昼食の後、この街産まれのナントカさんが、街を徒歩で案内してくれました。

バッハとの所縁は、お父さんを亡くした少年バッハが、アイゼナハから、オールドルフで教会のオルガン奏者をしていた長兄を頼ってこの地にやって来て、兄の庇護のもと寄宿学校で少年期を過ごした地、とのことです。
お兄さんがオルガン奏者だったミヒャエル教会は、今は塔だけ残っています。
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お城を中心に栄えた古い城下町で、起源は10世紀くらい?とか。

お城も今残っているのは城壁の一部分のみで、再建したお城の建物は、2年前に工事の最後の溶接の際、飛び火で引火して東側が焼け落ちてしまったので、未だその修復の最中です。
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火災の難に度々見舞われているそうで、第二次大戦時にはソ連の攻撃の日にたまたま晴れていたせいで標的になり、絨毯爆撃で街のかなりが焼失したとか。
その後の東独時代もずっとソ連の駐留地だったので、この地でソ連〜ロシアの事をよく思っている人はあまりいないとやら。

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オールドルフ滞在含め、バッハの足跡を紹介する掲示。

バッハさんとはあんまり関係ないけど、この地はキューピー発祥の地でもあるんだよ!と見せてくれた家。
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100年前そのままの内装の薬屋さん。
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街の創始者?のボニファティウスさんの像。
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…最初、30分ほどの案内と言っていたのが、この時点で既に2時間近い徒歩ツアーで、折角ランチで温まった身体も冷え切ってきました…

地元愛溢れるナントカさんは、それでもまだあと一箇所!あと10分!と続けようとするので、ごめんなさい、合唱団その後に本番があるので、、、と丁重に遠慮し、教会の控え室に戻りました。
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