『デッドマン・ウォーキング』
ふと思い出して久しぶりに『デッドマンウォーキング』を観たが死刑囚に精神的支えとして寄り添う尼僧役スーザン・サランドンが良かった。
尼僧の役だから地味な色合いのスーツファッションも素敵。
死刑廃止派、継続派どちらの立場もしっかり描かれて中立の映画。
だからこそ考えさせられる。
死刑執行場面で被害者遺族と尼僧スーザン・サランドンがガラス越しに立ち会いする中で死刑執行される。この米国の迷いの無さはさすがだなと思えた。
死刑囚がベルトで体を固定されて注射液が注入。死刑囚は恐怖でガクガク震えるが尼僧の顔を見る。犯人の顔のアップと交差して彼が犯した真実のあまりにも残虐な殺人とレイプシーンが流れる。
死刑囚の懺悔も本物、犯した残酷なレイプと殺人も本物。
どちらも現実かぁと気持ちを死刑囚に寄り添う尼僧寄りで観ていると心乱される。
前回私は完全に尼僧寄りで観ており肝心のこの残虐行為は目を閉じて観なかった
観られなかったが正しいかな
今回はすべて観た。
その上で
これはもうスーザン・サランドンがどうしようと死刑囚が深く後悔しようとやはり死をもって償うしかないなと思った。
酷すぎる
あの男が許され更生して誰かの命を救う事はあるかもしれないが…
少なくともレイプに関しては玉の除去手術はしないと…
死刑囚に「その時が来たら憎しみ溢れる被害者遺族の顔でなく愛の顔(神の許しの顔)を見て」とスーザン・サランドンが自分の顔を見るように言うシーンは感動したが…
あの残虐行為が同時に流れると被害者たちは愛の顔を見ながら死ねた訳では無いじゃないか、尼僧の言うことは甘いよとつくづく考え込んでしまった。
それでも彼は生きていれば更生して誰かを助けたかもしれないし…
あの頃のハリウッド映画は面白かった。
昔はアメリカの音楽、映画、ドラマ、その他すべて生活水準の高さに憧れがあったが今は無い。