松谷みよ子さんの
モモちゃんシリーズ
最近、図書館へ週1回のペースで通っている
先月下旬から体調が良くない息子も一緒に行きたいと言うので文字が読めない息子にとって恐ろしくつまらない場所だと思うよと忠告したが着いてくるのだ。静かで印象が良かったのか毎回着いてくるようになった。
外出するのは気分転換になるし、私も借りた本を息子に持ってもらえるので助かるしで今は親子で通っている
私が本を選んでいる間、彼はソファに座ってスマホを見ていたり好きな自転車の図鑑等を見て過ごす。
先日は、ドスンと音が聞こえて何かと思ったら息子が居眠りをしてソファから落ちた音だった
居眠りは禁止ですから慌てて立ち上がり照れ笑いしながら私のそばへやって来た
映画も図書館も本当は私ひとりで気ままに過ごしたい場所だ…
しかしこうして一緒に過ごすのもいつか良い思い出になるのではないかと楽しむようにしている
図書館の庭のベンチでふたりでお弁当を食べるのもそうだ
ところで松谷みよ子の『モモちゃんシリーズ』をあらためて読んでみた
息子が子どもの頃に読み聞かせしたがそれからすっかり忘れていた
図書館で見つけて再読し
『深い…』と感動する
モモちゃんとアカネちゃん姉妹の両親は離婚する
児童書で離婚が書かれている事に驚くがその表現が凄いです
パパは靴しか帰ってこなくなる
バタンと玄関で音がしてパパが帰ってきたのに靴しかいない
ママはいろいろ話したいのに靴に話すわけにもいかず
せっかく料理した夕食も靴では食べてもらえない。
そのくだりを読んで胸を打たれました
私の両親は離婚して母に引き取られやがて再婚。今の父は戸籍では養父となっている。1度も叱られたことがない優しい父だ。
私も息子の父親と離婚している。
児童書から話しはそれるが
息子は20歳頃からどんどん父親に似てきた
特に声や話し方、笑い方が似ている。ちょっとした仕草まで似てきた。
私は嫌だなと感じていた
しかしある日、息子が沈んだ声で
「俺はもう、オヤジの事なんか滅多に思い出さないし忘れているのに話し方や声が似ているんだ。」
そういう自分が嫌だと打ち明けてきた。
これはいけない
全然ダメだ
母親というのはいやらしいところがあり絶対に夫より自分の方が育児で苦労してるのだから子どもは母親である自分の味方でなければならないと無意識に感じている
私はそうだった
子どもにそれを強要してきたように思う
私の母も同じで別れた父親の話をすることさえ許さない人だ
そのたびに私の体の中に入っている父親の遺伝子を罪のように感じたものだ。これは案外つらいものだ
息子も同じ思いをしているのか
私が夫の悪口を言えばそれは息子の悪口になってしまうのだしたら…もう夫の話題はもっぱら楽しかった思い出のみに切り替えた。
梨狩りに行けば試食テーブルで必ず梨をむいて私達に食べさせてくれた
それを同席の奥さまたちは好まし気に微笑んで見ていたこと
事あるごとに父親の面白い話をするようにしてきた
それから10年たつが今では
俺はオヤジに似て手足が大きい
眉毛の形がそっくり
等と明るく言うようになり
ああ、本当によく似てきたねと私も笑いながらこたえる
でも目は私に似てるし性格が私と瓜二つだよ、気が強いところとかその割にメンタル弱いとか
年に数回、息子から父親へ電話で元気にしているか訊くことさえある。
しかし、何かしら良いことをした時は
「さすが、私の子!」と言うのは抜かりない。