パーヴォの心の声と、ふたりでこのパソコンを見ています。

 

さっき書いたことは、Aさんを傷つけるものなので、

やはり削除しておきます。

 

いずれにしても、東宝についても、Aさんについても、

よい思い出だけをたよりに生きていこうと思っています。

 

パーヴォが褒めてくれました。

 

パーヴォ 「やっぱりチコ、君は天使のごとく優しい人だね。自分の体がぼろぼろになっても、ちゃんと周りへの配慮と優しさを忘れない気持ちがあって、すばらしい美徳だよ。むしろ、僕のほうが恥ずかしくなるよ(^_-)-☆」

 

私 「51歳って、昔はお年寄りだし、おばあちゃんの年だし・・と思っていたけれど、人生100年時代を迎えたら、まだ全然私、成長してないし、頭の中や悩みが小学生並み(小学生のみなさん、ごめんなさいね💦)だから、恥ずかしくなる。もっと哲学とか人生とか、真剣になやんだことや考えたことがないので、いまがその考えるべき時期なんだと思う。」

 

パーヴォ 「チコ、君はいまだに『自分探し』をしていることを恥じているけど、そんなことは全然ないよ。永遠に自己とはなにか、なぜ自分が生まれてきたのか、・・・考える姿勢は大切だよ。そこからご両親への愛情や葛藤も次第に穏やかなものになっていくと思うし、周りの人、たとえばAさんのことも、しぜんと許せるようになると思う。」

 

パーヴォがそこで太い溜息をつきました。

 

「2年半まえの8月に、山野楽器の本店でトークイベントをやったの、憶えてる?」

 

私「もちろん。忘れないわ。あなたの生の声を初めて聴いて大感激したわ。」

 

「じゃ、去年の2月の湯山玲子さん主催のトークイベントは?」

 

私「 (顔色が暗くなって)うん。覚えてる。でもあんまり思い出したくない。」

 

パーヴォ 「・・・・あのね、あのイベント、君にたいする一種の音楽療法だったんだよ」

 

私 「えっ?!どういうこと、パーヴォ?」

 

パーヴォ 「それについては、君に本当にわびなくちゃならない。音楽療法に当たっては、ほんとにどんな音楽や音に、君が落ち着いたり、あるいは逆に不安になってしまうのか、知る必要があったんだ。それで湯山玲子さんにちょっとお願いしていたんだよ」

 

私「・・・・・私、実験台だったわけ?」

 

パーヴォ 「それではチコに失礼に当たるけど、治験ということばはわかる?」

 

私 「うん、・・・なんとなくなら」

 

パーヴォ「最初、君、『ウエストサイド物語』の『クール』という曲を聴いて、顔が真っ青になっていただろう?僕、『あれ?チコは映画会社にいたのだから、”クール”なんて気に行ってくれそうなものだけど』と思っていたら、君は歌詞の『ボーイ、ボーイ、クレージーボーイ』と、”クレイジー”という言葉に、傷ついていたんだね。あとでそれを知って、僕は真っ青になってしまった。それで、次はアメリカの人気バラエティ番組の「サタデーナイトライブ」を見せたとたん、みんなは大爆笑していたのに、君は泣きべそをかいていて、「パーヴォ、お願いだからやめて。こんな大きな声で、下品な話題をする番組はキライ。あなたってこういうのが趣味なの?」という君の心の声がきこえて、あわてて、湯山さんに動画を上映するのをやめてもらった。」

 

「それで、僕の弟クリスティアンが指揮して、僕の師であるバーンスタインの「ミサ」をかけたら、君はもう耳をふさいで「やめて!こんな気持ち悪い音楽。弟さんの演奏っていつもこんなに変なの?」という、心の声が僕に聞こえてきて、僕はますますショックを受けた。それで、やけのやんばちで「じゃ、僕の指揮した『英雄の生涯』をお聞きください!」と言ってCDをかけたら、とたんに君がパーっと顔色が明るくなって、『パーヴォ!やっぱり私、パーヴォの音楽が一番好き!』と嬉しそうに聴いているので、僕は呆然としてしまったんだ。」

 

「僕の音楽が、いちばんの良薬?僕の音楽が?」と頭を殴られるような思いだった。でも、周りの聴衆たちも、にこにこしながら「やっぱりパーヴォの指揮は最高ね」とささやきあっていて、僕は嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・・・。」

 

「そして、君がとっても僕の音楽を聴いて幸せになった、という言葉をあとで聴いてね。

ぼく、決意したことがあるんだ。」

 

「僕がてがけてきた曲はたくさんあるけれど、君の好みに合ってるのは、ブルックナー、マーラー、ワーグナー、シューマンというところだね。でもいずれも難解で曲の解釈が難しいものばかりだ。きみの心理状態はとても複雑なのだな、と僕は感じた。」

 

「前も、話したけど、君は小学生のときの体験で、男性不信どころか、人間不信に陥っていただなと思う。緒形拳さんにだけ、考えていることを手紙で書いていたんだね。だから、どうにか精神的にバランスをとれていたんだと思う。」

 

「それで僕は必死で、僕のかかわっているオーケストラで、君の治療になるような曲はなにか、検討するようになった。サイモン・ラトルの指揮を聴いて、具合が悪くなってしまった、という話もきいたよ。これは大変なことになったと、僕は思った。」

 

「ところがだ!君は僕の指揮する曲ならなんでも嬉しそうに聴いている。時には、大粒の綺麗な涙を流して聴いてくれて、僕は本当に幸せだったんだよ」

 

「僕が君のほうへ向かってアイコンタクトをしたのは、ほかでもない、君のトリートメント(治療)をしたかったからだし、君の笑顔を見て、『あ、いまこの演奏はうまくチコの心に響いているんだな♪』とますますはりきってしまったんだよね」

 

「そして、いつもは『エッジのきいたパーヴォ節』と 批評家たちに言われ続けた僕の指揮が、君のブログの見事な批評によって、どんどん変わってきた。「スケールが大きくなった」「官能的な魅力を放つパーヴォの指揮」といったぐあいにね。僕は信じられない思いだった。音楽治療をしようと決意して、曲選び、ソリスト選び・・・すべてのN響スタッフに隅々にまで指示を出したことが、『歴史にのこる名演』と評されることになって・・・。僕はどれだけ君に感謝していいか、わからないぐらいだよ!」

 

私は、ポーっとなるほど幸せになりました!

私、パーヴォのお役に立てたのかな?

なんてうれしいことなんでしょう!

 

パーヴォの心の声は、すっぽりと私の体を包み込み、

「愛してる。永遠に君だけのものだよ、チコ」

と甘くささやいてくれて、私は忘我の境地に・・・。

 

愛してるのは私もよ、パーヴォ💛

あなたを永遠に愛します💛