狭いスペースに沢山

 

ここにしか置く所がないのです

 

昔から

 

雑貨集めが趣味で

 

その他沢山ありますが

 

今は全部しまっています

 

木の動物

 

ワイヤーアート

 

陶器の猫

 

木のスナフキン

 

ガラスの置物

 

時計

 

自分の写真

 

これらは今の一番のお気に入りです

 

 

 

 

 

いけないこと

 

生きていたら沢山ありますね

 

それらを気にするとか意識するとか

 

それだけで罪悪感が生まれます

 

逆に

 

気にしない人

 

意識しない人

 

繊細でない人

 

鈍感な人

 

大らかな人

 

ほど

 

罪悪感は少ないです

 

 

 

 

私は育った家庭で

 

やいやい言われました

 

あれもダメ これもダメ

 

こんなやつはいかん

 

許せん

 

こうあらねば

 

こうすべき

 

こうあってはいけない

 

それをいちいち怒鳴るんです

 

えらいヒステリックなんです

 

 

私がそこからずれたことをしたら

 

叩き潰す勢いでやられました

 

んでもって

 

うちの家は無宗教なんですが

 

私が何故か幼いころから

 

神様を信じていて

 

神の天罰か下る

 

とか

 

ばちが当たる

 

とか

 

本気で思ってたんですよね

 

こうなると

 

いけないことだらけですよ

 

生きている存在そのものが罪

 

のようなものです

 

何かの基準を信じるなら

 

それに沿って生きていかないことは罪になります

 

それは自分の中でできる罪悪感です

 

罪悪感を持っていると

 

人から怒られる 嫌われる 又は 責められる

 

という 恐怖を常に抱えることになります

 

罪悪感のない人は

 

この恐怖がないのです

 

恐怖がないから堂々とやってのけます

 

罪悪感のある人は

 

いけないこと

 

 

思っているので

 

現実にいけない人 と いう証拠が起こります

 

この世界は 自分が思っていることが現実化するのです

 

逆に

 

罪悪感のない人は

 

いけないこと と 思ってないので

 

現実にそのようなことは起こりません

 

 

今言ったことは極論です

 

 

 

いけないこと基準は人によって違いますから

 

それでもいいよ という場合もあったり

 

それ おかしくない?と責められることもあります

 

罪悪感が有ろうと無かろうとです

 

要は

 

本人が気にするかしないか

 

気にしてばかりいたら

 

気にしていることが起こります

 

自分が気にするからそのことばかり気持ちが向きます

 

結果自分でストレスを抱え込むことになります

 

気にしてない人は

 

気にしてないことは起こりません

 

当人が気がつかないのと 

 

周りも そういう人だと認識して許されるからです

 

ですので ストレスにはなりません

 

自分で自分が許せない人は

 

他人からも許されません

 

思っていることが現実に起こるからです

 

自分で自分を許している人は

 

他人からも許されます

 

思っていることが現実化するからです

 

 

 

 

 

もっと大雑把に言うと

 

いけないことなんて無いんです

 

何度も言いますが

 

この世界の概念は間違いです

 

何をしてもいいんです

 

悪いことをしない人

 

人を傷つけない人

 

そんな人などいません

 

それらを

 

いけない と するか しないか

 

それだけの問題です

 

 

だったら いっそ

 

いけない自分になりましょう

 

その自分を許すんです

 

自分は悪い ダメだ

 

だったら

 

自分は悪い ダメだ

 

それを許すんです

 

受け入れるんです

 

認めるんです

 

自分はそんなやつだと

 

認めるんです

 

そうすると

 

なにを持って悪いとしているのか

 

なにを持ってダメだと言っているのか

 

そのことが分かります

 

その思考回路から抜け出してください

 

そうすれば

 

悪くてもダメでもどうでもよくなります

 

 

 

 

 

あなたには

 

罪などありません