私の生い立ちと使命⑤  | 潜在意識を書き換え宇宙の愛と統合しライトワーカーとしての役割に目覚める旅へ

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こんにちは     阿部梨絵です。


たくさんのブログの中から お越し下さりありがとうございます^_−☆




長々続く私の生い立ちも
いよいよ成人〜のお話になってまいりました


ふぅ〜やっとですDASH!

ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございます。


あともう少し… 
 

お付き合いいただけたら嬉しいです^_−☆













その頃 父は25年営んできた大切な店を閉める決意をしたようでした。
 




なぜかとてもショックでした。




幼い時に遊び場所にしていた 
人でにぎわっていたあの店は
 


不景気と時代の流れで
 


お客さんをほとんど見ることもなくなり
 



もうずっと開店休業状態でした。



 

それでも

『辞めたくない!借金してでもやり続ける!』


と豪語した父でしたが
 

これから妹も大学受験を考えているなかで
 


母は継続には断固反対で  
父としては苦肉の決断だったと思います。
 
 
 
 
 

お店最後の日


 
『25年の間の幕を閉じてきましたぁ~』
 


父が苦笑いしながら帰ってきたときも
 
 
 

誰一人として『お疲れさまでした』と言葉をかけることなく
 


父を無視していました。
 



お店のおかげで 一軒家に住み 
生活ができていたにも関わらず
 


家族は皆父を嫌っていましたドクロ
 
 
 
 
 
 
 

この家は助け合いなんてないんだビックリマーク普通の家族じゃないこといい加減気付いてよ!!
 



心の中で父に叫びましたプンプン
 
 
 
 
 
 
 


そしてそして、


 私の
結婚披露宴に兄は出席しませんでした。
 
 
 
やっぱりなという思いでしたが
 

兄はこう言ったそうです。


 
『リエの結婚を祝いたくないわけじゃない ただあの人(父)と家族として
同じテーブルに座ることは できない
 



 
 
 
すでに社会人になっていた兄は 
 
私に対して怒りに満ち溢れた様子はなくなっていました。かお
 
 
それでも

兄の姿を見るとドキショック!とする身体の反応は消えませんでしたドクロ
 
 
 
 
 



私の生活は


遊び盛りの20歳でも
 

慣れない子育てや家事に 大奮闘の結婚生活でも
 

誰にも危害を加えられる心配のない生活ができることが
 
自由で自由で 
毎日生きている!
それだけで
朝目覚めるのが楽しくてたまらないほどの…至福でした。
 




自分がいちばん欲しかった『普通の生活』
 

その2DKの小さなアパートは私にとって最高の空間でした。
 
 
 
 
 
 



その頃 父はパーキンソン病であることがわかり 
 
体を動かすようにお医者さんに言われても
働こうとせず
 

そんな父がダメ人間に見えてイライラしましたプンプンむかっ
 




せっかく離れて暮らしているのに


時々会う母から 父や家のことを聞くと
相変わらずとても嫌な気持ちになりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして私は
 
 
とにかく
子どもがかわいくて 
 
 



 
私はこの子の為に生きている 
 






自分の生きる意味と喜びに
毎日一生懸命でした音譜
 




やっと出会えた気持ちでしたドキドキ
 
 
 
 
 
 
 

旦那さんは9歳年上の公務員。
 

自営業と違い
仕事のことで家庭が脅かされる心配もなく
 

17時過ぎになれば帰ってきて
 

家事や育児を手伝てもらえて
 

会社員の奥さんって楽なんだなと
ますます人生の充実感を味わっていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でも 夫婦の仲はうまくいっているとは決して言えず
 
 

 旦那さんは
地主の本家でだったので
 (少し離れて住んでましたが)

長男の嫁として
自分が未熟と思われているのではないかと
プレッシャーを感じて頑張ってしまっていたし
 


母親として、自分を評価されているような気がして

過剰反応してしまったり
 




旦那さんへの束縛や嫉妬もあったと思います。
 

家庭や幸せに執着するあまり 
夫婦のちょっとしたズレも許すことが出来ませんでした。
 
 
 
 長男の嫁として
認められないと幸せになれない


そんな思い込みが
 
今思うと『愛されたい』の塊でした。
 

愛されたい
愛されたい
認めてほしい
見てほしい
受け入れてほしい
守ってほしい
 
 
 
20代の頃はその強い欲求を抑えることが出来ず
 
寂しくなると怒りをぶちまけていました。
 
 
 

10代の頃の寂しさや悲しさを抱えたまま母親になった私は
 



自分を生きることが出来きなくなっていて
 
 

 
なぜかいつも不安と恐怖と焦燥感とイライラとした強迫観念に支配されていました。
 





その生活を1ミリも崩されたくないという思い…
 
 


 
しかし 残念なことに夫婦の溝を大きくしてしまうような事件がいくつも
 
起きたのでした。
 
 
 
 
 
それでも離婚という選択肢がなかったのは


一緒にいれば


 
お父さん 
お母さん 
子どもたちとの


幸せな家庭を
 
諦めずに作っていけると思っていたからです。
 


それに 子どもとの時間は私にとってかけがえのない時間でした。
 
 

 
だからどんなに悲しいことがあっても




私が子どもを連れて家出をしても
 


離婚はしないと決めていました。
 


それは子どもの為と言いながら
 


自分の為だったなと思います。
 



23歳で2人目を出産し 男の子2人のママとなった頃
 


父と母の離婚が決まりました。
 




1年以上続いてきた調停では財産分与の折り合いがつかず
 



裁判になってようやく確定したのでした。
 
 
 



実家には父方の親戚が集まり



私も母を援護するためによばれ
 

大人の話し合いとなりました。
 
 
 
それは 働けない父の行き場を押し付け合っているような
 

兄弟間の醜い会話でした。
 
 
 
離婚してもらっては自分たちにとばっちりがくる

困るから何とかここに置いておいてほしい
 



というような話合いでしたが
 



時々 叔父さんや 叔母さんの言う冗談が
 

なんとも薄っぺらく嘘っぽい笑いに思え
 


その場の空気に呑まれるものか!!と 
私と母は少しも笑うことなく真剣でした。
 
 
 
 
 
実家の一軒家は 売値相当の半分の金額を 父に渡し
 



父一人
家から出ていくことで話の決着がついたようでした。
 
 


 
家には
と大学生のが住むことになったのですが
 
 

 
それでも父は荷物をまとめるのに時間がかかると
なかなか出て行こうとせず
 
 

 
それどころかもらったお金で
どんどん自分の好きな物を買っている様子でした。
 
 
 

ある日 父が兄の部屋に無断で入ったことが発覚ビックリマーク
 
 
 

それまで
 
同じ屋根の下で暮らしながら 顔を合わせることも
会話をすることもなかった兄と父でしたが
 
 
 
兄は逆上し
父を酷く叱責。 
久しぶりに大暴れをして 
 



父を家から追い出したのでした。
 

 
 

当然 病気の父は兄の力と威力に勝てるはずもなく
そこから
父の行方がわからなくなりました。
 
 
 

ラブラブ長男と次男ラブラブ
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 ではでは
続きはまた次回に

今日もお読みいただきありがとうございますラブラブラブラブ
 
 
 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ
 
 
 
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