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二十歳の成人式当日は百貨店のハンドバッグ売り場で声をからしてガンガン販売していた。
だから所謂振り袖等の写真は無いです。

「成人式のお祝いは着物か留学の旅費かどちらか選びなさい」と親に言われて旅費を選んだ。

レンタル着物はあまり普及していなかった時代。

地域に仲良しさんの同級生もおらず成人式にまったく興味がなかった。

学校とバイトの掛け持ちで2年間忙しかった。

40年前の百貨店では成人式はまさに繁忙期で1日中足を止める間もなく接客と販売の繰り返しで終わったのだった。クリスマスもそうだった。
そこまで忙しいとランナーズハイみたいに恍惚状態。若さのおかげだろう。今だったら倒れていると思う。

商品を箱に入れて、結び切りののし紙をはるかリボンを結ぶかお客さんに選んでもらう。

両方つけてはいけないこと、のし紙には結び切りと蝶結びがあり結婚や快気祝い等1度でたくさんという場合は結び切りを、何回でもお祝いできる場合は蝶結びよっ!と売り場の先輩に教わった。

バイトに入ってすぐの頃は包装紙で上手に箱が包めずまごついていたら、すぐさま先輩にストック場に連れていかれてシゴカレたが難しくて上手くいかないでいると「困るのは自分なのよっ!」とできるまで新聞紙で練習し続ける様に言い渡された。「新人、使えないわー」と言われてしまう。

確かに百貨店の店員が箱の包装もできないとなればまさに役立たずで側にいる先輩に怖々「包んでもらえますか?」とお願いせねばならない。その度に鬼の形相で睨まれるのだ。悔しくて情けなくてたまらない。

帰宅すると貰ってきた箱と新聞紙で何回も何回も練習して最後にはどんなサイズの箱でもきれいに包めるようになった。

世間知らずで周りに迷惑かけたが先輩方には叱りながらも時間をさいてたくさんの事を教えていただき本当に良い勉強になったと今では感謝している。
さりげなく助けてくれたAさんとは今でもたまに会う。

当時の百貨店には不思議な規則がありメガネが禁止、肌色ストッキングを着用と主任に面接で言われた。

ソフトコンタクトレンズなるものを買って使用してみたが合わなかったのか一時間もたつと視界が白くぼやけてくるので結局は裸眼で通した。

成人式か…懐かしい思い出だ。