えながらのフランス国内旅行の、そのときの興奮がパリでもモンパルナスだと甦ってきました。ブルターニュ以外の地方の料理もあるモンパルナス、やはり大好きです。もちろん本家のブルターニュも好きですよ。二回しか行ったことがないですが。じつはヨーロッパのかなりの部分の先住民がケルト民族で、それが周辺に追いやられてしまった結果が、スコットランドとアイルランド、そして大陸部分ではブルターニュに残るブルトン語、ゲーリック語なのですが、なかなか短い旅では触れることのできない基層言語に歌で触れることができたりもします。ブルターニュは、スコットランド同様、ケルト系言語だけで生活している人はいないものと思われますが、私も一度だけ北海道に行ったときに、最後の純血アイヌのおばあさんの姿を見たことがあるので、そのへんもアルザスにいただけに無視できません。ケルト語の中でもマンクス島のゲーリック語は絶滅からそう年数が経っていませんし。
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