末期ではない以上、出来るだけの治療はしようと、DCF療法を受けることに決めた。そして決意したからには、抗がん剤治療に心身ともに耐えられるように、自分自身でも出来ることはしておこう、と思い立った。
まず寝具を変えることにした。以前、逆流対策のため、逆流防止用の傾斜枕を通販で買ったが、私の体格には合わないのか、背中に段差が出来て脇腹が痛み、使い物にならなかった(それなりに良い品で、口コミも悪くない商品だった)。
仕方なくバスタオルを何枚も重ねて傾斜を付けたりと色々工夫していたが、この機会に介護用のリクライニングベッドに買い替えることに。それまで使っていたベッドを処分して彼氏用のシングルベッドも同時に購入した為、八畳の寝室にシングルのベッドが二台並ぶことになり、ますます部屋が狭くなった。
介護用と言っても、「お値段以上ニトリ」なので、マットレスと合わせても十五万円ほどの出費で済んだ。
それから眼鏡の新調。以前のものは数年前に誂えたもので、度数が弱くなっていた。病院は乾燥するため、ドライアイ対策に目薬も多めに用意した。
入院まではまだ一月あるという事で、その間に整骨院に通うことにした。
P病院を退院した五月の半ば頃、高い所のものを無理やり取ろうとして痛めてしまった右腕が上がらなくなり、それを庇って左腕ばかり使ううち、両方の肩が上がらなくなってしまっていた。
長袖Tシャツ等の着替えが出来ない、バスタブの掃除が出来ない、食器棚から食器を出し入れし辛いなど日常生活でもかなり不便であったし、PET、CTを撮影するときも、万歳ポーズが取れずに恥ずかしい思いをした。
一度近隣の整形外科病院で診て貰ったが、「四十肩ですね」と、痛み止めとロキソニンテープを処方されただけだった。大学病院での診察の時にも主治医に相談したことがあるが、
「うちの整形外科じゃ四十肩は診て貰えないなー」
とのことだった。大学病院では当たり前だろう。
以前首の痛みで行ったことのある整骨院を思い出し、電話をしてみた。肩の症状と、自分の病気のことも説明した。ネット上では、がん患者にマッサージの際の電気刺激や鍼灸は好ましくない、という意見もあったが、病気を患う方のマッサージや鍼灸治療も承っていると聞き、早速整骨院へ向かった。
治療できる期間が短い、という事で、マッサージと鍼灸を週に二、三回、集中的に受けることにした。残念ながら四十肩はすぐには治らず、劇的に回復したわけでもないが、肩の緊張は緩和され、重苦しい首周りの痛みも少しずつ軽くなった。それにマッサージも鍼灸も、凝り固まった全身にとても心地が良かった。
ただ整骨院での治療はすべて実費なので、生活費用の財布も一気に軽くなった。
DCF療法で入院することになっていたのは、大学病院ではなく市内にあるN病院だった。
大学病院のベッドに空きがない、という事だったが、重症患者以外の受け入れが難しい、と小耳に挟んだので、もしかしたらコロナの影響もあったのかもしれない。N病院に決まったのは、P病院だけは嫌だと言い張ったお陰だった。
N病院での担当医は外科のC医師だった。入院前の外来診察で初めて挨拶をしたが、私より随分若いC先生は少しふっくらした体形そのままに、人当たりが穏やかで、誠実そうな医師に見受けられた。
病院も建て替えられて年数が浅いためか、モダンで居心地が良い。我儘もたまには言ってみるものだと、思わずガッツポーズをとったほどだ。
今回は、抗がん剤開始予定日の四日前から入院することになった。元々手術前からカリウム値が高く、手術入院の際には高カリウム血症治療薬を服用していたが、抗がん剤の影響か徐々にクレアニチン値が上昇し、eGFR値も低下していた。そのため蓄尿検査が必要となり、また土日を挟むため、少々長い入院となった。
合わせて十日間以上の長丁場になり、特に前半暇な時間が多いだろうと思い、入院前にレンタルビデオのGEOに赴いた。コロナの影響でゲーム機本体がなかなか手に入らない状態が続いていたが、その日は運よくニンテンドースイッチライトの在庫があった。世界のアソビ大全というソフトとともに即買いし、手持ちのキンドルには漫画本などをこれでもかとダウンロードし、副作用が出るまでの間の暇つぶし対策は万全にした。子供の頃から肝心な物はよく忘れるくせにこういう処は抜かりない。