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おはようございます。

 

今日は朝から

書きたいことが浮かんだので

掃除もせずにiPadに向かっています。

 

 

ここ最近、

本当の自由とか

宇宙的な無限大って

どんなことなのかと考えていて、

それについて(まだ未完成ですが)

思ったことを綴りたいと思います。

 

恋愛を通して、

結婚生活を通して、

投影された自分の本心を

見ていきたいと思います。

 

 

Photo by ちっちゃん (高尾山にて)

 

 

 

知らず知らずのうちに

私たちは自分の

世界を狭めている。

 

 

これが最近私が気づいたことです。

 

 

結婚することで

となり

出産することで

になり、

様々な役割が増えていきました。

 

もちろん自分で選択をし

決めてきたことで、

その中にある幸せはあったのですが、

 

何かを新たに決める時や

何かを始めたい時に

「難しい!」とか

「できない!」

と思ってしまうというのは、

 

その役割の中にある

ルールみたいなものに

縛られているからだと思うのです。

 

仕事やパート一つ決めるのにも、

私は以前、

条件だらけでした。

 

・うちから近いところ

・幼稚園が終わるまでの時間帯

・1ヶ月にこのぐらいは稼げるところ

 

などなど。

 

でも、振り返って考えてみると、

私のやりたいこと、

私の能力はそっちのけ。

 

制限だらけ、

義務感だらけ、

我慢だらけの世界。

 

心の喜び好奇心ワクワク

は皆無。

 

 

結婚生活において、

役割というものを

真面目に果たそうとすればするほど、

自分らしさ

というものが失われていきました。

 

 

そして、私の場合は

夫がその役割を押し付けるタイプなので

ものすごく不自由さがあったんだんと

最近気づきました。

 

夫とはこうあるべき。

妻とはこうあるべき。

父親とはこうあるべき。

母親とはこうあるべき。

 

このがんじがらめの世界が

当然かと思って過ごしてきた

15年以上の間に、

私は知らず知らずのうちに

疲れ果てていたのでしょう。

 

さらに、

経済的不自由さ

制限を強めていきました。

 

 

何かを買う時、

安い方を選ぶ癖がついてしまっていて、

本当に欲しいもの、

本当に食べたいもの

選べなくなっていたのです。

 

 

長きに渡り、

自分に制限をつける癖が

いつしか染み付いてしまった結果、

 

自己肯定感も低まり、

心の中で望むことさえも

ブレーキをかけてしまうようになり、

自分の喜びに対して鈍感になっていました。

 

妥協して生きる、

そのような生き方をしていたんです。

 

 

それが変わるきっかけが

恋愛でした。

 

 

そもそも結婚している私が

夫以外の人を好きになるのは

タブー中のタブーという

考えがありました。

 

妻であり母である私にとって

してはいけないこと。

 

相手のことを考えても

してはいけないこと。

 

でも、本当に本当に

自分の幸せということを

真剣に考えた時に、

 

自分の望みを素直に

そのまま聞いてあげてみたんです。

 

 

無制限に、

自由に、

自分の望みを見てみる。

 

 

その時に

「私は本当はこの人が好き」

「私は本当はこの人といたい」

「私は本当はもっと色んなところに行きたい」

「私は本当はもっと色んな経験がしたい」

「私は本当はこんなこともしてみたい」

とどんどん出てきてしまいました。

 

自分の中でさえも

許可されていなかった望みが

これほどあったとは・・・。

 

 

ごめんね、私。

今までごめんね、私。

聞いてあげなくてごめんね、私。

 

 

そんな気持ちになり、

彼から愛されるようになってから、

女性性の部分の私が

心からの喜びを感じたのです。

 

私が最近色々なことを

学ばせてもらっている

恋愛心理セラピストの

クノタチホちゃん曰く、

 

妻や母親の役割というのは

実は男性性の働きだそうです。

 

「いいお母さんで在らねばならない

という自我に対する強迫観念」

なんだそうです。

 

女性性というのは

喜びを感じ、受け取る部分。

 

ということは、

私はこれまで男性性強めで

生きてきていて、

久しぶりに私の中の女性性が

喜びを感じているんだな〜って

思ったのです。

 

実は、

メイクしたりする美容に関することも

男性性らしいのです。

何かの目的のために行動する

ということ自体が男性性。

 

何かを感じて、

そこから喜びなどを受け入れるのが

女性性。

 

 

制限をたくさんつけながらの

枠の中での生活の中で、

生きる喜びをどれほど

受け取れていたのか・・・

 

あまりできていなかったのでは

ないかと思うのです。

 

 

色々難しい状況の中でも、

彼との関係において

最近私は制限をかけるのを

やめてみようと試みています。

 

・彼を一生愛し抜く

・彼にも一生愛してもらう

・彼だけを愛していく

・私だけを愛してもらう

 

一途で純粋に思える

このような強い思いも、

二人に制限をかけて

不自由な関係を押し付けることに

なってしまいます。

 

とにかく、

彼と話しているその瞬間を楽しむ。

彼とやりとりしているその会話を

楽しむ。

そこからの喜びを感じ、

受け取る。

 

それだけに徹してみたら、

そこには満足感幸福感しか

残らないのです。

 

そして、

制限するものがないということは

そこから生まれ出てくるものは

無制限な可能性なのです。

 

強い思いというのは

時として、

自分を狭めてしまう要因となります。

 

純愛、一途さ、

きっとそれもこだわり

一つなのかもしれません。

そして、

こだわりから執着が生まれます。

 

 

彼をその瞬間愛している。

彼からその瞬間愛されている。

私が今必要なのは、

そういう感覚なのかなって思います。

 

長年の結婚生活で、

色んな強迫観念や思い込み、

義務感、役割、諦め、制限、

そういうことを身につけてしまって

自分に可哀想なことを

してきたな〜と思います。

 

狭い限界のある世界の中には

不安や心配が生まれやすい。

 

これからは、

心の中を宇宙のように

無限大に自由に解き放し、

自分の望みに対して

貪欲に生きていこうと思います。

 

体の声、

うちなる声は

小さな違和感などで知らせくれます。

 

だから、いつも耳を澄まして、

自分から出てくる声を

そのまま聞いてあげたいと思います。

 

それが、これまで自分をいじめてきた

自分に対する償いと、

今まで頑張ってきてくれた

自分に対する感謝

の気持ちを表すことになりますから。

 

 

今日も長くなってしまいましたね。

最後までお読みいただき、

ありがとうございました😊

 

 

ちっちゃんでしたおねがい

 

 

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