上向いて 前向いて でもたまに立ち止まって☆

上向いて 前向いて でもたまに立ち止まって☆

基本ネガティブな私
それでもやるからには全力で楽しもう

これをモットーに
やりたいことやりまくる

仕事も趣味も
恋も全て

全力で生きてたらいい方向に向かうらしいよ♪

でも、たまには迷ってもいいよねwww

改めまして

 

黒門カルチャーファクトリーというイベントスペースの副支配人をしています、山下美樹と申します。
縁あって私のことを知ってくださった方に、私がどんな経験をしてきたかを知ってほしくて、文章にすることにしました。

今では自分らしく生きていく場所を見つけた私ですが、実は生きてきた中で3回「どん底」を経験し、自分を見失うほどつらい時間を過ごしていたことがあります。

 

つらかったことを公表するのは、私の経験を誰かの役に立ててほしいから。この文章を読んで、「あ、私が今悩んでいることと似ている…」と思われる方がいらっしゃったら、ぜひ声を掛けてほしいのです。話を聞くことができるし、必要ならば、経験者ならではのアドバイスもできます。

 

私自身、知り合えた人と深い関係になりたいと思いながら、なかなか自分の根っこの部分は話し出せないタイプなんです。「山下さんの人生のストーリー、読みましたよ!」そう声を掛けてくれたら、最高に嬉しいです。

 

 

父の死を経て

 

1つめの「どん底」は大好きだった父が亡くなったとき。当時私はまだ高校2年生でした。お酒が大好きだった父の最期は、この上なく残酷で、悲しいもの―行きつけの小料理屋で、常連さんと口論になり、逆上した相手にカウンター内にあった出刃包丁で刺されてしまったのです。

 

両親はとても仲がよく、毎日一緒にお風呂に入り、スーパーへは父の両脇から私と母で腕を組んで歩いていくほどでした。

 

事件のあった日からというもの、母と祖母は泣き崩れ、祖父は怒りに包まれていました。妹・弟もいる中で、私がしっかりと明るく振る舞わないと!と気を張って過ごしてきました。明るく楽しい性格だった父が私にそう望んでいると思ったから。

 

この1度目の「どん底」を経験したから、大切な人を突然失った人の、深い悲しみが分かります。同時に、前を向けば、悲しいことからも立ち直れるということも体感しました。

 

離婚を経て

 

2つめの「どん底」は、歯科技工士の専門学校時代から7年同棲したのち結婚した夫と、1年半で離婚したとき。同じ会社に就職が決まり、実家のある北九州を離れ、知り合いもいない福岡に二人で移り住んだ私にとって、彼がすべてでした。そんな彼が社内の別の女性に心変わりし、私の元から去ってしまったときは、言葉にできないほどの喪失感に包まれました。

 

仕事に行くのがやっとで食べる気力もなく、3日間で食べたのはコンビニのサラダが1つだけ、ということもありました。そこから、これならできる、こういうことならしたい、と思えることだけをすることに。スポーツジムに通うと友だちができ、うつ状態から抜け出し、恋愛観も変わりました。

 

もう自分には何もない、傷ついて立ち直れないと思っても、何かしら道はあるものです。結婚指輪を処分するのには13年かかりましたけどね(笑)。

 

過労とモラハラから逃げて

 

歯科技工士にまつわる仕事も、そうでない仕事も含めて、職場を転々としていた私。その中で歯科技工士として感動するほどのスキルを持った人との出会いがありました。彼が歯科技工所を独立開業することになり、私は彼の元で働く決意をします。社長となる彼から出資を持ち掛けられ、「自分の会社」として腰を据えて働こうと、少ない貯金の中から100万円を出資しました。

 

その先に待ち受けていたのは、従業員の給料を確保するために、単価の安い仕事を数多くこなす日々…そんな中で社長は会社の金を使って交友関係を派手に広げていきました。

 

ここからが3度目の「どん底」。私の会社でもあるのだからお客様と従業員に迷惑をかけてはいけない、と早朝から深夜まで仕事に明け暮れる日々が約2年半続きました。何かあると社長に罵倒され、私はとにかく自分が悪いのだと思うようになり、ただひたすらに仕事ばかりしていたのです。モラハラによる洗脳、ですね。

 

久しぶりに会った母に「変な気だけは起こさないでね」と言われたのをきっかけに、私はその会社から逃げる準備をはじめました。悲惨な労働環境の実態が分かるような証拠を揃え、今までの出資金に対して金銭消費賃貸契約書を手に入れました。

 

退職願いは受理されず、ますます社長の風当たりがひどくなったため、友人が紹介してくれた弁護士さんが間に入り、夜逃げ同然に会社を去り、そして社長相手に賃金未払い請求と貸付金返却の裁判を行いました。

 

当時の私は、自分が置かれた状況を冷静に見られていなかったと今なら分かるし、自分にも至らなかった点があると感じます。この人なら!と思ったら、言うことすべて正しいと信じてしまうこと。お金に関する知識が全くなかったこと。自分の限界を超えても頑張りすぎてしまったこと…。

 

そして何より、「自分を大切にする」という意味が分かっていなかったのです。

 

大阪へ来て

 

大阪の会社にお声がけいただき移り住んだ私は、そこで出会った人たちに「自分を受け入れる」をいうことを教えてもらいました。自分が変われないなら変わらなくていい、変わらなくていい方法を選べばいい―今までは考えもしなかったことです。

 

趣味として切り絵をはじめたら、自分にも得意なものがあるのだということに気づき、少し自信を持てるようになりました。でも…やっぱり自分はたいしたものを持っているわけではない、という感覚は変わりません。変わったのはそんな自分でもいい、と許せるようになったこと。そして、自分にないなら「何か」を持っている人を応援すればいいと考えるようになりました。

 

今年、私の大切な友人が、NPO法人Re:support(リ サポート)を立ち上げます。夫婦間のモラハラの解決方法として離婚を選んだ女性の、経済的自立をサポートするNPOです。私は彼女の想いに深く共感し、副理事として一緒に活動をしていくことに決めました。この活動を通じて、私の今までのつらい経験も意味あるものに昇華させることができるのでは、と思っています。

 

前に進もうとする人を応援したい。

 

それは、私自身が色々な人に助けられながら、3度の「どん底」から這いあがり、すこしずつ前進して今があるから。今度は私が、誰かのお役に立てたら嬉しいです。

 

 

 

 

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