先日長男のドッジボールの交流会に行ってきました。
6チームが参加していて保護者や子ども達をあわせると200人くらい。
体育館はすでに熱気でした。
9:00から試合スタート。
各チームが熱戦を繰り広げていて、いよいよ長男の試合が始まりました。
「ナイスボール!」
「がんばれー!」
「いいぞ!!」
僕もいつも以上に応援に力がはいっていたそのときです。
「おまえらの試合、全然楽しくねぇーよ!」
「おまえら!何やってんだよ!」
「なんで、そんなことできねぇーの!!」
声の先に目をむけると子どもたちのプレイに対して、怒鳴りまくってい人がいました。日に焼けて、細めのメガネ。。。よく見ると相手チームの監督でした!!
コートの子どもたちを見ると「はい」と大きな返事をしてプレイを続行していました。
その様子を見て僕は、「なにか違うなぁ・・・」という印象を受けたんです。
正直、僕は居心地が悪い感じがしました。
なぜなら、主役であるはずの子どもたちの気持ちが無視された感じがしたからです。
そして僕の頭の中にいくつもの、疑問が浮かんできました。
「一生懸命にプレイしている子どもたちの、気持ちはどこにいっちゃたのかな?」 「大声で怒鳴ることで子どもの個性はのびるのかな?」
「叱ると勝てるのかな?」
「叱らないと勝てないのかな?」
なんか違う気がする・・・
「そもそも子ども達は、楽しめているのかな?」
勝つことで味わえる達成感も大切です。
勝つことで味わえる喜びを味わうこことも大切です。
きっと、なんとか勝たせてあげたい!という気持ちが大きくなったんだと思いますし そうであってほしいです。
たしかに気持ちが入りすぎちゃうこともありますよね。
その気持は凄く共感します。
でも言葉の使い方や「子どもたちをどうみるか?」を、意識することは大切なことだと思うんですね。
「できない子として見るのか?」
「できないのでなくて、困っている、理解しにくい状況にいる子としてみるのか?」どちらの考え方でみるかでサポートのやり方は変わってきます。
ちなみに僕は「困っている状況なのかも?」「どんなことで困っているかな?」と考えるようにしています。 そして自分に問を持つようにしています。
「どんなことで、困っているのかな?」
「今できることは、どなんなことがあるのか?」
「強みを活かすために、どんな方法があるのか?」 といった感じです。
問を持つと見え方が、変わることが多くあります。
怒鳴ることは怖さとか力で、子ども達をコントロールする側面が大きいと思っています。 怒鳴られる⇒あ、いけないことをした⇒止めて、よし!取り組もう!とはならないです。 なったとしても、一時的だと思っています。また子どもからしても、「どうしたいいかな」といった問題解決型の思考は育ちにくいと思っています。むしろ怒鳴られることでしか行動の軌道修正ができなくなることがあります。 繊細なお子さんがいたとしたらビクビクして、行動が萎縮することにもつながりパフォーマンが悪くなることもありますし。
僕は子どもたちと関わる中でたくさん失敗をしてきました。
その中から子ども達に教えてもらったことがたくさんあります。参考書よりもたくさんのことを教わっています。 そして僕は子どもとかかわるときに、大切にしていることがあります。
それは、「目の前の子どもより、たまたま早く生まれただけ」ということ。
もし僕が子どもだったら、偉そうにされたり、感情的に大きな声でどなられたら嫌で
す。 きっと怖くなってビクビクしちゃいます。
(僕自信も同じような経験を何度もして、大人の顔色みて行動していました)
僕は子どもも大人も、もとから素晴らしい才能や個性があると思っています。 その才能や個性を発揮できるためにも、心地よさや安心を感じてほしい!!と常に思っています。 長男のドッジボールの試合を観て感じたことでしたー。
今日も良い1日をお過ごしくださいー。
さんちゃんでした。