ミクロ経済学の無力「信仰はグローバリズムに至る」 | 秋山のブログ

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ミクロ経済学の力から。

 

筆者はグローバリズムを必然と考えているようだ。

『大多数の民衆はグローバリズムで損をする。にもかかわらずグローバリズムが進むのは、一部の富裕層(「勝ち組」)が大きな政治力を持って、民衆の大多数にとっては有害なグローバリズムを押し付けているいるから』という考えを紹介している。全くその通りである。疑問の余地もない。しかし筆者はこれに反論している。『ごく少数の者が持つ政治力が、国民の大多数の反対を長い間完全に抑圧することはできないであろう』というのが根拠のようだ。

これで納得する人間がいるのだろうか。抑圧された大多数がどれだけ反乱を起こしてきたか分からないのだろうか。グローバル市場圏からの分離独立は、鎖国やブロック経済くらいの例外的なもので、それも廃止されたなどというが、そもそもそれらは大多数の国民によっておこなわれたものではないし、主たる理由も国民経済ではない。ブレグジットが大きなヒントを与えてくれるであろう。イギリスにとってEU加盟はマイナスの効果の方が大きかったが、離脱すればさらに痛みを伴う最悪の案件である。しかし痛みを伴っても離脱したいという人々は、昔と今を比較することができる世代の人々で、EUに加盟してからしか知らない世代が反対している。つまり大多数を騙して誘導することは、それほど難しくないということである。

 

筆者は、ミクロ経済学の理論から分離独立しない理由を説明しようとする。『完全競争的な市場圏から、一部の地域が分離独立することで、地域住民をパレード改善することはできない』からであると。これ自体は当たり前(的が入ると多少微妙である)なことで、個々人の交換の機会は、マスが大きければ大きい程多くなるため、効用の総量は大きくなる。しかし現実の市場圏は完全競争や、均衡やパレート最適には程遠いのである。いかなる市場圏も、あまりにもそのような状況から遠いので、完全競争的と表現することは憚られるだろう。

 

コアに関する筆者の意図は良くわからない。他の教科書に出ているエッジワースの箱でのコアの説明では、契約線上の相手が損をしない範囲である。最適な点がコアに属するのはいたって当然のことであり、既に書いていることとほぼ同義である。同じことを言葉を少し変えて言って、確信を深めているのだろうか。

 

消費に限らず市場機能が働くことは基本的に善であり、全国民にとっても好ましい。しかしそれが成立する条件が備わっていない、もしくは市場の失敗にあふれているために、放置してよい程、それを前提に考えられる程市場機能は働いていない。市場機能がまともに働くのであれば、多くの国民の賃金は適正なものとなり、いわゆる格差も縮小するだろう。グローバリズムは市場機能を歪める手段なのだ。失業を増やし、再分配を困難にし、独占傾向を高める。それらがないと仮定して考える政策のなんと罪深いことだろう。おそろしいのは、これだけ優秀な筆者をして、自然とおかしな思考に誘導してしまうミクロ経済学ということかもしれない。