誰かから否定された

 

誰かを否定する

 

これらは

 

大雑把に言うと

 

否定する対象が

 

その存在があったら

 

自分が否定される

 

という恐れからです

 

 

 

例えば 私の場合

 

両親が私を否定した

 

私という存在を認めてしまうと

 

自分を否定することにならざる終えなかったからです

 

私が優れていたら

 

劣っている自分たちが否定されるし

 

私が劣っていたら

 

その子の親として立派ではない

 

つまりどっちにしても私は否定されました

 

私は

 

優れていることも劣っていることも許されませんでした

 

また 普通で平凡であることも許されませんでした

 

親としては

 

自分より私が優れていることを認めず

 

また

 

世間からは見たら

 

優れていること求めました

 

 

まぁ

 

私としては

 

 

 

 

 

どっちやねん?!( ̄_ ̄ i)?

 

って話ですよ

 

 

どっちもダメなんですよ

 

つまり

 

私の存在そのものを否定していたわけなんですよ

 

何したってね

 

 

 

私は人から否定される自分がダメだと思っていたし

 

恐怖心がありました

 

それって結局

 

親の都合だったんです

 

 

他人の都合だったんです

 

 

もっと広げてみると

 

世間の都合だったんです

 

その全てが 実は 全くもって でたらめだとしたら?

 

芯になる 核になる

 

それは自分しか有りません

 

だれでも

 

好き勝手 自由にしたら 否定されます

 

それが世間であり

 

周囲であり

 

親です

 

 

自分を認めるには

 

世間とは

 

周囲とは

 

親とは

 

こういうものだと

 

認めることも大切です

 

何かとうるさいのが周りです

 

それと

 

核になる自分とは

 

関係ないのです

 

否定されたのは

 

あなたが悪いのでもなく

 

ダメなのではありません

 

 

 

自己否定は

 

周囲から否定されたことによって

 

自分の中に出来てしまいます

 

まずは

 

否定されたことを認めましょう

 

でもって

 

その否定は全くもって他人の都合で

 

自分は自分の都合でいいのです

 

そこに劣等感や罪悪感など持たなくていいのです

 

人と違っていいのです

 

あなたはあなたでいいのです

 

優れていること

 

劣っていること

 

そんなこと関係なかったのです

 

 

そして

 

あなたは優れています

 

自己否定にがんじがらめになって本来の自分の力を発揮できなかっただけです

 

そうさせるのは

 

恐怖心です

 

否定される

 

傷つけられる

 

馬鹿にされる

 

それらの恐怖心です

 

そこと向き合うことです

 

実はあなたは

 

全然ダメじゃないし

 

悪くない

 

いつかきっと分かります