ねねの1番のお気に入りで、秀吉の嫡男、豊臣秀頼を産んだ茶々、淀の方をイジメ続けていた、ねねのイジメ役筆頭の山内一豊の妻千代」は、
夫が、秀吉の家臣の身で秀吉おんこにありながら、
“大阪城をにわかに采配し始めた、徳川家康本人に、“
”豊臣家撲滅“をはかる、いくさを、仕掛ける手紙”を送っていた事実がわかったのです!
ねねも酷いけれど、そのお気に入りの山内一豊の妻山内千代も凄かった!😰
昨夜の「知恵泉」を見ました…人をイジメ倒す人たちの怖さを感じました。
ねねの淀の方のイジメのすざましさは有名で、長年、騒然としていましたが、昨夜の「知恵泉」を拝見して、久々に、逆もどりしてしまいました。
ここでは、千代は意地悪く、伝えていませんし、徳川家康本人に手紙を送るなど、出過ぎ者とは、言っていませんでしたが、私は、すごい女だなぁ〜と驚いてしまいました。
山内一豊妻の千代が、徳川家康本人じかに、密書を送り、”関ヶ原の戦いをあおる密書を送っていた事実と、家康本人も、ねねの1番信頼を貰っているにょうごであるというのに、出過ぎの女と思わず、じきじきにしたためた、密書を受け取り、
戦意をもよおし、関ヶ原のいくさに直行したのが分かった‼︎
この知恵泉を見てガックリし、驚いています。😰🤬
大阪城にキリストを広めに来た、ポルトガルの宣教師が、
「大阪城は、呆れる程、あまりにも噂が多く、こんな汚い城を見たこと無い!愕然とする程だ!そして、石田三成が豊臣秀頼の父親だ!と騒いでいた」
と沢山渦巻いていた様子を書いた手紙が、ご自国のポルトガルの資料館に、今も飾られています。
今度、これを日本にも見せて頂きたいです!
山内一豊は豊臣秀吉から、強い信頼をもらい、交通の要所と言われた、掛川に、城を、与えてもらった!にもかかわらず、千代に従い、この城を徳川家康に差し出してしまったのである…‼︎
家康から与えてもらった城は、四国地方高知県の松山城となった