ユメガカナウトキ -3ページ目

ユメガカナウトキ

夢がかなうブログ・・・いや夢を叶えるブログ。

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なんだかなー
いくつになっても、言葉が下手だな。
すぐに誤解されるような言葉を使ってしまう。
落ち込んじゃうな。
どうしたらいいのかな。

#どうしたらいいのか


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昨日から徳島に来ているのです。
お遍路巡礼の、第10番目のお寺に来ました。どうやらここは特別なお寺のようです。
やはり、神はかならずおられる。理屈ではなく、体がそう感じます。


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ついさっきまで、ここに仕事での愚痴を書いていたんだよ。
言いたいことをほぼ全部書いて、適当に写真を選んでいたら、この写真が目に止まったんだよ。
眺めていて、ああこれはいけないなと・・・・

愚痴の投稿はやめるよ。

かわいいな~
大好きな長男。
この子のためにも、前向きでいなきゃね。

父さんは、今日もお前の笑顔に教えられたよ。
ありがとうね。
それにしても、かわいいな~


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こんなにかわいい子が不幸になんかなるわけはない。そう思うと元気が出てくる。そしてそれは紛れも無く事実だと思う。
この子は、生まれた時に病気だった。
約1年半の入院生活、2回の手術で元気になり、そしてすくすくと育ち、もう小学校2年生になった。

赤ちゃんの時にあんなにつらい思いをしたのだから、もうこの子に不幸は来ない。絶対に来ない。

この子の幸せは、当然、私の幸せ。

いつも元気をありがとう。
いつも癒してくれてありがとう。
大きくなーれ。


10年後の自分はどうなっているのか?ちゃんと設計しなければいけないのです。

しかし、10年前を振り返ると、今自分が会社を経営しているなんて思ってもみなかった。

毎日、毎日の積み重ねで、数年後の自分が決まる。
なにかを信じて、毎日毎日、明るい明日を信じて、毎日、毎日、気持ちを切り替えては。
でもね、思うのですよ。将来の自分をもっとちゃんとイメージして生きれば、もっともっと充実した日々を送ることができるのは間違いないわけですよ。

まずは、それができるようにならなければね。今更レベル低いのかな・・・
いや、今からでも遅くない。思いを新たにね。やってみるわ。


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愛してるなんて照れくさくってね。
さりげなく思うものなんですよね。
愛してるって言うより、なんて言えばいいのか、んー感謝の気持ちというか、いつも世話をかけてすまないなとか・・・そんな思いというか。

それって、自然とそういう気持ちになったような気がするんです。
決して力むことなくね。

それが愛してるという、直接的な感情なんじゃないかな・・・

いつもわがままばかりでごめんね。
いつも、ありがとうね。

またキザだなんて言われちまうぜ。


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今日は誕生日。
FBの友達からたくさんのメッセージをもらった。
ありがたいことだ。

早めに帰宅すると、家内がプレゼントに麻のシャツをくれた。
ありがたいことだ。

今日の夕御飯はカレー。

一番嬉しかったのは、いつも食の細い長男が、おかわりをしたことだった。

ありがとう。
本当にありがとう。


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3月も4月もここに何も書いていなかったなんてね。ほかのSNSでは、決してネガティブなことをかかないようにと心がけて毎日毎日、ないんかを呟いていたけれど、そうだね。そんなに毎日元気でいられるものでもなくてね。少しでいいから、そう、少しでいいから弱音をはけるスペースも欲しいなといろいろ思っていたら、あーそうだ。シンプログがあったじゃないかと思いだし、ログをみてみたらもう2ヶ月以上も放置していたことに気づいたよ。
思えば、ここでは何人かの友達もできた場所だし、自分としては本音でなにかが書ける貴重な場所でもあるわけだ。それをすっかり忘れていた。
会社の資金繰りのことでずっと悩んでいたけど、少しはここにその悩みを書いてみようと思うよ。
なんとかなる、なんとかなると思いながら毎日頑張ってはいるけれど、少しは息抜きが必要だからね。


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もう10年前の日記。大好きな自分の文章。わすれないように、今日またここに書く。…実は、久しぶりに恋をしたのかも知れない。…んーまあいいか。だから…

恋の行方についてat 2005 01/26 00:12 編集

恋の行方など誰にも予想はできない。
なんと言っても盲目になっている。
遠くなど見えるわけはない。

私は、恋とはとてもわかりやすい人間のエゴのひとつであると思っている。
恋をすると、その相手の顔を一目みてトキメキ、声を聞いてため息をつき、なにげない仕草にも心を奪われ、不安な気持ちを持ちながらでもそれはとても幸せな気分にもあふれている。
そんな気分に浸りたいという欲求は明らかにエゴではないか。

自分の心地よさを求めて人は恋をする。
それは、あくまでも本能であり罪のないエゴである。

しかし、盲目になれない恋もきっとある。それはとても悲しいことである。自由に羽ばたけない恋、盲目になることにブレーキをかけてしまう恋。悲しいけれど、その恋はエゴではなく清らかなはずである。ある意味それは、恋意外の何かかも知れない。

はたしてそれがなんであるか。
私にはよくわからない。

恋の行方について、自分自身で完結してしまう、盲目ではない恋。
そんな不思議な恋もある。
そんな怯えた恋もある。
そんな忘れ去りたい恋もある。

#恋


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迷いと信じるということの関係性についての考察
私は思うのです。
神や、家族や、会社のスタッフや、その他いつもお世話になり、私を支えてくれる人たちのお陰で、毎日平穏に過ごせているのです。
身の廻り全ての人たちがいて、今の自分の生活が成り立っていると思うのです。
感謝しています。…つもりになっているのかも知れません。
なぜならば…
人が悩みを持つとき…
どうでしょうか?悩んでしまう時って、ほとんどは、自分の進むべき道や、身の置き方について、迷いが生じた時ではないでしょうか?
その迷いについて思うのです。
人はなぜ迷うのか?
自分の考えや、過去からの行動に自信がもてなくなった時、人は迷うように思います。
本当に、自分を支えてくれる人たちに感謝の気持ちがもてるのならば、その人たちの言動を信じていて、そしてそれらの関係性から成り立っている自分の生活全てにおいても自信が持てる…つまり、迷うことなど無くなるのではないかと思うのです。

そう、心から感謝しているのか…
心から信じているのか…
結論としては、そう言うことになります。

心からの感謝、信じる気持ち…他人を信じ、自分を信じる、そして、迷わない心。
そこだと思うのです。

#迷い