気を失っていたけれど

気がついたら仕事が終わって動けなくなって寝込んで

またしても気がついたら今日は晴れていて
ずっと誘われていたプラネタリウムを見に行った



プログラムは「銀河鉄道の夜」





「きっとおっかさんも許して下さると思う」

ああ、カムパネルラ
ああ、やっぱりだめだ 涙がでるよ

鼻水も嗚咽もでないけれど
首まで濡れて冷たくなった

大人になってからの方がよけい泣けてしかたなくなった


「子供の感受性」とかいうものもあるが
経験しないとほんとうには解れないものが人間にはやっぱりある

(それでいうとまだまだ私はあまりにも経験不足だけれど)



「大草原の小さな家」が小学生の頃から大好きで
あんまりにも何度も何度も繰り返し図書館で借りてくるので

両親が中学に上がる時、お祝いに、といってシリーズを買ってくれた

当時の我が家の事を思い出すと
あの福音館書店のハードカバーのシリーズは
両親にとって とても高価なプレゼントだったと思うのだ

それだけでも 今思うと泣けて来る


その頃の私は その「大好きな本」が
これでもう何回も借りて来ては返しに行く、というのを繰り返さなくて良くなって
ただもう嬉しいばかりだった

いつも図書館の本棚にあった本が、自分の家の本棚に全部おさまっているのだ
なんとも不思議で幸せだった

大事に大事に、あきれるくらい繰り返し読んだ

挿絵のガース・ウイリアムズさんの細やかな鉛筆画も大好きだった



小学生の頃はローラと自分を当たり前のように重ねて読んでいたのだけれど

大人になってから読んだら
まだ若い 父さんのチャールズと母さんのキャロラインが
なんにもない、空と馬車と大地しかない開拓地で
子供3人をどんなにがんばって育てたか

どんなに頑張って支え合って生きていたかのほうに涙が出た

この頃は
ローラの姿が
私の母の小さかった頃の姿にも重なって見えるようになって来た



それは全部 切なくて幸せで胸がくるしいものだ



人生で何度も繰り返し読み続けられる本を持てたのはとても幸せな事だ

うまくまだ言えないけれど
やっぱり人間は自分が進めた所までしか
本当には理解できない

何十年もかけて、自分の心の進んだ距離を
何度も読む事で、何度も計ることができるのは
物語の持つ大きな力だとおもう

できれば
できれば私もそんな物語を創れたらとおもう

プラネタリウムを見た日の夜はいつもなんだかしょんぼりする

でもたまにこういう日も必要なのだ