ユメガカナウトキ -2ページ目

ユメガカナウトキ

夢がかなうブログ・・・いや夢を叶えるブログ。

投稿写真

今日は、やっと新しい事業の骨子について考える時間がとれます。
そう言いながらまだなにも考えついていないのですが、今日はなんだか気持ちが落ち着いていて、妙な安心感があります。
経験上、これって必ずいいアイディアが浮かぶってことなんです。
だから、今日は焦らずに、適当に気を散らしながら、名案を待つことにします。
こんな日は珍しい。
なんなんだろうこの自信、この安心感。このなんとかなるという思い。

なんだかうれしいな


投稿写真

不安じゃない。
絶対うまくいく。
だって今まで伊達に生きてきたわけじゃないから。

大丈夫、大丈夫。
人の役に立つってことだけ考えよう。
それで、一生懸命さを忘れずにいよう。

なんとかなるさ。
大丈夫、大丈夫。


投稿写真

忘れては思い出し、思いあがっては反省し、その繰り返しなんだと思います。

もう半年たつかな、前向きな言葉だけを書き続けた一言ブログがサービス終了になった。
2年くらい続けたが、その終了とともに、前向き日記を書くのをやめてしまった。

なにもその一言ブログでなくとも、ここにでも書くことはできるはずだよね。

ついさっき、それに気づいた。

今年の小さな誓い。
ここで前向きになる。
そうします。

応援求む。


投稿写真

あけましておめでとう。
言いたかったのは、ただそれだけですよ。

とにかく、とにかく、おめでとう。
今年もみんな元気で。
みんなで幸せになろう。


人って、ほぼみんな不完全。
悪いところをあげたらきりがない。
自分だって、足りないところだらけなんだから、他人にも多くを求めるのはやっぱり正しくないんだと、この歳になるとそれがわかる。

最近、古い友人と飲む機会があって、何度も何度も、お前は丸くなったと驚かれた。
そう何度も言われて気づいた。
確かに、昔はちょっとした矛盾に怒ってばかりいた。

大人になったんかな?
だっても52歳だし。


投稿写真

信仰の意味 第二章

宗教にもいろんなものがある。
様々な教えがある。
新興宗教って、信用できないとか、なんか怪しいとか、怖いとか、よく聞く。

壺を買えば思いが成就するとか、お布施をたくさんすれば、事業が成功するとか、そんな宗教もよく聞く。

確かに、自分の物欲やら名誉欲やら、いわゆる唯物論的な思想を捨て、布施の心を学び、神仏に全てを差し出すというのも、悟りの道のプロセスのひとつではあると思う・・・しかし、そればっかりではね・・・大事なのは教えの正しさだから。それは、古い宗教、新しく生まれた宗教に限らずね。

人が、信仰にはいるときって、様々なきっかけがある、
経典(教え)が素晴らしいからとか、運命的な出会いがあったとか・・・それらはおそらくは、とても純粋なきっかけだろう。

たいがいは、病気を治したいからとか、事業を成功させたいからとか、それぞれの不安感から逃れたいから・・・などが多いのかな。
それぞれに、捨てられない思い、失いたくない現実を、なんとか維持するために、神仏に手を合わせることでなんとかしたいと思うからか?
それで十分なんだと思う。
一見不純とも思える動機であったにせよ。人は元々、そんなに強いものではないのだから、だいたいはそんなものなのだと思う。それでいい。

しかし、その後が大事なんじゃないだろうか・・・
信仰への入り口はそんな不純な動機であったにせよ、信仰を続けること。そして、ただ祈るだけが信仰ではないことに気づくこと。これが大事なのではなかろうか?

信仰の意味、そして悟りとはいったいなんなのか・・・次の機会まで


投稿写真

信仰の意味 第二章

宗教にもいろんなものがある。
様々な教えがある。
新興宗教って、信用できないとか、なんか怪しいとか、怖いとか、よく聞く。

壺を買えば思いが成就するとか、お布施をたくさんすれば、事業が成功するとか、そんな宗教もよく聞く。

確かに、自分の物欲やら名誉欲やら、いわゆる唯物論的な思想を捨て、布施の心を学び、神仏に全てを差し出すというのも、悟りの道のプロセスのひとつではあると思う・・・しかし、そればっかりではね・・・大事なのは教えの正しさだから。それは、古い宗教、新しく生まれた宗教に限らずね。

人が、信仰にはいるときって、様々なきっかけがある、
経典(教え)が素晴らしいからとか、運命的な出会いがあったとか・・・それらはおそらくは、とても純粋なきっかけだろう。

たいがいは、病気を治したいからとか、
事業を成功させたいからとか、
それぞれの不安感から逃れたいから・・・などが多いのかな。
それぞれに、捨てられない思い、失いたくない現実を、なんとか維持するために、神仏に手を合わせることでなんとかしたいと思うからか?
それで十分なんだと思う。
一見不純とも思える動機であったにせよ。人は元々、そんなに強いものではないのだから。だいたいはそんなものなのだと思う。それでいい。

しかし、その後が大事なんじゃないだろうか・・・
信仰への入り口はそんな不純な動機であったにせよ、信仰を続けること。そして、ただ祈るだけが信仰ではないことに気づくこと。これが大事なのではなかろうか?

信仰の意味、そして悟りとはいったいなんなのか・・・次の機会まで


投稿写真

信仰の意味 第二章

宗教にもいろんなものがある。
様々な教えがある。
新興宗教って、信用できないとか、なんか怪しいとか、怖いとか、よく聞く。

壺を買えば思いが成就するとか、お布施をたくさんすれば、事業が成功するとか、そんな宗教もよく聞く。

確かに、自分の物欲やら名誉欲やら、いわゆる唯物論的な思想を捨て、布施の心を学び、神仏に全てを差し出すというのも、悟りの道のプロセスのひとつではあると思う。

人が、信仰にはいるときって、様々なきっかけがある、
経典(教え)が素晴らしいからとか、運命的な出会いがあったとか・・・それらはおそらくは、とても純粋なきっかけだろう。

たいがいは、病気を治したいからとか、
事業を成功させたいからとか、
それぞれの不安感から逃れたいから・・・などが多いのかな。
それぞれに、捨てられない思い、失いたくない現実を、なんとか維持するために、神仏に手を合わせることでなんとかしたいと思うからか?
それで十分なんだと思う。
一見不純とも思える動機であったにせよ。人は元々、そんなに強いものではないのだから。だいたいはそんなものなのだと思う。それでいい。

しかし、その後が大事なんじゃないだろうか・・・
信仰への入り口はそんな不純な動機であったにせよ、信仰を続けること。そして、ただ祈るだけが信仰ではないことに気づくこと。これが大事なのではなかろうか?

信仰の意味、そして悟りとはいったいなんなのか・・・次の機会まで


自分は弱いから、神に頼りたいから信仰を持つとか、あの人は強いから、神様を頼って生きないとか…よく聞くけど、僕は違うと思うんです。
僕は、この世に現存する全ての宗教の教えを読んだわけではないけれど、おそらく、正しき教えを持った宗教であれば、ただただ神に依存した生き方を正しき教えにはしていないと思うのです。

しかし、人は、神を信ずる人は、現実に疲れ果て、行き先を見失ってしまった時に、神に両手をあわせます。
日常的に、毎朝、毎晩、祈りを忘れない、熱心な信仰者にあっても、自分が追い詰められた時の真剣さは、日頃とは違ってしまうのも、これしかたのないことだと思います。

おそらく、正しき教えをもつ神仏は、その人間の都合の良い信仰についても、笑顔でお許しになることだとも思います。
ひとつはそれ、それを知ることも信仰の意味であると・・・
しかし、しかし、それだけではないと思うのです。

信仰の意味と題したこと。
一回では書けそうにないと、今気づきました。

続きは次回に…
投稿写真

ユメガカナウトキ…かー
これも落ちてきた言葉。
神に祈っていて、落ちてきた言葉。
この言葉をタイトルにして、いつか一冊書くと思う。そう気づいてもう数年過ぎたが、まだまだ書けずにいる。
夢は叶えなければばらない。
叶えばいいなー…などでは困る。
夢は必ず叶うものである。
だからその時のために、毎日、口に出してみる。

ユメガカナウトキ
ユメガカナウトキ

悪くない。
いい言葉だと思う。