左人工股関節手術の思い出として、真っ先に頭に浮かぶのは手術のことではない。
医師、リハビリスタッフ、看護師さん、すべてが素晴らしい方々だったし
手術もつらくはあっても想像よりずっと楽で痛みも軽く、3週間で杖をつき一人でバッグをガラガラ引きながら帰宅できた。
私は入院中の見舞い客は兄が1度顔を見に来てくれただけ。夫、友達はいないし、両親は高齢で大変、息子は忙しく(来てくれても役にたつと思えず、3週間位ならむしろ1人が良く)洗濯やら売店での買い物など車椅子に乗れるようになると自分で済ませる事ができた。
日々回復して昨日は出来なかったことが今日は出来る事が楽しくてたまらなかった。
一人で身の回りの事をこなしていると看護師さんたちからも「銀さん!すごい!」等と褒めてもらえて嬉しかった。
あの入院中で1番私がつらかったのは、同室患者さんの見舞い客だった。
私は整形外科病棟に入院していたので他の患者さんもAさんは70代で膝の手術、Bさんは私と同じ股関節、確か60代後半、残るCさんは何故か小6で足首の手術だった。
私が度肝を抜かれたのはこのCちゃんの見舞い客だった。
母親と小2、幼稚園児の弟たちが午後3時になると毎日やって来た。
病棟の夕食時間になると父親も仕事帰りなのかやって来て合流。母親はバッグから家族の夕食弁当を取り出す。
下の男の子たちは病室に飽きてずいぶん前から騒ぎ続けているのだがおにぎりを食べながら私たちのベッドの前をさかんに走り回る。
両親はCちゃんを励ますことに夢中でその騒々しさには無頓着だ。
入院したことがある人ならば分かると思うがこれはたまらなかった。
午後3時から面会時間が終わるまで毎日なのだ。
AさんもBさんも渋い顔をしていたけれど小児科でも個室でもないCちゃんにはそれなりの事情があるのだろうと黙っていた。
むしろ年寄りの中で1人ぼっち、話しも合わなくて気の毒にと親の面会時間以外はかなり気を遣ったものだった。
整形外科手術後の入院中の1日はリハビリがあったりしてかなり忙しい。
術後浅いと夕方は静かに過ごしたかったのでCちゃん一家の騒ぎは苦痛だった。
更に、日曜日ともなれば午前中から一家で来てCちゃんのベッド回りはファミレス状態になる。
大学病院の整形外科病棟ではカーテンをしないことになっているらしく閉めても看護師さんが開けてしまう。
小学生バレーボールチームに入っているCちゃん。
ある日、騒々しい家族に加えてこのバレーボールチーム一同をコーチが連れてきた。
そしてメンバー一人一人が紙に書いてきたお見舞いの言葉を読み上げる。
最後に全員でエールをおくる。
もし、入院していたのが私の家族だったら私はすぐにナースステーションにCちゃんの家族見舞いについて考えてくれるようお願いに行ったと思う。
しかし、その時は自分が我慢すればと思った。
自分の回復が最優先で力を使い果たしてしまい、文句を言ったりお願いするエネルギーは無かったのだ。
今、気がついた。
もしその時、お見舞いに誰か来てくれたら頼めたのかもしれない。
それから数年置きに2回手術を受けたがあれほどインパクトの強い見舞い客の思い出はない。
これを書きながら笑ってしまった。