さて、思い返してみるとJW家族の子として生まれた私は、「自分がどう感じるか」「本当は何が好きで何が嫌いなのか」ということを感じる暇なく、
JWの生活を必死に合わせようと頑張ったと思います。
JWの場合、子供にも100%信仰を刷り込みますから、それが両親ともなると更にいっそうそれが強化される訳です。
どちらか一方が未信者の場合だと少し違う風も入ってくるのかもしれませんが・・・
という事で、JW以外の考えを取り入れる暇もなく、小さい頃から洗脳、洗脳、洗脳です(笑)
絵が沢山入った子供用の冊子もありますので、そういうものから勉強されられました。
あぁ、もう二度とあの長い洗脳をもう経験したくないと思うほど、長い間偏った考え方を刷り込まれました。
それがどれほど無意識の中に入りこみ、その後大人になってからも影響を及ぼしたか。
ようやくJW以外の見方も少しずつできるようになったのは組織から離れて10年以上も経ってからでした。
その間、当時は何か気づいていなかったですが心の奥底に『罪悪感』が刷り込まれていたのです。
JWを離れてしまったという罪悪感も少し。そしてどの人間もアダムとエバが犯した罪により、生まれながらにして罪を持っているという大きな勘違いの刷り込み。
無条件に自分は罪を持ってしまっているという前提を持っていたので、日常的に辛いのは当たり前ですね。。
あまりにも自分を責めすぎていたことが分かりました。当時はその感覚すらも自分で分かりませんでした。
さて「両親からの条件付きの愛情」ですが、厳密に言うと両親の言う通りにすれば褒められるし、両親が喜ぶと自分が思ったのでそうしたというのが事実でしょう。
特に両方がJWなので、JWに合わない自分の気持ちを出すことはできをませんでした。
出す場所もなかった。。
基本的にJW以外の人との付き合いは極力避けるよう言われるので、未信者の知り合いもいない。
付き合う人はLWばっかり。
もう合わせるしか道を知らなかったし、そういうもんだと思っていた。
ちょっとでも何か言うと、聖書を出してきて聖句を読まされ即否定。
私は誰にも本当の事を言うのを止めました。そして自分でも考えないように無意識のうちにしていたんでしょう。
奉仕で友達に会うと恥ずかしい。輸血カードをぶらさげているのも恥ずかしい。誕生日を祝っている人がちょっとうらやましい。クリスマスもバレンタインも。
校歌も歌ってみたい。普通の友達と遊びたい。派手な格好もしてみたい。
絶対に言えなかったし、そんなことを考える自分自体神に背いているようで、嫌でした。
心から信仰の深い人になりたかった。
厳密に言うと、両親は無条件で愛してくれていると思いますが、当時は目に見える形で喜ばせたり、受け入れられるという体験がほしかったんですね。
なので、JWに合わせようとしました。
今になって思うのは、人ってどんな一面を持っていてもそっくりそのまま愛され、受け入れられることが本当に心の平安に繋がるなぁと感じます。
例えば男だって泣いていいとか、人と違っていいとか?
それがまず自分自身に対してすることが始まりなんだと気付いてから、少しずつ少しずつリハビリのような感じで今までダメだと思っていた自分を許したり、認めてみたり、優しくするようにしたり、責めるのを弱めていったりとしています。
これもただの癖みたいなもんです(笑)
今までやってきた自分を責める行為の逆を、同じようにやっていっているのまにか考え方が変わっている。
そんな感じです。
そのように考えていこうと思ったキッカケがあります。
社会人になって外回りの営業の仕事をしていた時。
暑い日も雨の日も外移動で、時には30分以上思い荷物を持って歩いたり・・・
ある真夏の日、くたくたになりながらバスに乗っていました。
「こんだけ苦労しても、同じ給料かそれ以上もっと楽な事務の仕事とかあるよなぁ~
これだけ動きまわっても入るインセンティブはこんなもんか・・・労力の割にはなぁ~」
なんて思っていた時ふと頭に浮かんできた言葉があります。
『額に汗してパンを食べ』という聖句の一部です。
私の頭の中に熱い太陽の下、汗をかきながら必死に畑を耕している男性の絵が浮かびます(笑)
「もしかして、苦労して苦労してやっとパンが食べれる(お金が得られる)」という聖書の刷り込みが影響してる!?」
もう組織を離れていたのでJWとは切れていたと思っていた私が、まさかの洗脳が残っているんだ!と分かった瞬間でした。
そこからエホバ神に対しても自分の考えをハッキリさせました。
それまでは何となくもしかしたらJWで予言されているこの世の終わりが来るかもしれないし、JWは真実なのかもしれないという気持ちも少し残っていました。
ただ、もう戻りたくなくて戻ってなかった。でも、少し罪悪感があったのは事実です。
なのであまりJWを批判したりせず、たまにエホバ神祈ったりもしていました。
JWの価値観が残っていたので、神を批判することはとてもとてもできなかった(戦時中天皇崇拝を本気でしていた人のような感じです。)
しかし、もう堪忍袋の尾が切れたって感じです。
どこまで私を苦しめるのかと。組織から離れているのにまだ教えにがんじがらめやないかと(笑)
何で苦労して頑張って苦しみながらお金を稼がなあかんのかと(笑)
いい加減解放してくれ!とキレました。
ということで神への本音ぶっちゃけです。
実は、府に落ちないことがあり、どうもエホバ神に不信感を抱くことがあったんです。
端的に言うと
「何で悪を作ったん?」
ていうことです。
み使いであるものが神の力に魅せられ、悪魔サタンと化した。というが、そもそも何故そのような可能性を作ったのか。
そして、アダムとエバはまんまとサタンにほだされます。
最初の人間は完全に作られたはずなのに、悪魔にねがえったらそれ完全ちゃうやん!と。
しかもいきなりの創造物人間が2人中2人とも神を裏切るという失敗。
数字にすると100%です。
出だしからくじけすぎです。完全なはずなのに。
そしてその後エホバ神の息子であるという設定のイエスが、全人類の罪と自分の命を引き換えに償ってくださったと。
私は衝撃でした。
「大事な一人息子をわざわざ苦しめさすん!?命を落とさせてまで・・・(まぁ復活するとはいえ)
そこまで大事な存在にさせるかなぁ・・・まぁ人間を大事に思っているとは言っても。」
という感じです。
そしてそもそもの不信感は、
神は最初から最後まで世界のシナリオを知っているという事になると、
最初からサタンが生まれるのも知っていたし、アダムとエバが裏切るのも分かっていたし、イエスが罪を償えさせるのも、この世の終わりがきてJWだけが生き残り永遠に生きる・・・
全て分かっていての事ですよね?
それ、何が楽しいん?・・・て
人間を作ってくれたってことろまではまぁ良しとしよう。
そしたら悪という概念を元々作らんかったらええやんって。ただ愛に満ちて暮らしてるだけでいいやん。
サタンが裏切る可能性を与えたのは神やろ?
それ分かってて、あえて悪を存在させて人間の堕落を見て、それで自分の息子が命払ってまで罪つぐなってくれたでって言われても・・・
何かおしつけがまし!
ていうか何が見たいねん?
と、私にとってエホバ神とは愛の存在なはずなのにどこか信用できない、イジメ好きな神様に思えていたのです。
なので、もう結構。永遠の命もいりませんわっ
そもそも、そんな不可解な行動をとる、押しつけがましい神の元で永遠に生きなきゃいけない。
そんなもん苦痛ですわ、こっちから願いさげじゃ!!と思った訳です。
初めての神への反抗期でした(笑)
キレた私は、
「もうえぇ、もうえぇわ。真実なんてどうでもええ。エホバ神が本当に存在しようと、滅ぼされようとどうでもええわ。
もう正解が何かと考え、それにふりまされすぎて疲れた。真実は何かなんてもうどうでもええわ。
とにかくもう自分が心地よいように、自分の気持ちだけにフォーカスを当てて楽なように生きていこう。」 と。
・・・そう思った瞬間ふとよぎった考えがあります。
こんなに自分をののしり、冒涜しする、失礼な存在を、
わざわざ神は作るだろうか?
終わりに
『こんな事を言っている私でも、結局は神に愛されている(^<^)』
ニヤニヤ
真実はこれだ。
あーだったら正直になって良かったw
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