遡行もしくは淵源 第6回
鞍馬天狗をはじめ、我々爺婆の世代が圧倒的に懐かしさを感じる幕末のチャンバラ映画やマンガ・講談本の合言葉と言えば、勤王の志士・佐幕の犬だ。 明治維新を企てた薩摩・長州・土佐の勢力は、朝廷に忠実な志ある士(侍)であるとし、徳川幕府を佐(助)ける勢力を犬に例えての言葉。 新選組はさしずめ血に飢えた狂犬という役どころ。 そしてもう一つの合言葉は尊王攘夷。 天皇を尊び外国勢力を打ち払うという意味だが、さてその実態やいかに。ジョーイジョーイと叫びながら、薩摩藩は代々違法の外国貿易(抜け荷を)繰り返し、軍事力・経済力を蓄えてきたのだし、何より維新が成った後は手のひらを反すように脱亜入欧を合言葉にする。 徳川幕府が孝明天皇の意志に反して開国にかじを切っていた手前、自分たちは攘夷を旗印にせざるを得なかったというのが本当のところだろう。 ちなみに、強固な攘夷論者だった孝明天皇は表向き天然痘で死去したとされるが、その実何者かによって毒殺されたとの説がいまだに根強い。 結局、明治維新の場面においても、天皇はあくまで担ぐ旗印という以上の役割を得なかったとしか思えないのである。 こうして小学校五年生レベルの歴史をたどってみると、日本列島初の統一政権を樹立した天皇家が、その歴史のほとんどで武力を背景とした権力の実質を持てず、ただ権威のみを後ろ盾とした影響力による、間接的な実力行使によってしかその時々権力闘争に関与せざるを得なかったという、世界に類を見ないいびつな二重構造の上に成り立っていたということがわかる。 隠居は下衆な大衆に属するので、このいびつな二重構造が永年続いたことが、ある種陰湿で狡猾な権力構造を産む間接的要因になったのではないかと、邪推をする。 しいて類似点を求めるならば、ヨーロッパにおけるローマ法王の存在であろうか。 そこでさて視線を横に振ると、天皇という役割が権力志向の武家たちにとって正統を名乗る旗印として欠かすことのできない(信長はそう思っていなかった公算が強い)存在ではあっても、その他大勢の農工商にとっては雲の上以上に縁遠いものだったとの推測にも行き着くことができる。 それが維新後いきなり現人神として平民どもの精神的支柱にまで上り詰め(降臨?)したのはどういういきさつがあったのだろう。 一言で片づけてしまえば、これもまた明治政府の思惑によるのだったが、それじゃあいくら何でも不親切に過ぎる。例によって知ったかぶりをしなければならない。つづく横町の隠居 日本国憲法を 読む: 付録 隠居の憲法草案Amazon(アマゾン)横町の隠居 いろいろと考える (MyISBN - デザインエッグ社)Amazon(アマゾン)